第拾玖話 距離
ピィィィィ!!
駆ける鈴の背後から、笛の音がけたたましく響く。
鈴は振り返ることもなく、その真実を知ることはなかったが、それは鈴によって2番目に蹴り飛ばされた男が、仲間のために吹いた笛だった。
ただ鈴にとってはそれが何かなどどうでもよかった。村はずれの劉備の家。そこに駆けつけることが一番大事でしかなく、それ以外のことは些事だ。
とはいえ、道端に転がる見知った人の死骸を見る時は、悲痛な顔になってしまう。こんなことになるなんて昨日、いや、今朝にも毛頭考えたことはない。それもそうだろう。人間、まさかこんな惨事が起きることを想定して毎日生きていたら、それこそ心が病んでしまう。だがそれが願望でしかないと彼女が気づいた時にはもう全てが遅かった。
それでも鈴はもっと警戒すべきだった。賊がたった3人でこれほどの殺戮をするはずがない。その証左に、先ほどの男は仲間に笛で伝えたのだ。
そしてそれはすぐに表れた。
「はっはー! まだ生き残りがいやがったか!」
「おい、しかも女だぜ」
「つか南ってことはあの馬鹿3人の持ち場でしょ。なにあいつら、やられたの? ダサっ」
先ほどと同じく黄巾を頭に巻いた男たち、中には女もいる、が次々と現れる。右に7人。前後から5人ずつ。17人に囲まれた。しかも先ほどの連中と異なり、全員が全員、反りの入った刀や槍で武装している。その刃には、これまでの凶行を物語る村人たちの血がべっとりついていた。
武装勢力はそれだけではない。
地面を揺らし、燃える家屋の影から現れたのは、人間の形だが人間ではない。人の5倍もの全長を持ち、人より速く動き、人より容易に人を殺せる兵器。
「……蒼武」
鈴はその姿を山菜摘みの途中で見ていたのに、まるで初めて見たと言わんばかりに目を見開く。
それほどまでに村人たちの身に降りかかった災厄に心を引っ張られたのだろう。
鈴は完全に包囲されていた。すでに全てを破壊し略奪し終わったのか、あるいはもうここには村の生存者はいないのか。後者ならば最後の生き残りである鈴に注目行くのは当然だ。
だが先ほどの男たちと違って、すぐに鈴に襲い掛かることはなかった。それを不思議に思っていると、
「嬢ちゃん、運がいいね。いや、悪いのか」
声と共に前から人をかき分けて出てきたのは右目を眼帯で覆った20半ばの女性。それが女性だと分かったのは黄巾から垂れる長い髪と、薄着から覗く胸元から。だが他の男と変わらぬ筋肉の量と、角ばった顎に他者を威圧する眼光は、その女がただの村人ではないことを物語っている。
その推測は、女に対する他の黄巾の態度で裏付けられた。
他の誰もがその女性に一定の距離をもって、どちらかというと畏敬の態度を取っている。この女がこの集団の首領らしいことは、鈴にも理解できた。
「なんで、ですか?」
「あん?」
「なんで……こんな、ことしたん、ですか? こんな……酷いこと」
恐る恐るながらも、それを聞かずにはいられない。なぜ村が襲われたのか。なぜ皆が殺されなければならなかったのか。
それを知るために鈴は勇気を振り絞って発言した。どれだけ怖くても、どれだけ恐ろしくても、それを聞くまでは死ねない。そう心に決めていた。
だがそれを聞いた女首領は、一瞬きょとんとすると、不意に笑い声をあげた。それは周囲に伝播して爆笑の渦が沸き起こる。それを鈴は信じられないことのように呆然と眺める。
なぜ自分が笑われているのか。それが全く理解できず、まるで言語の通じない異民族と会話しているような気分になる。
「なんで、なんで笑うんですか」
「笑うさ。なぜこんなことをしたか? 決まってるさ、そんなこと! なぁ、お前ら! こんなクソみたいな時代だ! 奪えるところから奪う! 奪ったら殺す! 殺したら燃やす! それだけのことだろうが!」
女首領はさも当然のように言い放ち、他の黄巾に同意を求める。それを受けた黄巾が喚声を上げる。
「黄巾の教えなんて関係ないね。いや、黄巾の奴らには感謝してるよ! 奴らのおかげで武器や蒼武までも手に入りやりたい放題だ! 連中には、奪った金の一部を上納すりゃ何も言わないしなぁ!」
「そんな……ことで」
「そんなことがまかり通るのがこの世の中だよ! はっは! ああ、素晴らしい! だがね、そもそもお前らが悪いんだよ」
「……私たち?」
「そうさ! お前らがここで黄巾の奴らを潰す新兵器を作ってるって話が、こっちまで漏れてんだよ! それであたしたちはここを襲うよう言われた。つまり趣味と実績を兼ねたお仕事でもあるわけだ」
「…………」
もはや鈴に声はない。目の前の人物が語った真実がまったく心に響かない。意味が理解できない。まるで遠い国の出来事のようで、現実味がない。
「というわけで、だ。お前、知らないか? この村の連中、全員に聞いたんだけどよ、誰一人答えてくりゃしないんだよ」
「ぎゃはは! お頭! そりゃ後ろから串刺しにされて答えられるやつぁいないでしょうよ!」
「ふん。本気で命乞いしたいなら、死んだ後でもしっかり答えるのが筋ってもんだろ」
「ふひゃひゃひゃ! そりゃちげぇねぇ!」
(この人たちは何を言ってるの……? 本当に同じ人間なの? そんな訳の分からない、当てつけのような理由で皆は殺されたの?)
