第弐拾弐話 兄妹
「嘘……でしょ」
鈴には理解できなかった。本当にこの世には理解できないことが多すぎる。それを彼女の無知と取るか、あるいは彼女を守ろうとした力が働いた結果というべきかは分からない。
けれども真実を知った彼女がどちらと取るか。それは彼女にしかできないことだ。
「……………」
だがそれに孔明は答えない。
それは女頭領の言っていることを肯定しているのと同じで、鈴にとっては悪夢以外の何物でもなかった。
まさか兄が人殺しで、汚れ仕事で稼いだ金で自分たちを養っていたのだと知ったのだから。
「はっは! 傑作だね! 妹のために手を汚し続けた兄! そんな兄を純粋な人間として尊敬する妹! あぁ楽しい! こんなクソみたいな世の中だ、それくらいの喜劇はあってもいいよねぇ!!」
女の笑いに合わせて周囲の黄巾も下卑た笑いをあげる。
捕まった鈴。妹を案じ武器を捨てた孔明。蒼武に乗った劉備も状況を理解して動けない。
「さぁて、優しいお兄ちゃん。光銃を捨てな。それと、そっちの蒼武。そいつをいただこうかい。そいつが噂の新兵器って奴だろう? 見た目はしょぼいが、うちの蒼武を吹っ飛ばした馬力だ。くくっ、そいつがあれが大賢良師だろうが張角だろうが」
欲に塗れた笑みを見せる女頭領。
「お兄ちゃん、嘘だって、言って。お兄ちゃんはお兄ちゃんだって」
「…………すまない」
「すまないって、なに? だってお兄ちゃんは、頑張って働いてたんでしょ? そうだよね、お兄ちゃん!」
「その働くが汚ねぇ金だってことだよなぁ! お兄ちゃんさんよぉ!」
「そんなことない! だって、お兄ちゃんはいっつも一生懸命で! いつも自分より私たちのことを気遣ってくれた!」
「だがふたを開けてみればこれだ! お兄ちゃんの正体は人殺しのクズだってこと! あーあ、騙されちゃって可哀そうだね、妹ちゃん。しかもこんな悪党に刃物を突きつけられちゃって! まぁ、あたしがやってんだけど。くひゃひゃ!」
女頭領の歪んだ笑みに、黄巾の連中も下卑た笑みを浮かべる。
その中。鈴と孔明の間には別の空間があった。2人しか通じない、視線が交わされる領域。鈴は孔明の視線を受け、その瞳に戸惑いと憂いと後悔と苦悩を知った。
そして孔明は、突きつけた銃をにわかに降ろした。そして口を開く。
「鈴、1つだけ言わせてくれ」
「…………なに」
「誰が何と言おうと、お前と均をしっかりとした一人前にするのが謹の兄貴との約束だった」
「一番上のお兄ちゃん?」
「お前はあまり覚えてないよな。けど今、謹の兄貴は呉郡で働いてる。その給金の一部も受け取ってる。そして何かあったら呉に来いとも。それでも俺はそうしなかった。ここで、あいつに出会ったからだ」
兄の懺悔に、鈴は衝撃を受けていた。
彼の言う“あいつ”が劉備を指しているのだと鈴には分かった。
「だからお前が裏切られたと思うのは仕方ない。けど、俺はお前らのためにやってきたことだと思ってる! いや、違うな。それはお前らをダシにしてる言い方だ。俺は確かに人殺しだ。けど、俺はたとえ何べん生まれ変わろうとも、俺は家族を守るために手を汚すことは厭わない」
「お兄ちゃん……」
鈴は喉元に刃物を突き付けられているのを忘れて兄の言葉に聞き入っていた。
同時、涙があふれてきた。
悲しい涙ではない。悔しい涙だ。兄をここまで追い詰めたのは鈴たち自身のせいだ。自分たちがどうやって養われてきたか、守られてきたか、そんなことを考えもせず、ただ毎日を過ごしてきた。それが悔しい。
「鈴、泣くな。俺はお前らが笑って無事に生活してくれるだけで十分だ」
「……うん。ごめんね、お兄ちゃん」
「謝るなよ。俺も、謝りづらい」
「はいはい、湿っぽいのはそこまで。じゃあお兄ちゃん、さっさと光銃を捨てな。いや、こっちに投げな」
通じ合った兄妹の間を引き裂くように女頭領が憮然と告げる。
孔明はその言葉に迷ったように、両手で握った光銃を地面に捨てようか、それとも握ろうかと挙動がぶれる。
「ダメ、お兄ちゃん! 撃って!」
それは鈴の渾身の叫びだった。
(こんな女の言うことを聞いたら、絶対ダメになる。私はどうなってもいい。劉お兄ちゃんと一緒に逃げて! 生きて!)
その裏に込められた思いを、一言一句間違うことなく孔明は理解した。
だがそれに頷くということは、これまで彼が必死に守ってきた家族を壊すということ。それだけは彼にはできない相談だ。
「おいおい、そりゃいけないよ。お兄ちゃんが光銃と蒼武を渡す。そうすれば2人は無事に解放される。それ以外に道はないと思うけどなー」
当然、女首領に2人を解放するつもりはない。
相手は裏社会で名の通った狂犬だ。逃したら何をされるか分からない。だから解放したらその場で光銃の試し撃ちをするつもりだった。ターゲットは3人。仲の良い兄妹と蒼武乗りの3人だ。
「こんな女の言うこと聞くことない! 撃って、お兄ちゃん!」
その殺意を感じ取ったのか、鈴が吼える。
だが孔明はそれに答えない。応えられるはずもない。
迷い、悩み、苦しみ、それでも結果が出ない。
その外からは完全に行動が停止してしまったように見える孔明に、女頭領は呆れ果て、
「はぁ、もういい。おい、お前ら。そいつから銃をとりあげな」
命令に従い、何人かが孔明の周囲を取り囲むようにする。当然、剣をしっかりと孔明に向けて警戒は怠らない。
「ダメ、お兄ちゃん! 逃げて!」
「っ……あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「よせ、孔明!」
鈴が悲痛の声をあげ、孔明が惑乱したように叫び、劉備が決死の怒声をあげ、女首領が高笑いする。
全ての思惑が交錯し、
全ての感情が爆発し、
全ての生命が炎上した。
その時だ。
爆音が響いた。ただ燃えた家が爆ぜたわけでも、爆弾による破壊工作でも、蒼武による破壊音でもない。
断続的に響く胸の奥を揺さぶる異音。そして大地を揺らす振動。
何事か。その場にいる誰もが困惑したように周囲を見渡す中、爆音が急接近してくる。
方向は東。鈴と孔明の中間あたりの右手側から、2つの大きな影が飛び出した。
それは人の声を伴っており――
「おらおらぁ!! どきやがれ、てめぇら!!」
影は3メートルほどの大きな物体で、宙を飛んだと思われるそれは前後についた2つの車輪で地面を噛んだ。そのまま車輪が高速回転し、地面を削りながら広場を駆けまわる。
蒼武の開発に遅れること200年。その技術を活かし馬に代わる移動手段として開発され今なお試作器が作り続く高速機動二輪車――通称・馬居倶。
それに乗るのは、2メートルに近い巨漢。1人は長柄の矛を持つ、美しく流れる髭を持つ男。もう1人はこれまた長い槍を持つツンツン髪の小男。
その2人は同時に、名乗りを上げる。
「関羽雲長! 参上!」
「張飛益徳が来たぜぇ!!」
2人の乱入により、全てが一気に動いた。
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