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第参拾漆話 変質

 夏侯淵は憤りを拳に乗せて相手を打つ。


(なんでこんな奴が姫に、姫に、姫に!)


 彼女からすればいきなり現れた間男に、曹操を寝取られたような感じだ。それが許せない。いや、そもそも彼女にとって曹操は侵されざる聖なる象徴。そのような想像ですら断罪すべき愚考だった。

 それゆえに許されない。この目の前にいる髭の男が。


「うぉぉぉぉ! (夏侯淵)妙才様、最強!!」「あのでけぇのをやっちまいやがった!」「夏侯様、その勢いで俺も夜の相手してぇ!」「ぎゃはは! お前なんか一発で終わりだよ!」


(3番目と4番目。あとで私刑)


 そう、よそ事を考えるほどに夏侯淵には余力があった。その間もただ無心に眼下の髭を殴り続ける。

 関羽は最初の数発はもらったものの、あとは腕で防御するか、いなすか、顔の動きで避けていた。さすがだった。対峙した瞬間から、命のやり取りになるとは思っていた。まともに打ち合えば厳しいとも。

 だから一気に寝技に持ち込んだ。そうすれば自分の独壇場だ。

 だがそれは逆に言えば、立ち技で勝つ自信がなかったからかもしれない。奇襲により自分に有利な状況に追い込んで圧勝する。曹操は褒めてくれるだろう。だがそれは、そうでなければ負ける可能性があったとも言える。


「違う!」


 叫び、拳を入れる。だがそれは手の甲でそらされて地面を叩くだけに終わる。


 拒絶。それも怒りをもった。

 違うのだ。断じて勝てなかったからではない。勝つためにこうしたのだ。そう自身に言い聞かせるようにして、ただひたすらに打つ。撃つ。討つ。


「壊れろ! 壊れろ! 姫を、汚す、虫けらぁ!!」


「よせ」


「っ!」


「残念だがこの程度じゃ人は壊れない」


「なにを……!」


 圧倒的不利なのに。ここから逆転はないのに。それでも冷静に、つとめて冷たく言い放つ関羽に対し、夏侯淵はキレた。


「あんたがぁぁぁぁぁぁ!!」


 咆哮。そして両腕を叩きつける。だがそれをする前に目の前に霧が出来た。当然、今は昼間。自然発生したものではない。それはつまり人工。

 関羽が口から霧を吐いた。いや、それは赤色をしている。最初の一撃で鼻血が出た関羽は、それを口に含んで毒霧のように発射したのだ。それが夏侯淵の目を潰す。

 夏侯淵がひるむその瞬間、関羽は思いきり背中に力を入れて相手を跳ね飛ばそうとする。だがそれを夏侯淵はそれに対処した。視界は効かずとも起きている事象は分かる。誰もが夏侯淵のこの馬乗りをはねのけようと抵抗する。その潰し方を彼女は研究し尽くしていた。上から押さえつけるように。関羽の毒霧は不発に終わった。


 ――かに見えた。


 関羽は自分の長い髭を思いきり掴んで振った。

 毎日手入れをかかさない、自慢の髭だ。そしてそれは相手の顔面を襲えるほどには長く鋭い。


「うっ!」


 顔に衝撃。髭での攻撃など意図していなかった彼女は、その謎の攻撃に僅かながら恐怖を感じた。見えない何かが自分の顔を叩く。それほどに不安をそそるものはない。

 だから今度こそ夏侯淵は退いた。上体を逸らし、そして態勢を崩した。そこを関羽は逃さない。跳ね起きの要領で彼女を弾き飛ばした。マウントポジションを脱出した関羽は、夏侯淵から一旦距離を取る。そこで大きく息を吐いた。


「ふぅ……なかなか危ないところだった」


 さっきまでと打って変わって痛みに顔をしかめ、安堵にため息をつく関羽。全てがブラフだった。相手を怒らせ、一瞬の隙を突いて脱出する。そのための演技。


「この……」


「っと、離れるとまたマズいな。だがさて、どうするか……」


 距離を取ると先ほどのタックルがまた来ると思った関羽は夏侯淵との距離を詰めようとする。それでいてどう対応するか考える――つまりいつでも夏侯淵を料理できるという余裕に、完璧と思われたマウントポジションを返され、しかも毒霧と髭にやられたとあって、それが彼女のプライドを刺激しないはずがない。


「この、髭がぁ!!」


「っ」


 関羽の動きが止まる。それに気づかず夏侯淵は再度吼え、関羽に襲い掛かる。再び関羽を押し倒そうとタックルを狙う。さらにそれだけでなく、拳と蹴りを使って相手を追い詰めていく。


「ぶっ殺す。髭をむしりとって燃やす」


「っ、おい、少し待て」


「待たない! 髭なら、岩に埋まってろ! 潰れ、ぺしゃんこに!!」


「ぐっ、や、め、ろ……」


 関羽が苦しそうに胸を抑える。その動きが鈍る。

 そんな関羽の急変に、夏侯淵は勢いかって叫び、さらにこぶしを打ち据えた。


「なにが! あんたが……あんたが……あんたさえいなければ! この髭がぁぁぁぁぁぁ!!」


「もう……よせ……それ以上……は……」


「くたばれぇぇぇ!!」


 大振りの右。それが関羽の肩を叩き、弾き飛ばす。

 大きく距離が空いた。そして途端、関羽の中で、何かが変わった。その変化が外からでは分からない。関羽が止まり、力なくうなだれている。

 ふりではない。関羽に何か起きた。隙だらけだ。だが冷静さを失ったとはいえ夏侯淵ほどの猛者には近寄りがたい何かを感じ取った。


「それでも……ッ!」


 だがあえて夏侯淵は行く。未知なるものだからと退いていては、曹操の前に立てない。彼女が危険になる前に、未知なるものを解明する。その果てにたとえ死んでも、それは曹操の役に立つ死だ。彼女としては本望だった。

