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第参拾参話 勝敗

 曹仁は混乱していた。


(なぜ相手が攻めてくる。相手の丘はがら空きじゃないか。今なら1人でも旗をとれる。だが本当に全軍か? 少し残してこちらが少数を送れば撃退するつもりか。それを逆手にとって100を送れば反転してその100を削る気だな。そうやってことらの数を削っていく。それが貴様の戦法だな、張飛! ならばこちらがやることは1つ!)


 曹仁は部隊を2つに割った。その半分を丘に向けて移動させる。それは釣り餌だ。これで張飛はそちらを阻止せざるを得なくなった。

 500対300。その兵力差があるだけにとどまらず、自分の本隊がその戦っている張飛に横やりをくらわせる。それでこの勝負は終わる。そう考えていた。


「いいか、俺の合図を待て。それでこの勝負は終わりだ」


 そう別動隊の指揮官にも言い含めるまでした。


 だが、事態は曹仁の想像もつかない方向へと向かう。


「なっ……」


 曹仁が絶句したのは、敵の軍勢は勢いを止めることなく、釣り餌にくいつくことなく一直線に曹仁の方へと向かってきたのだ。

 その時になって曹仁は失敗を悟った。

 敵は曹仁を狙ってきた。本陣をがら空きにして、全軍で曹仁を討ち取りに来た。


 それはもう戦いではない。博打だ。

 あまりに博打がすぎて、曹仁はその考えがよぎりもしない。ひたすらにどうすべきを考える。

 だから押される。500対300で数が勝っているにもかかわらず。敵に突撃の勢いがあったのもそれを助長する。


 いや、何よりも曹仁は見誤っていた。張飛という男の尋常ならざる武を。

 最前列で駆ける張飛。その前に立った兵は模擬戦用の棒で殴り飛ばされて一撃で昏倒した。それも1人2人ではない。次々と張飛の前に立つ兵が突き飛ばされては再起不能になる。

 あの小さな体のどこにそんな力があるのか。それほどに外見と実力が見合わない例もない。敵部隊は張飛を先頭に錐状に曹仁の部隊を突き破るように突き進んでくる。狙いは曹仁。その後ろにある旗だ。


 その時点でも曹仁は待った。

 張飛が来れば受けて立つ。そのうえで別動隊が戻れば想定した通り挟撃になる。だからここは耐える。そう思った。


 だが――


「なぜ動かん!」


 別動隊は動かない。曹仁と敵本陣の間にとどまってどちらに向かうか迷っているように見える。見えない檻に囚われて動かないでいる。

 そこで曹仁は思い出した。


『いいか、俺の合図を待て』


 別動隊を行動の檻に入れたのは自分だ。合図を待てと言ったから別動隊の指揮官はどうすべきか迷っている。駆けつけるべきか、それとも旗を取りに行くべきか。

 本来なら旗を取りに行くべきだ。模擬戦だからそれで勝ちなのだ。だがその指揮官は軍人だった。命令は絶対だったし、もしこれが戦場だった場合、旗を取る――敵の本拠地を制圧したとしても大将である曹仁が討たれてはその時点で負けだからだ。

 大将、すなわちその軍で最も武勇に優れた人物がなる。ということはその大将に勝った相手に、その軍は誰も勝てないということだ。そんな相手に陣を確保しようにも、余裕で奪い返される。さらには大将を守れなかったことで、総大将の曹操から叱責が飛ぶかもしれない。いや、叱責で済めば御の字だ。

 だから迷った。模擬戦上では旗を取りに行くべきだが、軍人としては助けにいくべき。その迷いが曹仁の危機を増加させる。

 とはいえここでその指揮官を責めるのはお門違いだ。命令を下したのは曹仁だし、何より曹操の軍はまだ発足して日が浅い。軍としてはまだ発展しているところで、誰もが最適な判断を下せるほどに熟成してはいない。


 だからこそ曹仁はここが正念場だった。

 数々の思考をトライアンドエラーして、だがそれすらも叶わない災厄が降り注ぐ。


「そこかぁ、曹仁んんんんっ!!」


 張飛が来た。


 身長と同じほど、2メートル近い棒をぶんぶん振り回してくる様は、まるで悪鬼だ。小柄と侮っては一撃でやられる。それほどの威圧がまだ16の少年から放たれていた。


(この男は……!)


