第拾漆話 異変
いよいよ祭りの日が明日に迫っていた。
この時期になると、村人総出で桃の園に出向いて祭りの準備をしている。といっても“ござ”を敷くくらいで、飲食物の提供は当日になる予定なのでそこまでやることはない。余興にしても、飲めや歌えやの乱痴気騒ぎになるだけなので、これといって準備もない。
ただそれでもテンションは上がっているのか、明日の祭りを待ちわびるかのように誰もが陽気になっていた。
そんな中。鈴は明日の祭りで使う山菜を取るために、1つ上の兄である諸葛均と共に山に入っていた。
「ふぅー、こんなもんかなぁー」
流れる汗を手拭いで拭う。抱えた籠には溢れるくらいに山菜が摘まれている。
(今日はいい天気。嫌な感じもしないし、明日もいい日になるといいなー)
澄み渡る青空の下、呑気に伸びをしてみる鈴。
「ったく、鈴はよくやるよなぁ」
と、彼女のもう1人の兄、均が憮然とつぶやく。
彼も鈴と同じ籠を持っているが、その量は半分にも達していない。
「えー、お兄ちゃんに言われたくないしー。てか、もっと真面目にやってよ!」
「はいはーい。ま、自分は別に祭りとかどうでもいいし。だからテキトーにさ」
「もう!」
この均という兄。家族を支えるために単身赴任した長兄の謹と、何をしてるか分からないけど自分たちを守り育ててくれた次兄の亮と比べると、どこか腰が軽い。
鈴と同じく、守られていた、という立場に甘えているからなのか。鈴には分からない。
「はぁー、祭りなんかより、部屋でゴロゴロしてたいってーのー」
「ダメだからね! 明日は劉兄ちゃん関連で色々お仕事あるんだから! 今までみたいに、部屋でゴロゴロしてたら箒で叩きだすよ!」
「へいへーい、分かりましたよ。全く、鈴は誰に似たんだか……」
「少なくとも均お兄ちゃんではないかな」
「反面教師ってことかい、はぁ」
日頃から家に籠ってダラダラするのが好きな兄と、元気いっぱいで即行動の妹。まるで正反対の性格だが、それでも2人の仲は悪くはない。これでも一文無しで日々を流浪しながら生きてきた家族ならではの絆はある。
それから30分ほど均の籠に入れる山菜を摘む2人。そしてそろそろ陽も傾いてきたので戻ろうかという時だ。
「ん、なにあれ」
鈴は何かに気づいた。山の中腹。そこから見える村は、直線距離にして2キロはある。陽が落ちれば辺りは真っ暗闇に包まれるので、村人は家に戻って夕飯を取る時間帯となる。
それなのにどこか様子がおかしい。
「どうした、鈴……って、なんだあれ!」
見えた。煙が出ている。夕食の食事、にしては煙が大きく、黒い。まるで何か大きなものが燃えているような煙だ。それがぽつぽつと、だがはっきりと間違いなく天へ向かって昇っている。
火事か。いや、それにしては広範囲に煙が昇りすぎている。ならば何が起きたか。
「……あれは!」
鈴は見てしまった。
煙を上げる村。そこに複数の人影が見えた。だがそれは人ではありえない。この距離ではっきりと大きさが見える人影は、通常の人間ではありえない。ましてや周囲にある建物よりも頭が1つ抜けているのだから、そんな人間離れした身長の人間は村には1人もいない。
なのにそれが3つ見える。
燃えていた。山が燃える。緑と桃色に染まる村を、赤い悪魔。全てを己の色に染めるために万物を呑みこむ破壊の化身。
もはや炊飯の煙ではない。失火であることは明らかだ。
そこで鈴は気づいた。
同時、心の奥底にしまわれていた、恐怖の扉を開けてしまった。
炎。そしてそこに佇む巨人――蒼武――いや、黄色に塗装されているため、官軍のものではない。人ならざる人型の巨人にて破壊の化身。鈴の生まれ故郷を襲い、両親を鈴の目の前で肉塊に変えた仇の存在。
「あ、あああ……」
瞳孔が開ききったように
嗚咽が口からこぼれ出て、体が震えて止まらない。
過去の思い出がフラッシュバックする。幼心に見た、蒼武により町が焼かれ、両親がただのモノに成り下がった瞬間を。
「っ、しまった! 鈴! 見るな!」
鈴に起こった異変に気付いた均が彼女の視線を塞ごうと彼女の前に出て通せんぼする。だが、鈴の目は兄の胸元を見ながらも、その奥にある破壊の化身を幻視する。網膜に焼きつけられた景色は、視界を塞がれようと決して消えることはない。
「ダメ、ダメだよ、そんなの!」
ヒステリックに叫ぶ鈴。そして、山菜の入った籠を投げ捨て、そのまま均の脇をすり抜けるようにして駆けだした。
「鈴! どこへ行く!」
「ダメだ、ダメだったら!!」
「くそ! おい、待て、鈴!」
均も籠を投げ捨てて鈴の後を追う。だが日頃から走り回っている鈴と、家で引きこもりの均では速さが違う。たちまちに距離がどんどん開いていき、山のふもとに降り立った時には、均の足はがくがく震え、息を吸おうにも酸素が取り入れられず、過呼吸に近い現象に陥ってしまっていた。当然、鈴の姿はもう視界から消えている。
「く……そ……こん、な……こと、なら……」
もっと走り込んでおけば。そう後悔しても全てが遅い。
対する鈴は、山を駆け降った後は、そのカモシカのような長細く健康的な足を前後に勢いよく動かしてさらに速度を上げた。
(なんで。なんでこんな……何も感じなかったのに。そんなこと……)
そのまま丘を乗り越え、林を抜けて坂を上ればそこが楼桑里だ。
――いや、楼桑里だった。
「うっ……」
坂を上った鈴に最初に飛び込んできたのが煙の臭い。そして血の臭い。
板で組まれた家は放火により勢いよく燃え、土壁の家でも中には藁がつまっているので燃える。つまり一度火がつけば、それが延焼してこの村に残る建物はないのだ。
それだけでも悲惨なのに、それを決定づけるのは、道端に転がる人型のもの。かつて人だったもの。
「うっ……おばさん」
朝いつも挨拶するおばさんが背中から血を流して死んでいる。斬られた痕だ。おそらく抵抗する間もなく、逃げようと背中を見せて斬られたようだ。
そんな死体がそこらに散らばる。見知った顔ばかりだ。肉屋のおじさんも、その奥さんも。孫のようにいつも可愛がってくれたおじいさんも血を吐いて死んでいた。
中には頭や体の一部が吹き飛んで中身が散らばっている死体もある。それは人間が出来る仕業ではない。おそらく蒼武。その大口径の光銃による弾丸が、簡単に人を骨ごと吹き飛ばしたのだろう。
そんな地獄のような光景に圧倒されている鈴。
頭が恐怖と混乱と悲しみでその場から動けない。
だがそれが失態であったと、誰が彼女を責められるだろう。
せっかく得た安息の地。それが今や地獄の一丁目に変化している。朝に出かけるまでは平和だったはずなのに、なぜそうなるのか。それを理解するには彼女はまだ世界というものを知らなすぎたが、それを知るにはあまりにもまだ幼い。
読んでいただき、誠にありがとうございます。
平和な日常に襲い掛かる魔の手。辛い内容になりますが、劉備と諸葛兄妹の戦いを見届けていただければと思います。
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