第玖話 後方
西暦184年4月下旬。
「久しいな、孟徳」
数か月ぶりに洛陽の本営に戻った曹操は、そう言ってにこやかな笑みを浮かべて迎え入れる袁紹に遭遇した。
彼は操縦服姿ではなく、式典用のような着飾った華美な鎧に身を包んでいた。それを見て曹操は、少しだけ袁紹に対する評価を下げた。
「前線に出ず、こんなところで油を売る。さすが名門の御曹司だな」
「馬鹿言うな。今は政治の時だ。俺も来月には出発する」
「ほぅ、どこへ?」
「徐州だ」
「黄巾の勢力範囲の端っこではないか。激戦より離れてお気楽なものだ」
「滅多なことを言うな。大将軍と共にこの乱をいち早く鎮める方策を日夜練っていたのだ」
「あの肉屋の倅が? 軍略のいろはも知らず何ができる」
「孟徳、口が過ぎるぞ。ゆえに我らがお助けしているのだ」
そう言われて曹操は唇をへの字に曲げた。
大将軍こと何進。字は遂高。元は肉屋をしていた平民だったが、妹の美貌を聞きつけた時の皇帝が皇后としたことにより、大将軍にまで上り詰めた男だ。
袁紹は彼のことを評価しているようだが、結局は妹の七光りで出世した男。ましてや豪族とはいえ戦のいろはも知らない成り上がり者。おそらく袁紹らにとって、軽い神輿として実権は自らが奪い取ろうという目論見で持ち上げているだけだろう。
「ふんっ、成り上がりなど部屋の奥か最前線に飛ばすに限る。ああ、お前のことだよ、曹操」
と、曹操に対して辛辣な言葉を吐くのは、袁紹の影から現れた袁術だ。
彼もこの本営でぬくぬくと過ごしているらしく、少し脂肪がついたように曹操には思えた。まだ正道をもって乱を正そうとしている袁紹と比べ、袁術の瞳には暗い覇気が薄く漂っているようで、嫌な感じを味わった。
だから、と食い下がる曹操ではない。
「これはこれは。袁家の正当な後継者様。このような後方でお暇なことですな。大将軍直属の地位を金で買いましたか?」
「なんだと……!」
「孟徳! 公路! いい加減にしろ!」
間にいた袁紹の大喝に、周囲にいた人々が振り向く。
「失礼しました。戦場帰りで気が高ぶっており」
曹操は素直に頭を下げた。袁術に対する皮肉だが、それはとりもなおさず袁紹に対しても当てはまる。
その皮肉に、袁術は顔をしかめた。
「ふん。お前のようなさっさと前線に出て、武功でも稼ぐがいいさ」
袁術はそう言いながら鼻を鳴らして去っていく。
それを曹操は冷ややかな目で、袁紹は仕方のない奴と苦い目つきで見送る。
「孟徳、お前少しは――」
「今のは言っていいことだ」
「そういうとこだぞ。そうやって敵ばかり作っていたら、いつまでたっても出世はしない」
「私は口だけで出世する軟弱な輩とは違う」
「耳が痛いな」
「痛みを感じるだけそこらの阿諛追従(媚びへつらうこと)の輩とは違うな、本初」
「おだてようとしても無駄だぞ、孟徳。それに俺は武をもって天下に我ありと示すのだ」
「なら最前線に立てよ、副司令官殿」
袁紹は何進に気に入られ、副司令官の地位にある。
「立つさ。我が軍にも腕利きはいる。それに、徐州に行くのは大きな作戦のための一手なのだ。ふふふ、この壮大な策を聞けば、貴様も吃驚仰天、俺に畏敬の眼差しを送ること間違いなしだ」
「ふむ? なんだろうな」
「ははは、もっと敬っていいのだぞ。なにせ賊軍を一網打尽にするとっておきの策なのだからな!」
「分からんな。エン州から追った黄巾を豫洲に集めて、北と南から一網打尽。徐州には青洲からの援軍を阻止するために袁紹が行くくらいしか思いつかん。だが一網打尽とは聞こえが良いが、その分、敵を集中させて強固にしてしまう可能性がある。それに青洲の賊徒は強力という。徐州に網を張ったとはいえ、そこを破られれば官軍の主力は南北で挟み撃ちに遭う危険性があるな」
「……っ!」
「なぁ本初。残念だが私にはまったくわからない。まさかそんな現場にぶん投げるだけの愚策を、賢い本営が思いつくはずもないものな。だから教えてくれ。さぁ教えてくれ。一体、何をどうすれば賊軍を一網打尽に出来るのか、その策をこの愚かな曹孟徳に享受してくれはしないか? さぁ! さぁ!!」
「そ、それは……」
「どうした本初? 顔色が悪いぞ? 気分でも悪いのか? それとも自らの策に悪酔いでもしたのか? あるいはあまりに美しすぎる愚策に陶酔したか?」
「お前! 分かってやってるだろ!」
怒鳴る袁紹に、忍び笑う曹操。
この2人の関係はいつまでも変わらないのだろう。
「とにかく、だ! 俺は何がなんでも青洲の増援を絶ってみせる。いや、むしろ青洲になだれ込んで平定し、そのまま冀州、幽州(現在の北京がある場所)へと進軍し、敵の総大将を討ち取ってくれる!」
「そうだ、その意気だ本初。お前ならできる」
「なんか棒読みな応援だな……」
「ならもっと色っぽくやってやろうか? ねぇ、本初ちゃん頑張って。孟徳が応援してるゾ」
「や、やめろ! なんか逆に鳥肌が立つ!!」
「失礼な奴め。こんな美少女の応援をむげにするなど」
「お前、一度鏡を見直して来い。お前のどこに西施(春秋時代の美女)や虞美人(項羽の愛妾)要素がある」
「ふっ、この私も数百年後の史書に『美しく強い蒼武乗りの曹操は、黄巾の首魁を倒し、蒼漢王朝を再興させた稀代の名将である』と記されるだろう」
「その自信はどこから来るんだ……」
士官学校時代からブレない曹操の態度に、さすがの袁紹もあきれ果ててしまうらしい。
「では、な本初。今日はもう帰る」
「おい待て孟徳! お前が次に行く場所を聞かんのか!?」
「聞かずとも分かる。激戦区の豫洲、その最前線だろう?」
「……そ、そうだ。が、違うぞ孟徳。俺はお前を死なせようとしているわけでは――」
「分かってる。むしろ感謝しているよ。今の私に必要なのは安寧とした地位より武功だ。曹孟徳ここにありと示せる場所が、今の私が求める場所だ」
「そうか……ああ、だが気をつけろ孟徳。俺はお前を買っている。むざむざ死なせるわけにはいかん。だから困ったことがあったらなんでも言ってくれ。副司令官の権限で最優先で善処しよう」
「ふむ、そうか。では1つだけ頼んでいいか? これはお前にしか頼めないことなんだ」
「お、おお! なんでも言ってくれ! 兵糧か? それとも兵か?」
「最新の蒼武をくれ」
「ふざけるな」
ここまで読んでいただき大変ありがとございます。
過去話が終わり、いよいよ本格的な戦闘に突入します。
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