第肆拾伍話 謹厳
夏侯惇は狼狽した。
普段、曹操らの中で調整役的なポジションを買って出る――いや、自然的にそうなってしまったわけなのだが、滅多なことでは慌てないという自覚もあった。
一番年長であり、猪突猛進の曹洪、頑固一徹な曹仁、曹操が好きすぎる夏侯淵、そして何よりのトラブルメーカーである曹操ら問題児ばかりの中で、自分だけでもしっかりしようという自我が目覚めたがゆえのもの。
だがこのタイミングでの敵襲に、何よりそれを察知できなかったことに彼はショックを受けていた。この模擬戦の手配は夏侯惇と荀彧に一任――もとい丸投げされていたわけで、そこの対処ができていなかったと感じた時点で彼は自分を責めた。
さらに今、劉備との試合によって小破させられた曹洪が命の危機に瀕している。万が一、劉備が臆病風に吹かれて逃げ出せば曹洪は間違いなく死ぬ。動かない蒼武など的でしかないのだ。いや、機体を鹵獲(奪われる)され、搭乗者が殺される可能性だってある。そうなれば敵を利することばかりで、その失態は今後の曹操軍の中でも大きな影を落とすだろう。
(いや、それより歩兵たちをどうにかしなければ……蒼武に蹂躙されるぞ。だが武器もない。(曹操)孟徳は? 俺たちの陣営もやられる。姫が無理やり持ってきた蒼武も奪われる。あの劉備はどう動く? その下の義勇軍は? そもそもこの襲撃犯は誰だ? 十中八九、黄巾の奴らだろうが、万が一味方の裏切りという点も……)
考えることが多すぎて、一時的に夏侯惇の思考はオーバーフローした。本来なら1つ1つに優先順位をつけて対処すべきなのだが、それすらもままならない。完全に思考停止の寸前だった。
そんな時だ。蒼武の収音機が外部音声を拾ったのは。
『惇兄! 歩兵を下げるぞ! 惇兄は(曹洪)子廉を頼む!』
曹仁だ。馬に乗って夏侯惇の下を横切っていくのが見えた。
観戦のために集まっていた歩兵を集め、敵のいる西側から一端距離を取ろうということらしい。浮足立った兵たちは、蒼武はもちろんのこと単なる歩兵に攻められてももろい。それを曹仁が集め、軍を再編し、敵歩兵に対しようと考えているのは夏侯惇に分かった。
同時、全てのことを自分が決めようと考えていた自分を一瞬恥じた。彼には頼もしい従兄弟がいる。それに頼ることは決して怠慢ではないと。
「すまん、(曹仁)子孝!」
『なら通達を頼む。俺が走り回るより早い!』
「分かった!」
そう答えると大きく息を吸い込み、一拍。
「敵襲だ! 陣形を組め! 敵の歩兵が来る! 剣を取り、円陣を組み備えろ!」
叫ぶ。それによってまだ曹仁が向かえていない地区にいる兵たちもやるべきことが明確になる。模擬戦用の武器がないにしても、陣を組めば相応に戦える。仮に敵がすぐそこに迫っていても、一方的に蹂躙されることはないだろう。
「(夏侯淵)妙才は!?」
『姫の蒼武だ』
「了解だ!」
これで歩兵、曹操の蒼武についての懸念が消えた。
曹操のことも除外した。彼女は劉備の陣営で観戦しているはずだ。そこならば対応に時間が稼げる。彼女がどう動くにせよ、自分が駆けつける意味は薄い。
もちろん、最悪の事態として“劉備たちが敵と通じていて、この模擬戦を襲撃の場とし、今、単独で劉備の陣営にいる曹操を捕まえるあるいは殺す”という思考もないではなかったが、それは杞憂だった。
曹洪を守るように西を向く劉備の蒼武。そこに降り注ぐ榴弾に、それだけで劉備と敵が繋がっていないことが分かった。
「孟徳と(曹洪)子廉も問題なし。ならばあとは…………くっ」
自然、笑みがこぼれた。思考が追い付かなくなったからではない。
何もないのだ。曹操個人も蒼武も、曹洪も歩兵も劉備たちも全てに対して打てる手は打たれた。そうなればあとは1つだけ。
「敵をぶっ飛ばせばいい、それだけだ!」
武器の差はどうでもいい。火器がなくてもそこらの蒼武乗りには負けない自信が彼にはあった。
運がなかったな、とも思う。
これだけ完璧なタイミングでの奇襲が成ったにもかかわらず、ほんの1分足らずで迎撃の態勢が整ったのだ。相手にとっては悪夢以外の何ものでもないだろう。
さらに事態は変動する。
「髭が動いたか!」
視界の隅。曹仁のまとめる歩兵に対する敵兵たち。それを回り込むようにして、もう1つの小規模集団が展開していく。その先頭に立つ2人の人影を、蒼武の外部映像は捉えていた。のっぽの髭と、小柄なツンツン頭。それが黄巾の横を突く構えを見せただけで、彼は劉備たちへの懸念も思考から消した。
これ以上ない事態の変異を見て、夏侯惇は笑みを濃くする。出来過ぎだと。
(孟徳はこの模擬戦を懇親のためだと言った。そして同時に劉備たちの値踏みにもなると。だが見ればどうだ。この敵の奇襲というハプニングすらも、その目的を濃くするためのもののようじゃあないか! 相変わらずあの女は天に愛されている。だから――)
夏侯惇は操縦桿を握り直す。そして蒼武を走破モードに切り替えると、きしむ脚部の音を聞きながらそれに負けじと叫ぶ。
「夏侯元譲の前に立つことを不幸と思うがいい! 孟徳の覇道、何ものにも邪魔はさせん!」