あるいは村からさらに北へと向かった先にある(万里の)長城を渡った奥。そこに住むという異民族・烏丸の連中なのかと思ってしまう。
「で、だ。どうだ、嬢ちゃん? その新兵器っての、教えてくれたら……」
「……くれたら?」
「一生、こいつらの性奴隷にしてやる権利をくれてやるよ! よかったなぁ、生き伸びることができてよ! ぎゃは!」
女頭領の言葉に、これまでにない喚声があがる。
あまりに突飛すぎて鈴はすぐに理解できない。けど自分の未来はもう、今か少し先かに死ぬ以外のことがないのだとはっきりと理解できた。
四方は囲まれ逃げ場はない。それを悟ると立っていることもできない。その場にへたりこんでしまう。
「おいおい、こんなことで腰抜かされても困るんだよなぁ。こいつらの奉仕で腰を抜かすならまだしもな、ぎゃはは!」
『お頭ぁ!』
黄巾の蒼武から外部スピーカーで声が響く。蒼武の操縦者が緊迫した声色で、女頭領は水を差された様子で不快そうに怒鳴る。
「なんだい、いいところに!」
『こっちに高速接近する機影を確認しました! 蒼武です!』
「ほぉー。それが新兵器だ。つまり村の外に隠してたってわけか……。おい、魯。振はどうした? 村の北にはあいつが行ってるはずだろ?」
「それが、どうも連絡が取れず……」
「ちっ、だからあの馬鹿に貴重な蒼武を任せたくなかったんだ」
苛立ちをあらわにする女頭領。だがすぐに気を取り直したようにフッと嘆息し、蛇のように舌を出して底意地の悪そうな笑みを浮かべると、蒼武に向かって叫ぶ。
「魯! その蒼武を任せるよ!」
『了解す! 新兵器だか知らねーけど、ぶっ壊してやるよ!』
「馬鹿言うな! 捕獲して張角に売っぱらうんだよ! 官軍の新兵器だ。蒼武10機と交換できるだろ。余った金はみんなでパァーっと使おうや!」
「うぉぉぉぉ!!」「さすがお頭!」
「よし、てめぇら! 魯の邪魔にならないよう散開するんだよ。燃えた家の影から足を狙いな」
「お頭、この女、どうします?」
「あん? まぁ何かの役に立つかもしれん、捕まえときな!」
「へい。おら、立て!」
もはや抵抗する元気もない鈴は、乱暴に黄巾の男に立たされる。このまま嬲り殺しに遭うのか。そう無感動に感じた。
もはやここに希望はなく、未来もない。村は死に絶え、生きて明日の朝日を見る価値もない。心が沈んでいく。暗い、暗い深淵に誘われ、まさに生きた屍と化した鈴は、襟を乱暴に掴まれた引きずられるがままにされていた。
――その時だ。
『鈴!』
声が響く。
その声は鈴の琴線に触れた。良く知る者の声。距離は遠くに感じる。けれどもはっきりと明瞭に聞こえる。肉声ではない。先の女頭領と蒼武乗りが交わした外部スピーカーの声と同じ。
いや、今の鈴にはそれがどこからどういう風に聞こえてくるかは問題ではなかった。ただ単にその聞こえてきた声の主。それが誰なのか。それが重要で、その意味を感じた時、鈴の意識は深淵から急浮上した。
「お兄ちゃん!?」
読んでいただきありがとうございます。
鈴に降りかかる人災。ここ2話はとても辛いものですが、次回より蒼武同士のぶつかり合いが始まりますので、お楽しみにください。
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