第参拾壱話 一戦
模擬戦は官軍の駐屯地から南西に5キロほど向かった平原だった。
そこなら黄巾の基地から遠いし、その間に皇甫嵩が守る官軍の拠点があるため、敵に襲われる心配もない。
その平原の東側にある陣地で、劉備は戦場となる広場を鈴、関羽、張飛と眺めていた。
「第一戦は旗の奪取戦か。いけるのか、益徳?」
「おおよ! 張飛の“飛”は、“飛”んで行って敵をぶん殴るって意味だからな!」
「ん……いや、それダメだろ!!」
「かははっ! じゃ、言ってくらぁ!」
大きく笑い、模擬戦用の長い棒を担いで揚々と歩き去る張飛を、3人は心配そうに見つめる。
「心配だな、兄者」
「あ、ああ……」
「そ、そんな深刻にならずにさ、応援! 応援しようよ!」
「そうだな、鈴。よし、もっと近づいて益徳を応援するぞ!」
「大将ぉー!!」
その時だ。
居残りの兵の1人が慌てたようにこちらに駆けてきた。
「そ、そ、そそそそ!」
「そ? なんだ、落ち付いてはっきり言え」
「そ、曹将軍がこちらに!」
「……なにぃ!?」
一応模擬戦の相手だ。敵だ。だからそれぞれの陣地は逆側に置いてあるわけだが、それをわざわざ反対側に来るということは、と意味を探ってしまう劉備だった。
「玄徳、邪魔するよ」
そう気さくな様子で来たのは確かに曹操だ。後ろには荀彧が粛々と付き従っている。その小柄な2人が並ぶ様子は、幼い姉弟がふらっと遊びに来たような感覚を覚えさせる。
だが彼女が羽織るのは将軍級の人物のみに許された青のマント。それを平然と着こなす彼女が常人であるはずがない。
隣の鈴は、格好いいと憧れの曹操がこちらに来てくれた喜びの笑顔を見せていたが、逆に劉備はえもしれぬ恐怖を抱いていた。
(なんだ、この女……俺より年下で、身長なんて鈴くらいしかないのに……この圧)
彼女はただそこにいるだけだ。なのに気おされている自分がいる。そう劉備は感じた。
それと同時。
(身長は小さいがスタイルはいい。胸は……置いといて腰の高さが半端ない。スカートから伸びる生足に、ブーツがきゅっと締め付ける感じ。顔もちょっときつすぎる印象があるけど、美人に部類する方だ。ぶっちゃけ俺は好みじゃない。好みじゃないが……数年後にはなかなかエロい体に育つんじゃないか……)
という女好きの面が出てしまったのは、二十歳前の青年には仕方のないことだろう。
だがそれを明敏に察したのは隣で曹操に憧れの視線を向けていた鈴だ。すぐに目に険を宿し、
「むっ」
違った視線を曹操に投げていた劉備の足の甲を踏み抜いた。
「痛っ!! な、なんで踏んづけるんだ、鈴!」
「別に。なんか変な感じがしたから」
(こ、こいつ。俺の心でも読んだのか!?)