 だが曹仁もさるものだ。

 常人なら逃げるかその場でへたりこんで動けない圧を、気合でかき消す。同時、その追い込まれた状況に彼の思考は全てを放棄した。


「範(はん)! 旗を取りに行け!!」


 大声で別動隊の指揮官に対し命令を下す。あわよくば曹操たちの元へも届きそうなほどの大喝。

 そう、曹仁は何も考えずに勝利を選んだ。いや、完璧な勝利だ。張飛をここで自分が止め、その間に敵の旗を取る。敵の全滅より、ルールに乗っ取った完全なる勝利。それが曹仁の頭に描かれた未来だ。


「おもしれぇ! その前にてめぇをぶっ殺して旗を奪う!」


「やってみろ!! これより我が背は不侵の領域と化す!! 何人たりとも通さん!!」


 両足を左右に広げて踏ん張りを入れる。手にした棒は長すぎず短すぎず。それを一振りして感触を確かめると、張飛の攻撃に対するよう全神経を集中させる。


 張飛が槍を思い切り振り回して曹仁の頭部目掛けて横なぎを繰り出した。いかに兜をかぶっていて模擬戦用の槍とはいえ、思いきり叩きつけられれば怪我はする。いや、張飛が本気で振り回せば、当たり所も悪ければ本当に死ぬかもしれない。

 張飛はそうなってもいいと考える。模擬戦とはいえ戦いだ。弱ければ死ぬ。負けたのはそいつが弱かったから。そう曹操にも弁明するつもりだ。それが通らなければ自分が死ねばいい。それくらいの単純さで考えていた。


「おぉぉぉぉぉぉ!!」


 曹仁は叫び、張飛の攻撃に対し、真っ向からぶつかった。棒をぶち壊れろとばかりに叩きつける。

 これまで兵を玩具のように吹き飛ばしていた張飛の一撃。それに真正面から叩きつけるのはよほどの命知らずか――


「ぬっ!」


 ――真の実力者か、だ。

 曹仁とて曹操に認められた一軍の将だ。曹仁の反撃は、張飛のそれと拮抗した。その光景に張飛すら真顔にならざるを得ないほどだった。


(この男。ただの木偶(でく)じゃねぇ!)


 劉備の下で暴れまわり、武勇では義兄である関羽を除いて敵う者はいなかった。戦場でも蒼武を降りて戦いもして経験はそれなりにある。それでも張飛は傷を負うどころか、一度の戦場で数十人を相手にして余裕で勝ってきた男だ。

 その一撃がこうして受け止められる。自分に勝る者は義兄以外いないと豪語していた張飛にとって、それは衝撃だった。


 だがそれは曹仁にとっても同様だ。


(この男の力は……どこにいたのだ!)


 曹仁とて洛陽での活躍をはじめ、黄巾賊の反乱に対し連戦を重ねた男だ。それなりに敵を見てきた。その中で自分に武勇で勝る者は曹洪を筆頭に、片手で数えるほどだと自負していた。その中でもとびきりの男が、今まさに矛を交わしている相手だということに驚きを隠せない。

 互いの力量に驚愕を隠せない2人。

 だが個人として互角であっても、やはり張飛の方には勢いがあった。張飛を先頭に後ろに300人が続く。その勢いは簡単に止めようもなく、背中からの後押しに力を得た張飛の攻撃に、曹仁は次第に押されていく。それでもほんの数センチごとに下がる曹仁の守備の姿勢はこれまでにない粘り腰を彼が発揮している証左。


(今はただ守れ! それだけで我が軍の勝利だ!)


(こいつ……! ぶっ飛ばして俺の勝ちだ!」


 自分の身は捨てても、軍としての勝利を選んだ曹仁。

 捨て身の覚悟で一気に勝利をもぎ取ろうとする張飛。


 対比の2人がぶつかり合う一騎討ち。その拮抗は一気に崩れた。

 軍としての勢いのある張飛だったが、次第にその勢いは鈍り始めた。先頭を行く張飛が進んでこそ軍にも勢いが出た。それが押されるとはいえ曹仁に止められていたのだ。勢いをプラスして互角以上の勝負をしていた張飛の軍だが、その勢いが止められたとなれば話は変わる。

 個人の武勇としては曹操の下で徹底的にしごかれた軍人である曹操軍の方が上だ。主将である曹仁にならったのか、兵たちも粘り腰で張飛の兵を抑え始めた。

 そうなれば勝勢は逆転する。曹仁はここで粘れば、別動隊が丘を登って旗を取る。それで勝ちだ。対する張飛は、止められた勢いを再び盛り返して一気に旗を取らないといけない。


「くそがぁ! さっさとどきやがれ!」


 その戦況の変化に勝負を焦った張飛が大振りになったのを曹仁は見逃さない。


「甘いな!」


 これまではひたすらに張飛の攻撃を受けていた曹仁が、初めて機敏に動いた。大振りの一撃をスッと身を引くことで回避。空ぶりを誘ったのだ。

 それに対し張飛の攻撃は空を切る。そこに狙いをすまして反撃すれば曹仁の勝ちは間違いない。旗の奪取と共に張飛を叩きのめす。それこそ真の完全勝利。

 その美酒に飛びつこうと、曹仁が武器を大きく振りかぶったところで――


「かかりやがった!」


「しま――」


 曹仁は愕然とした。空ぶりに体が泳ぐ張飛、のはずが、大きく右足を踏み込んで耐えると、曹仁の方をギラリと睨みつけたのだ。

 雑になったと見せかけて、曹仁側の雑を誘った。張飛の機転勝ちだ。張飛はその小さな体に似たすばしっこさを見せ、曹仁の攻撃を回避する。それに返す張飛の一撃が曹仁の腹に激痛をもたらした。


