第漆話 昔語
曹操の初陣から約半年ほどを遡る。
その日は、曹操が属する王立士官学校の卒業試験の日だった。
場所は蒼漢王朝の首都・洛陽。
昨今、頻発する反乱や異民族の侵攻。それらを打ち破る若き士官たちの登竜門とも言うべきこの卒業試験は、蒼武同士による戦いとして都中の関心を集めていた。
それを受けて10年ほど前から朝廷ではこの卒業試験を洛陽全体のお祭りとして大々的に開催するようになった。
それは国民の不安をやわらげつつ、朝廷への不満に対するガス抜きであり、人が集まれば銭が回るという経済施策だった。さらに言えば、優秀な蒼武乗りが出れば、その分、反乱や異民族に対する抑止にもなるという外交的な施策でもあった。
だがそんなことを国民は、特にそれに参加する士官候補生たちには関係のないことだった。
中にはそれを分かったうえで参加する者までいる。
例えば4代に渡って三公(朝廷での最高位)を排出した袁家一族の袁紹、字を本初だったり、その袁家の次期当主でもある袁術、字を公路だったりする。
そして曹操もその限りではあった。
だがそれを知ってなお、
「袁家の者が勝つのが当然。そして袁家の名前が他国にも響く、素晴らしいではないか!」
と考える袁家の2人に対し曹操は、
「優勝はあの袁家のどちらか(まぁ本初だろうが)に譲ってもよい。だが、ただで負けるわけにはいかない。天下の注目が集まるこの場。優勝せずとも力を見せることができれば、次につながろう」
と考えての参加だった。
試験は負けたら敗退のトーナメント方式。蒼武も士官学校で使う模擬戦用――つまり戦場で使えなくなった骨董品――で相手を行動不能または降伏させれば勝ちだ。
朝から始まったその試験は、昼をまたいで佳境に至り、いよいよ約30分後の決勝を待つのみというところで人々の興奮と熱気は最高潮に達した。
「よぉ、孟徳。上がってきたな」
決勝戦を前に曹操は体を休めていた。これまで10回もの死闘を繰り広げてきたのだ。集中力うんぬんより、蒼武を動かすに当たっての筋力が悲鳴を上げ始めている。
そこに男がやってきた。
年齢は曹操の2つ上の17。背丈は曹操より頭半分高い180センチにわずか届かないほど。油を塗っているのかツヤのある髪を後ろに固め、大きな瞳に生え始めた髭をそろえた若い偉丈夫だ。
彼の着ている操縦服は、学校公認のものだが色は真っ白で独特の飾りがある。一番目を引くのは胸元に刻まれた袁家の紋章。一応、学校公認のものでなくてはいけないわけだが、莫大な献金をしている袁家の子息ということで彼――袁紹には許されていた。
その姿をげんなりとした視線で見る曹操は、
「何をしにきた。暇なのか?」
「いや、よく(袁術)公路の奴を倒せたなと思ってな」
「次の対戦相手に労いの言葉か。余裕だな、本初」
「からかうな。俺は本気で思ってる」
「あれはあいつがバカだっただけだ」
曹操の先ほどの対戦こそ、袁家本流の次期当主と言われる袁術との戦いだった。袁家の子息ということで、彼には幼いころから学問はもちろん、蒼武の扱いについても徹底的に教育されてきた。
これまで蒼武での試験は、袁術が2位という成績を収めていたのだ。ただもちろん、それは彼の技量もあっただろうが、袁家の次期当主の覚えめでたくという、他の生徒たちの遠慮があったことを彼本人は気づいていなかった。
だからこの試験でも、接待試合がいくつかあり余裕での決勝進出を目前とした袁術の足を掬ったのが曹操だった。その慢心と油断を突いて見事逆転勝利した。
成績2位を破っての下剋上に、当然、観覧の人々は大興奮だった。
「あー、まぁあいつは仕方ないからな」
「袁家の行き先が不安か? なんならお前が袁家の当主になればいい」
「……孟徳、言ってよいことと悪いことがあるぞ?」
「言っていいことしか言わんよ、私は」
「…………ふん」
その反応を見て、曹操は袁紹と袁術の仲が噂されるほど良いものではないことを悟った。今は別段と事を荒立てるつもりはない。だがいずれ、と曹操はそのことを脳裏に刻んだ。
そしてそのことを隠すように、少しこのボンボンの男をからかってやろうと思う。
「で? 本当にそれだけだとでも?」
「ああ。次はいい試合をしよう」
「なんだ、それだけか」
「なにがだ?」
「てっきりお前は」
「ん?」
「私を抱きにきたのかと思ったぞ?」