ある意味一番味方にゾッとした劉備だった。
「ふっ、面白い2人だな」
そんな2人のやり取りを、曹操は真意を知ってか知らずかそう評した。
だがすぐにその視線はもう1人。彼女にとっては見上げるような巨漢の関羽に注がれた。
急に見つめられ、関羽としては何を言っていいかわからない。彼にとっては上長(劉備)のさらに上の最高責任者だ。本来、言葉を交わす関係にはない。
だが曹操の好奇心に満ちた爛とした瞳が関羽を捉えて離さない。
「な、なにか?」
「なるほど。龍は宿してはいないようだが……それでも稀に見る威がある。名は確か関羽」
「はい、関雲長と申す」
「ああ。幽州の侠客だとか。色々と暴れていたらしいが、それが今こうして官軍に入っている。私は豪傑関羽の参加を歓迎する」
「っ!?」
なぜそれを、という顔で驚く関羽。それは劉備も同じだった。
それは関羽が義勇軍に入る前、劉備と出会ったころに名乗っていた異名だった。つまり捨てた名だ。
それをあたかも前から知っていたかのように披露する曹操。その情報収集力の高さと、記憶力の良さに2人は改めてこの目の前にいる人物の大きさを知った。
「さて、私はこの模擬戦を、これから君らと共に観戦したいと思ってね。ここまで来たんだ」
「え?」
「ともに戦うのだろう? 互いを知るためには戦うこと、そして何より語ることが一番大事だと私は思っている。そうじゃないか、劉備?」
その物言いに関羽はカチンと来た。この時代。下の名前を親や上司以外が呼ぶことは無礼とされていた。劉備と呼ぶことが失礼にあたるのだ。
本来ならここの総大将は曹操なのだから、その言い方は間違っていない。だが、関羽にとっては劉備と曹操は一軍の長、対等の立場でしかなく、今回は指揮系統を一本化するために便宜上曹操が上になっているだけという認識だ。おそらく張飛もそう感じている。
だから正当とはいえ、その言い方が関羽には気に障った。ましてや相手は自分や劉備より年齢も身長も小さい。小馬鹿にされた感が否めない。
だからあるいは、そこで劉備が止めなければ大惨事になっていたかもしれない。
劉備は義弟の不穏を感じ取り、関羽の前に一歩出ることで彼を制した。そのうえで曹操に頭を下げて、
「こちらこそよろしくお願いいたします、曹将軍」
「そうか。ならばこちらで観よう。君のもう1人の義弟についても色々教えてくれ」
関羽の圧に気づいてか気づかずか――おそらく前者だろう。そのうえで曹操は優しく笑う。
それを器の違いと感じ、劉備と関羽は言いようのない敗北感に苛まされていた。逆に鈴はそれら気配を感じ取りながらも、何が起きているのかはまったく理解していなかった。
一方、張飛は集めた300の歩兵の前で身長に見合わぬ大声を出していた。
「いいか、この旗を取られたら負けだ! 逆に敵の大将が持ってる旗を取ればこっちの勝ち、簡単だろ!」
豪快に笑う張飛の足元には小さな旗が、そよかぜに吹かれてはためいている。
「っつーわけで。よーし、てめぇら! 気合いれてけよ! 相手は3倍って話だ!」
「さ、3倍ですか……」
さすがに平地で3倍を相手にすれば普通に押し負ける。ましてや彼らは義勇軍。一般人が世のため国のためと立ち上がった兵たちだ。戦は素人でしかない。
対する曹操軍は、彼女が自らの私財で集めた腕っぷしの良い兵たちで、官軍の兵として腕を鳴らしていた夏侯惇らに鍛えられている。まともに戦っては勝てるはずもない。
開始する前から、義勇軍300は一気に士気が低下していた。
「安心しろ! そのためにここ、俺たちは丘の上に陣取っている。柵も作っていいって話だ!」
「おお、それなら……」
丘の上なら相手は攻め上がる。弓にせよ槍にせよ、打ちおろす方が強い。さらに柵をしっかり作っておけば、それを取り除く隙を狙って敵を倒すことだってできる。果たしてそれで3倍の差を埋められるかは疑問だが、平地で真正面からぶつかるよりは断然マシだ。模擬戦といっても槍や矢が当たれば痛い。なるだけ怪我したくないというのは人情だろう。
だから丘の上を要塞化して、守備に専念すれば勝てはしないが負けはしない。要塞化された黄巾賊の本拠地の予行練習もかねてちょうどいい塩梅だ。そう誰もが思ったが……。
「だが俺たちゃそんなもんは要らねぇ! 敵を徹底的にぼっこぼこにする!!」
「えぇぇぇぇぇぇ!!」
「誰だ、文句言ったのは!!」
兵たちの大文句に雷を落とす張飛。その上官も怖いが、3倍の敵に真正面から突っ込むのも怖い。
結局、どちらの怖さを取るかということで、万が一を取って、勇気のある1人が手を挙げた。
「あ、あの。せっかく、こうやって陣地があるんですから、守っていくのもいいと思うんですが……」
「それは好かん!」
「す、好かんって……」
「いいか! 張飛の“飛”は、敵をぶっ“飛”ばすの“飛”だ! 敵をぶっ“飛”ばして勝つぞ!! これ以上文句言う奴は、俺がぶっ“飛”ばす!」
断固退くつもりのない張飛に、兵たちは全て諦めた。
なるだけ怪我しないように動こう。誰もがそう心に決めたほどに。
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