「ぐっ!」


 その一撃で意識を失わなかったのは、さすが鍛え上げられた曹操軍の一員か。


「っしゃあもらった!」


 痛みに悶える曹仁を、張飛は捨て置いた。一騎討ちの勝敗はついた。あとは旗を取るだけで勝ちだ。そう判断したのだ。

 曹仁は舌打ちする。彼の後ろには誰もいない。いや、いたとしても張飛の武勇に勝てる者はいない。そうなれば本陣にある旗は張飛によって取られるしかない。それは負けだ。


(倒される!? 俺が! 負ける! それは――)


 曹仁はぐっと歯を噛む。そして右足でたたらを踏んだ。

 敗北を否定するように。倒れることを拒否するように。


「さ・せ・る・かぁ!!」


 地面についた左足を思い切り蹴る。飛んだ。張飛の背中。そこに届くか。いや、届かせる。手を伸ばし、その腰帯を掴むと一気に手繰り寄せ、そのまま腰に抱き着いて押し倒そうとする。


「このやろ!!」


 張飛が倒れないようなんとか重心を再び前にしてこらえる。だがそれで進行は止まった。旗まであと2メートル。手を伸ばしてギリギリ届かない絶妙な距離。

 そして生まれるのは綱引きだ。

 張飛はあと一歩前に出たい。曹仁はここで張飛を引きずり倒したい。その相反する力が拮抗し――だが不意に破れた。


 一歩前に進むだけでいい張飛に対し、態勢が崩れて引き留めるのではなく押し倒すのが精一杯の曹仁では力のベクトルが圧倒的に不利だ。だからどれだけ引っ張っても倒そうとしても、斜めに入る力は真横に進む力より弱い。

 同程度の力でそうなら、曹仁が負けるのは時間の問題。そしてそれは10秒に満たない時間。


「おらぁぁぁ!!」


 張飛は曹仁の体を引きずって一歩、前に出るとそのまま旗に手を伸ばし、ようやくそれを手中にした。


「おらぁ! 俺の勝ちだぁぁぁ!!」


 張飛の咆哮が戦場に響く。


『試合、終了ー!!』


 審判役の蒼武からスピーカーを通して声が響く。同時、空砲の光銃が空に向かって放たれた。

 軽い爆発音が、青と白に塗られた空のキャンパスに虚しく響く。


(負けた……)


 ごろんと仰向けに倒れた曹仁は大きく息を吐きだす。負けた。連戦連勝を重ねてきた戦績が、まさかこのような田舎の義勇軍のしかも子供に黒く塗りつぶされるとは思ってもいなかった。

 けど彼はどこか爽やかな気分だった。どこかこれまでと違った戦い方ができた。その爽快感だ。自らを捨て、一気に勝利を目指した。その果てに届かなかった。それでも何か1つ殻を破った。そんな気分。


 その時、空の中に1人の男の顔が見えた。見た目は少年に過ぎない。だがその少年が自分を負かせた。そのことに不思議と悔しさはない。憎らしさがあるくらいだ。


「よぉ。どんな気分だ」


「最悪だな」


「ふん、そりゃこっちのセリフだ」


 そう言って張飛が右手を差し出して来る。とどめを刺す――わけではない。倒れた曹仁を起こそうと手を貸してくれているのだ。それを感じ取った曹仁は彼の手を掴み、いとも簡単に引き起こされた。


「なにがだ?」


「ちっ、やりやがったな。あれだよ」


 張飛の視線の先。そこある小さな丘の上で300人ほどの兵――別動隊が丘を占拠していた。その部隊長の手には、張飛チームの旗がしっかり握られている。


「えいえいおー! えいえいおー!」


 味方の勝鬨(かちどき)に、曹仁は勝ったということを初めて理解した。

 張飛に奪われる前に別動隊は無人の丘を占拠して旗を取った。ほぼ同時といえど、わずかながらに曹仁の方が速かったらしい。戦場では負けたが、模擬戦では勝ちは勝ちだ。

 ただ曹仁としては納得しがたい結果ではある。ギリギリ運よく勝てたと言われても仕方ないからだ。だからと思う。自分は少し考えすぎた。考えつつも、果断な判断をしたことが勝利につながることがある。それは彼の新たな気づきだった。


 張飛と目があった。似たようなことを考えていたのか、張飛は唇をへの字に曲げて、


「次は負けねぇ」


「なら次こそ完ぺきに叩き潰す」


「へっ、やりづれぇやつ」


 そう言って張飛は笑った。曹仁にとってそこに嫌味はまったくなく、どこか爽やかな年相応の少年の笑みだった。

ここまで読んでいただき大変ありがとございます。

ブックマークや評価、感想をいただければ今後の励みになると思いますので、どうぞよろしくお願いします。

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