 距離は十分。再びタックルで相手を倒して今度こそは油断せずにマウントポジションで一気にかたをつける。先ほどの効いていないブラフももう通じない。激昂する頭の中で、一部は冷静にその計算をはじき出す。

 距離が詰まる。

 迎撃は――ない。

 棒立ちの関羽。その足元を抱えるようなタックルに――


「え?」


 空を切った。


 何も感触がない。消えた。目の前にいたはずの関羽が雲散霧消してしまった。どこに、と思って左右を見渡す。いた。ほんの1メートル左。

 ならばと再び突っ込む。だが結果は同じ。左右を見渡せば右の1メートル先にいた。もう一度やっても同じ結果だ。


「はっ……はっ……」


 何が起きているか分からない。夏侯淵は息を乱した。若干の恐怖もある。

 いや、こんな男に恐怖を感じたなど末代までの恥。そう迷いを振り切って再びタックルに入る夏侯淵だったが、その足を止めたのは1つの笑い声だった。


「くくくっ、はははははは!!」


 誰の声かは一瞬分からなかった。このような喋り方をするのは周囲にいなかった。兵たちはというと、興奮したように怒鳴り声をあげるだけだ。静かで冷たい声は彼らではない。


 ならば、と。夏侯淵はわずかおののく思いでそちらを見た。


 棒立ちの関羽。彼は天を見上げ、右手で顔を隠すようにして口を大に開けていた。

 その空気がどこか違う。今までの凛とした冷静な様子の彼とは違う。説明に困るが、どこか狂気に似た空気をまとっているように思える。そしてそれは周囲の空気すらも変えてしまったように思えた。


 笑いが収まる。

 そしてそれは新たな狂気の始まりだった。


「突っ込んでは右往左往、突っ込んでは右往左往……はっ、牛か、てめぇは」


 関羽が顔を夏侯淵へと向けた。顔の右半分は右手で覆われているが、残りの半分はさらされ――ゾクッとした。

 冷たく視線を投げかける左目。歪に歪み、血走った様子は、これまでの関羽からは想像もできない狂気をはらんでいた。同一人物が見せる表情ではない。だが顔も形もすべてが関羽なのだ。その矛盾が夏侯淵の警戒心を最大まで引き上げる。


「好き勝手ボコりやがって。おー、いてぇ。“俺”じゃなきゃやられてたね」


「お前……髭か?」


「あ? かーっ! 見てわかんねぇか? 立派な体躯、引き締まった筋肉、女どもを引き付ける魅力(カリスマ)に甘くとろける美声。何よりこの立派なお鬚様! 見間違うわけねぇだろ!」


 顔から右手をどかし、血走った目を全開にした関羽。そこにあるのは冷静沈着ではなく狂気乱舞。大きく開けられた口からは、だらしなくよだれも垂れており、尋常ではない精神も疑われる。

 そんな彼に対し、夏侯淵が抱く感情は嫌悪と拒絶でしかない。


「さぁて、再開しますかぁ。好き勝手やってくれたお返しだ。万倍返しでひーひー言わせてやるぜ! てめぇが突っ込むなら、こっちがツッコむまでよなぁ!」


「……キモ」


「あ? てめぇでヤっておいて、そりゃねぇだろ! ヤリ逃げじゃねぇか!」


 性格だけじゃない。言葉遣いも変わっている。対峙していたとはいえ、それでも相手の人となりはそれなりに理解できた。これまでの関羽は冷静で礼儀正しく、かつ叡智を備えた人物に見えた。

 寡黙な夏侯淵は絶許の相手とはいえ、少し自分に似ているとも思ったのだ。


(こんな奴が、似ているものか)


 だがこの今、そう考えた過去の自分を呪いたくなっていた。目の前にいる人物は全然別人だった。姿形はまったく同じでも、中身はまったく異なる。こんなことが起きて良いのか。何か悪い冗談なのか。あるいは動揺を誘うための関羽の演技なのか。


「はっ、変な顔してやがるなぁ。あー? てかアレか? お前もあの手会いか? よぉし、よく聞け! 天知る地知る人が知る! 俺こそが幽州でその名を轟かす大髭鬼神、関羽雲長様よ! 怯えて震え泣いて許しを乞え愚民ども!!」


「ウザ」


「てめぇで呼んでおいてそれかよ。つーか、てめぇ。俺をディスったろ。髭がどうとかよぉ。俺様は世界に2つとない、お鬚様の精だぞ、敬えコノヤロウ! もう犯す。犯してヒーヒー泣かせてやるぜ、この髭でなぁ!」


 やはりまだ夏侯淵には理解が追い付かない。

 だがこれからコレと戦わなければならないとうことに、少なからず夏侯淵はため息をついた。


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ここまで読んでいただきありがとうございます。

先(後?)に謝ります。関羽ファンの方、こんな変な関羽を書いてすみませんでした!

応援や星をいただけると励みになります。軽い気持ちでもいただけると嬉しく思いますので、どうぞよろしくお願いします。

ここまで読んでいただき大変ありがとございます。

先(後?)に謝ります。関羽ファンの方、こんな変な関羽を書いてすみませんでした!


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― 新着の感想 ―
 関羽というか、お髭様の『個』の性格なのでしょう。  おもしろかっです。私はこういう描き方も好きです☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
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