第拾陸話 平和
劉備は、蒼漢王朝における第6代皇帝景帝の第9子劉勝の庶子の末裔と言われている。
言われているというのは、200年以上昔の話だし、そもそも皇帝の本流とかけ離れている点。何より劉勝の子供は100人以上いて、そんなに人数と時間もあれば血も混ざって帝とはもはや赤の他人といっても過言ではないレベルの遠さがあるからだ。
だが彼はそれを誇りに思っていたらしく、
『高祖(漢王朝を建てた劉邦)だって農民だった。なら皇帝の血が少しでも入ってる俺が皇帝になっても不思議じゃあないだろ』
と言っては、周囲を驚かせていた。そんなことが県の役人の耳にでも入れば不敬罪として斬首、村も連帯責任でひどい目に遭わされるだろうことは想像に容易だった。
だがそんなことにならないのは、彼の顔の広さと、その憎めなさから、
『また劉備が変なこと言ってら』
くらいの戯言にしか受け取られていなかったからだ。
そんな彼は顔の広さを活かし、無頼を気取り、各地で遊び惚けていた。それを危惧した母親は彼を儒学者で有名な盧植(曹操と皇甫嵩の会話で出てきた冀州で黄巾賊と戦っている将軍)の下で学ばせたが、素行は一向に直らなかった。
そんな彼がまじめになったのは、去年のはじめに起きた事件――その母の死からだ。
今までの遊び人の風だった気質はなりを潜め、葬儀の後に何かにとりつかれたように家に籠るようになった。そんな彼を村の人々は気でも狂ったか、と心配した。
鈴もその一員だ。
(何かあったのか分からない。けど、劉兄ちゃんのお母さんは、引っ越してきたばかりの私たちにも優しかった。ほんの少ししかお話できてないけど、お母さんってああいう感じなのかな……)
とは鈴の劉備の母に対する評価だった。
それほどに、素晴らしい母親を亡くした劉備が哀れで、何とかしてあげたいとは思うこともあった。
ただ、それを解消した人物は別の人間だった。
それが鈴の兄、諸葛亮である。
彼は劉備と出会うや、何かに導かれるように友人の盃を交わし、彼の母親が亡くなってからはひっきりなしに彼の家に上がりこんでいたのだ。
それから1年。隣村の関羽や張飛ら悪童を巻き込んで、何かをしているかは分からない。けど、何かのために前を見て進んでいる劉備を見て、少し安心したりするのだ。
(本当は私だってもっと……)
とは密かに鈴も思うが、彼女では劉備の傷を癒すことはできたかもしれないが、彼を立ち直らせて前へ進ませようとすることはできなかっただろうと思う。
元来、陽気で考えるよりまず行動の彼女だったが、それは逆に言えば傷つきやすく繊細な心の持ち主と言えなくもない。だから劉備の母の死に引きずられて、共依存のままダメになっていく可能性は十分にあった。
鈴より6つ年上の劉備に対して、より年長の諸葛亮の方が彼に共感しやすく、同時に導いてくれる存在になりえる。それは疑いようのないことだった。だから兄に対し、負けたという思いと、尊敬する思いが交錯して彼女の心を複雑にさせるのだった。
そして今。鈴は彼の家でもらってきた肉まんじゅうをほおばる。
「んー、うまっ! やっぱゲンじいの肉まんじゅうは一番うまい!!」
そう言って劉備はがぶがぶと饅頭にかぶりつく。
「やれやれ、子供じゃないんだからもっと落ち着いて食えよ玄徳」
それをたしなめるのは、すまし顔で饅頭を小さくちぎって食べる諸葛亮だ。
「いいんじゃない? 美味しく食べてもらった方が豚ちゃんも本望だろうし」
「ほら、孔明。鈴の方が物分かりいい」
「鈴、お前はなんでいる」
「なんでって、いいじゃん、別に」
「着替えは受け取った。ならもう帰りなさい」
「えー、いいじゃん。頑張って走ってきたのにー」
「畑の世話があるだろう。均(諸葛兄弟の末弟。鈴の兄)に全部を任せるんじゃないぞ」
「ぶーぶー、亮にいちゃんの横暴だ」
「まぁまぁ、孔明。鈴だって、ここまで荷物を届けてくれたじゃないか」
「玄徳……お前は鈴に甘すぎる」
「亮兄ちゃんは妹に厳しすぎるの!」
ふくれつらで抗議する鈴だが、兄の孔明は素知らぬ顔だ。
「なによ。扉の奥でゴトゴトって変なことしてたくせにー」
「っ!! 鈴、見たのか!?」
そう問いただしたのが、いつも温厚な劉備だったことに鈴は驚いた。
目を見開いた険しい表情で鈴を睨むようにしてくる。その顔に、鈴は初めて劉備に恐怖を覚えた。
「え? な、なにを……?」
「何でもいい。見たのか、見てないのか!?」
「……い、いや見てな……」
「本当だな! 本当に見てないんだな!」
劉備は鈴の腕を掴んで、さらに念を押すようにして詰め寄る。
「い、痛いよ。劉にいちゃん……」
「あ…………すまん」
慌てて劉備は鈴の腕を離す。
「そうだぞ、玄徳。お前、そんな顔を引っ付けて、俺の妹に何するつもりだ」
と、そこで鈴は初めて気づく。劉備の顔が指一本分ほどの距離まで近づいていることに。息を吹きかければ相手にかかる、その距離。顔が真っ赤になり、別の意味で身動きができなくなる。
対する劉備はバツが悪そうな表情でサッと身を引くと、
「……すまん」
もう一度謝った。
「う、ううん。いいの。勝手に入った私も悪いし」
「いや、俺も悪かった。変に、詰め寄って……」
「やれやれ、新婚かよ」
「し、しししし!?」
「おい孔明! 何言ってやがる!」
顔を真っ赤にして慌てふためく鈴と、必死に言い訳しようとする劉備。
今日も平和な風が、春の楼桑里を包み込む。
ここまで読んでいただき、本当に感謝いたします。
平和な劉備、諸葛兄妹の物語。彼らを包む運命とは……。
ブックマークや評価、感想をいただければ今後の励みになると思いますので、どうぞよろしくお願いします。




