第拾伍話 始動
時間は半年ほど巻き戻る。
とある村。
蒼天に昇る太陽に照らされた土壁と藁ぶきの家屋や並木の間を、土ぼこりをあげて駆けていく小さな体がある。
「はっはっはっ」
年齢は12か13ほど。上下ひとそろいの布製の服を着ており、短い裾からは健康的な長い足が伸びている。履いた草鞋が地面を蹴るたびに、息を弾ませたその子供は、手にした包みをぶんぶんと振り回しながら村の大通りを走る。
「おばさん、おはよう!」
途中、家を出て道を掃いていたおばさんに、少年――いや、少年のように見えるその顔と体型から少年と呼ばれがちだが、伸ばした髪と高い声は間違いなく少女のもの――が声をかける。
「おお、鈴ちゃんじゃないか。今日も元気だね」
「ん!」
鈴と呼ばれる少女は、元気よく答えてさらに加速した。
さらに朝の市の準備をしている人たちにも声をかける。
「おじさんたち、おはよう!」
「おお鈴か」
「また劉さんのとこかい?」
「そう! あ、肉屋のおじさんもおはよう!」
「鈴ちゃん、あのぐーたら坊主と兄貴に饅頭食わせてやんな!」
「わっ、ありがとっ!」
放り投げられた包みには、豚肉を小麦粉生地で包んだ肉まんじゅうが3つ入っていた。それを見て鈴の口からはよだれが出るが、誘惑を断ち切るように首をぶんぶん横に振ると、それを自らの包みと合わせて右手で持ち、男たちに向かって左手を上げてぶんぶん振る。
「おい、鈴! すまんが、これ。どっちの卵が新鮮かね。古いのと混ぜて分からなくなっちゃったんだよ」
「んー、右が良さそう」
「そうか! ありがとな!」
「じゃ! 行ってきまーす!」
そのまま駆けだした少女に、残された男たちは微笑する。
「やれやれ、元気だねぇ」
「おいおい、肉屋の。いい子じゃないか。元気がないより全然いい」
「挨拶もしっかりしてるしな」
「まぁな。それにしても劉家の坊主んとこによく行くよ。兄貴がどっぷりって話だろうけど鈴ちゃんには関係……あ? どうした、お前ら?」
「いや、そりゃお前。アレだろ」
「そうそう。いやー、そんなことにも気づかないのはさすが肉屋だ」
「どういう意味だ、あ?」
「そういうとこだよ、肉屋」
そう言って笑う周囲に、肉屋のおやじは憤りを感じていた。
「あんた。店開ける前だってのに、なにサービスしてんのさ」
と、そんな会話に入り込んできた大柄な女性。どうやら肉屋の妻らしい。
「あっ、おっかあ。あー、いやー、あれはなぁ」
「ま、どうせ鈴でしょ。いいよ、あの子はこの村の人気者だからね。ここに越してきて2年か。うちも色々手伝ってもらったし」
「へへっ。そう、その通りだ!」
「けどタダってのはね。こっちも商売だし。しょうがないね、あんたの昼飯を抜きにすれば帳尻あうか」
「そんなぁ~」
情けない声を出す肉屋のおやじに、周囲がドッと笑いをあげた。
「それにしても不思議な子だよ。勘が鋭いっていうのか、良いか悪いかをすぐ当てるんだから」
「おぅ、そういや卵がどうこう言ってたな。どうだ?」
鈴に卵の是非を確認していた男は鈴が選ばなかった方を、その場で割ってみせる。
「お、ほんとに腐ってら。こりゃ鈴ちゃんさまさまだ」
一方。鈴はそんな会話が成されているとも知らずに村を出て道を駆けていた。道といっても舗装されているわけでも、しっかりと区画がなされているわけでもない。ただそこが人や馬が通るので草が生えづらくなっているために道と呼ばれるようになっただけのものだ。
ここは蒼漢王国の首都、洛陽から北の黄河を渡ってさらに北の果て。タク郡の外れにある楼桑里と呼ばれる村で、そもそも人口もそう多くないため、そんなところに人通りが多いはずもない。よってインフラを整備するための投資が行われることもなく、未舗装の道を人々は踏みしめるように歩くしかない。
ただ、早春には梅の花が咲き乱れる園は村民での誇りであり、来週に控えた『桃園祭』という行事に向けて村が活気づいているのは確かだった。
鈴はそんな楼桑里が好きだった。
彼女はもともと中原(黄河流域で現河南省近辺で、蒼漢王朝の首都、洛陽も入る)の生まれで、それなりに裕福な家庭に生まれた。だが時は戦乱と飢饉の時代。そこそこに栄えた彼女の家も、戦乱により分解。父母は死に、家族を支えるために長兄は戦乱から遠い呉郡へと出稼ぎ。残された長女であり末の兄妹である鈴と1つ上の兄は、当時、洛陽の都に留学していた次兄のもとに身を寄せた。
だがそれも当然長く続かない。長兄の仕送りや、次兄の小さな稼ぎでは物価高の都では暮らせないのだ。そこで数多くの辛い思いをしながらも必死に生きて、そしてようやく2年前に仕事にありつけた次兄の出張先であるこの村に住み着いたのだ。