「ぶっ!!」
そう言いながら曹操は自らの体をくるりとターンさせてみせる。
彼女とて当然操縦服を着ている。蒼武に乗るにあたって加減速の圧、衝撃、熱や火花に強いとされるのがこの操縦服だ。それらの耐久性を実現するために、服は装着者の体にぴったりと吸いつくようにしてある。つまり女性が着れば体のラインがどうしても目立つ。
それをことさらに強調して、曹操は袁紹をからかうのだ。
「くくく、真っ赤だな、本初」
「じょ、冗談でも言っていいことと悪いことが――」
「聞こえてなかったか? 私は言っていいことしか言わん」
「ぅ……」
「まぁ、今のは悪いことだがな」
「孟徳ぅぅぅ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴るのは怒りからか、あるいは照れからか。
そんな袁紹だが、ふと何かに思い当たったように急にふんぞり返り、
「ふ、ふん! 甘いな孟徳。そんな色仕掛け、この袁本初には通用せん。何より胸の起伏が全然不足――ぐほぉ!」
「何か言ったか? 本初?」
「は、腹が……」
「何か?」
「な、なんでもないです……」
殴られた腹を撫でる袁紹を、侮蔑の意味で曹操は睨みつけてやる。
と、そこで決勝戦があと15分後だという放送が流れてきた。
「そろそろ時間だな。孟徳、手加減は抜きだぞ」
「誰に言ってると思ってる?」
「お前だよ、お前」
「ふん」
鼻を鳴らし威嚇する曹操に、袁紹はにやりと笑って手を振りながら出て行った。
(本気で何をしにきたのだ、あいつは)
そう曹操が思っても不思議ではないくらいの謎の訪問だった。
逆に言えばそんなことで貴重な休憩時間が半刻も奪われたと思うと、次の決勝でボコボコにしてやろうと思う曹操だった。
ただ、彼には少し感謝もしている。
彼女は女という性別で、これまでいわれのない差別を受けてきた。官軍の将として女の下につきたくない、であったり、女が蒼武に乗るなどという偏見と差別がこの時代においてもまだ根強い。
それを曹操は力でねじ伏せてきたが、それが逆に火に油を注いでいることを彼女は気づいている。
だがそれが少し和らいだ。袁紹が彼女に対して対等の口をきいているのが知れ渡ったからだ。袁紹からすれば性別があろうと取るに足らない相手として見ているのかもしれなかったが、それでも曹操には感謝したい思いはある。恥ずかしくて絶対しないが。
そして実際にボコボコにするという思い。それを実現するのは不可能だろう。袁紹の実力は本物だ。
袁術が2位だという話だが、その袁術を上回っての1位が袁紹だ。成績は全勝。袁術はそれほどの腕ではないが、対戦相手がわざと手を抜くなどで勝利を得たりしている。だが袁紹は本気で他の全員を降している。(袁術が2位なのは、曹操ら袁術に対し接待をしない人間がいくつかいて、その勝利を取りこぼしているからだ)
これまでの袁紹との直接対決の戦績は2勝4敗。負け越している。そして彼が今、言った通りに手加減抜きで戦うことになるだろう。
その時に勝てるのか。
いや、勝てなくてもいい。彼女の目的は優勝することではなく、結果を残すことなのだ。その意味ではもう2位が決まっている時点でその目的は達している。
だが、と曹操は思う。
この決勝で袁紹にボコボコにされたら。
手も足も出ずに一方的にやられてしまったら。
これまで曹操が積み上げてきたものが全て崩壊する。だけならまだいい。それら全てを袁紹が飲み込んでしまう。
さすがは袁家の子息。これより先を頼むのは袁紹において他なし。そう思われては、曹操の目は今後、浮くことはなくなる。
それだけはなんとしても避けたかった。
町は祭りで浮かれ、世間もそれとは関係なしに動く。
だが早々にとってはこれは1つの天王山。負けるにしても下手な負け方はできない。ゆえに恐怖が彼女を襲う。未だ向き合ったことのない死よりも激しく、これから先の一生を決める大一番に、曹操は震えた。
そんな時だ。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか」
そう声がかけられた。
その人物こそが、今、曹操の整備隊長を務める荀彧、字は文若だった。
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