…13 守人(まぶりと)
「マブリトって?」
聞き慣れない言葉を頭の中で反芻する。
「守人は、古より千久楽を守る者」
ただただ呆気に取られる俺をよそに、紫野はあくまでも真剣な表情だ。
「イニシエって……そんな昔話みたいな奴、聞いたことねえし」
紫野は小さく頷く。
「守人はこの里では〝無き者〟とされてきた。キミが知らないのも無理はない……守人は代々、千久楽を守ることで古の咎をあがなっていると聞いた」
「咎って…………」
話についてくのがやっとで、紫野の言葉を咀嚼するのに時間がかかる。
「しかも……代々ってずっとだろ? 何百年、何千年? そんな重大なことなのかよ?!」
紫野は風の来る方――森の方向に目を移す。風に乱れる髪を押える、その手は白い。
「神と人の約束は、違えることはない」
紫野の声が静かに響く。
「守人は、いつか生まれ落ちるだろう娘の魂を見つけると約束した。そのために千久楽を守り続ける。……その代わり私たちは風の恩恵を受ける。そうして千久楽はここまで維持されてきたんだ」
「……どうして、そこまでしなきゃならないんだよ……どうして、そんな約束をーー」
少しの沈黙の後、紫野は目を閉じ、息を継いだ。
「古、守人の祖が女神を殺した。……神に愛された娘を」
「!」
「永い時が経ち、世代が代わって、人々の記憶から消え去っても、守人は娘の面影を忘れることはない。……忘れられないだろう、って――」
「……紫野?」
黙り込んだ紫野に、俺は――心配よりも、もっと何か……暗くて冷たい、利己的な感情が沸き立つのを感じた。紫野が親しみを持っているその相手は男なのだと、直感的に思った。
ふぅん、と俺は腕を組み、指でとんとん叩き始める。
「忌まれた存在ってわけ、か。……それで? お前とどんな関係があんの?」
「6年前、千久楽に放射能が入らないように風の結界ができた。あの時から守人は千久楽に留まり、結界の監視を続けていたけれど……結界が安定している今のうちに、息子になるべく遠くを見せてあげたいと、彼は宮司に許しを乞い、一時だけと千久楽を離れた。そして……帰らぬ人となった」
「え……」
「彼の息子はSSCに保護されてるそうだ」
紫野の声が擦れ、握りしめる手が震える。
「一時といえ、千久楽を離れたことを、神は罰したのか?」
俯いたまま、紫野が唇を噛んでいるのが見えた。やり切れない思いが低く震える声に籠る。
「………守人は、一人いればいいと」
悪い方へ考え過ぎだ、と言いたかった。でも俺は、涙を溜めて墓を睨む紫野に何も言ってやれなかった。こんなに感情を露わにする紫野は初めてだったからだ。
やっと思いついて、俺は紫野の頭をぽんと手を乗せた。なるべく紫野を見ないようにして。
「私の紡いだこの糸が、彼らの運命を変えてしまった――」
この時、俺はやっと理解したんだ。風の結界を結んだ後の、あの時の紫野の涙を。
守人不在――
「結界はどうなるんだ?」
「今のところは風力に変化はない。宮司が毎日境界の手前まで赴いて放射線の計測もしている。でもそれ以上のことは私たちにはできない」
再び沈黙が降りる。
「なぁ……守人って誰なんだ?」
核心を突こうとした俺を、紫野はたしなめるように見る。
「これ以上は言えない。でもいずれ知るだろう。千久楽の中心に身を置く者なら。それまで、この話はキミの胸に留めて欲しい」
――禁忌ってやつか。
りょーかい。と俺は息をつく。
それでも諦めの悪い俺は、ふと思いついた様に問いかけた。
「そいつ、ここに眠ってんのか?」
紫野は首を振る。
「彼の亡骸はここには無い。けれど……魂なら半分ある」
「半分?」
「昔、私が形代と共に譲り受けた。……だから、半分ここに」
手を胸に置いて、紫野は目を閉じた。
「形代って……じゃあ守人は、お前の――」
――半身。
言いかけた俺の前で、紫野は人差し指を自身の唇に添えた。咎めるのでなく、寂しそうな笑みで――
紫野がかじかんだ手で風呂敷を広げようとしたのを、俺が奪って解いた。
「…すまない。その衣を広げて、あのブナに掛けて欲しい」
返事をしないまま俺は言われた通りにしようとした。
――何だ? すげー軽い。
まるで重さを感じない。透けるような薄い。
「これ……もしかしてあの糸で織ったのか?」
「社にしばらく籠らせてもらって織った。ちゃんと仕上がっているかどうか……でももう私には力はほとんど残っていないはず。これが舞手としての、最後の務め」
糸を紡いでいた紫野の姿を思い出す。背中に広がる流紋。苦しんで苦しんで、それなのに…懲りずにまた紡いだという。そこまでして、衣を織らなければならなかった理由を、俺は聞かなかった。
下手すると衣が風に飛ばされちまう。枝に引っ掛けるようにして端と端を結んだ。それを見ると、紫野は目を閉じて歌い始めた。俺の前で風を紡いだ時のように、古の言葉で。紡ぎ唄じゃなく、名倉の爺さんが前に歌っていたのと似ている。呼び掛けるような静かな、哀しい調べ。……おそらく鎮魂歌。
衣は解けるように風に舞い上がり、一瞬ふわりと形を変えたかと思うと淡く光を帯びながら、白い鳥となって飛んでいく。やがて水色の空へ、吸い込まれるように溶けていった。
大昔、風を紡いでは織り、衣を作った。風のように軽い衣を。それを着れば人は鳥となって、空をも飛べたと言う。
その衣とは、死んだ者への冥土の土産だったんだ。紫野がしているのは紛れもなく、魂送りだった。
「消えちまったな……いいのか?」
紫野は抜け殻みたいに座り込んでいる。力を使い果たしたらしい。抱え起こすと、空を見上げながら答えた。
「きっと、ここではない……あるべき場所へ還ったんだ」
しばらくして、紫野を支えながら墓地を出た。そこで紫野の足がぴたりと止まった。
「どうした?」
「……今日は本当にありがとう。無理を言って済まなかった。私を置いて先に帰っていい」
「? ……何気兼ねしてんだよ。別に暇だし、家まで送ってく」
「いや、ここでいい。」
紫野の目を見た時、二人の間を風が通り抜けた。俺は何かを感じた。何か……得体の知れない、不安。
「紫野……?」
この先に待つ、長い隔たりを。
「ここでお別れだ、那由他」
向き直る紫野。俺はきっと無表情だったに違いない。
「今日、千久楽を出る」
「!」
「結婚するんだ」
その言葉に俺は無反応だった。ただ火照ってたはずの体がたちまちに冷えていくのが分かった。
「………………そんなん、ちっとも聞いてねえし。……長いのかよ、もう」
「いや、母の紹介だ。半年前に会って、こないだ決めた」
「……って見合いじゃねーかよ、おい! だってまだ19だろ? これからが遊び時じゃねーか。なに即決してんのお前。解消しろよそんな見合い。ぜってー後で後悔するぞ!」
「何だか父親みたいだな、那由他は」
「……」
「これでも返事を延ばしたんだ。中途半端なまま、本当にここを出ていいのかと。ずっとこのままだったら相手の迷惑になるんじゃないかと」
「このままって……」
「こないだ初潮が来た」
「ショ——」
リピートしそうになって思わず噛んだ。露骨に言うなよな……思春期真っ盛りの男子に向かってよ。
「だから、結婚して千久楽を離れる決心ができた。やっとこの土地を出られる…あきらめないで済む」
思わず俺は紫野の両肩を掴んだ。
「何なんだよ、それ。全然納得出来ねえし! 本気で言ってんのか?結婚はそのためなのか?なぁ、紫野。変だぞお前。どうかしてるぜそんなの!」
「変か……そうだな、キミの言う通りかもしれない」
「なら、何――」
「恐かった……ずっと自分が雛じゃないかって」
俺は息をのみ込んだ。紫野の声は震えていた。