兄の仕事が何かを鈴は知らない。都からはるか遠く離れたこの北の果てまで来たのは、何か理由があるのだろうがそれを聞くことはない。彼女にとって、7つ歳の離れた次兄は大切な兄であり、庇護者であり、そして父でもあった。
それに彼女はこの村が好きだ。都みたいに人の密度に苦しむこともなく、騒音に悩まされることもない。彼女の故郷を奪った蒼武という魔の機械に胸を痛めることもない。
人口は少なくても、逆にそれが人と人との距離を縮める。今では鈴は村のアイドルのような存在だった。彼女のことは誰もが知っていて、彼女も村の人なら誰でも知っている。そんな関係になっていた。
ただその中でも唯一。彼女が、そして彼女の兄が心酔している人がいる。
兄はその人の元でこのところ寝泊りしているらしい。そこに着替えとご飯を届けるのが、鈴の朝の仕事だった。
鈴の家、そして村の中心からその家はそれなりに距離がある。鈴の足でも1時間はかかる。それでも鈴は苦ではなかった。兄の仕事のお手伝いができているわけだし、何よりあの人に会えるのを彼女は楽しみにしていたから。
「はっ、はっ……見えてきたっ!」
しばらくして鈴の前に現れたのは1つの大木。見上げるほど大きな木は、10メートル以上はある。緑生い茂る桑の木だ。
桃の木が大小数百本も植えられている園と合わせて村の名物であり、夏場にはこの木陰に入って皆で酒盛りをするというのが村の習慣になっているらしい。
ちなみに桃の園では、今はもう満開に咲き乱れている。来週の祭りもそこで行われる予定だ。
(まだ1回しか見たことないけど、祭りの時は凄い飾りつけになるんだ。提灯を吊るした夜の桃園はすっごい幻想的で、美しくって……ああ、楽しみだなぁ!)
来週の祭りが楽しみでならない鈴。朝から1時間もの距離を走り抜けるのも苦ではなくなっている。
桑の大樹を横切り、その傍らにある鈴の家より一回りは大きい、けれど都で見た一般的な邸宅より数段劣る土壁の家にたどり着いた鈴は、速度を落とした。乱れる呼吸を整えるのに十数秒を使い、さらに手拭いで汗を拭き呼吸と共に乱れた髪の毛を少し整えると、小さく深呼吸。
そして扉をどんどんと叩いて、反応を待つ前にそのまま扉を開けた。
「お兄ちゃん、劉兄ちゃん、おはよう!」
元気よく挨拶したが、中は静まり返って何の反応もない。見れば窓も閉め切って中は真っ暗だ。
「あっれー? いないじゃん」
ここ2日、兄は家に帰っていない。そういう時はほぼ必ずここに泊まっているのがいつもの兄の行動だったが、今回はそうでもないのか。あるいは県庁に出頭でもしているのか。そう思ったが、それならここの家主もいないのはおかしい。
「むむー? どっかいるのかなー?」
これまで鈴がここに来たときはいつも、この居間で兄は家主と何やら難しい話をしていた。それに混ぜてもらおうとしたが、文字も読めない鈴にはチンプンカンプンで、
『はは、まず鈴は字から覚えないとなぁー』
と、兄に言われた思い出がある。
一応、その時から少しずつ習ってはいるが、まだまだ知らない文字が多すぎて困っている。この村で生きていく上で、それほどに識字は必要のないことだが、兄と家主の会話についていくにはそれを知らないといけないということが、鈴はもっと学びたいという欲を起こさせていた。
あるいは2人して出かけているのか、と思い、居間にある書架から適当なものでも読もうかと思い、棚に並ぶ竹簡(竹に記された札の総称)から適当に読んで待っていようと思った時だ。
ゴトッ
何か音が響いた。
「ひっ!」
驚いて手にした竹簡を落としてしまった鈴は、耳を澄まして神経を集中させる。家主不在のこの家に誰かがいる。あるいは最近流行っている黄巾党とかいう連中が盗みに入ったと考えもした。
だからもしかしたらここで襲われて殺されてしまうのでは。そう考えるとそれだけで心臓が止まりそうだ。
だがそれ以上何も音がしない。人の気配もない。
だから鈴は落とした竹簡をサッと拾い上げて元の位置に乱雑に戻し、すり足で居間を出口の方へと横切る。
ガタッ
ガタガタッ
再び音が鳴る。しかも今度ははっきりとその位置も分かった。
それは部屋の右手。そこにある扉の奥だ。そこは確か寝室だったはず。そこから物音がするということは、やはり泥棒か賊か。
鈴は恐怖で足がすくみ、今すぐ逃げ出したい思いでいっぱいだった。
けどここにいるはずの兄、そして家主のことを考えると、勇気が湧いて鼻息1つ。寝室の方へとゆっくりと進み、そしてその扉の前で止まる。
扉に耳を当ててみるが中は静かだ。いや、わずかにゴトゴトと何か音に加え、小さいが人の声も聞こえた。
(やっぱり……泥棒! でも嫌な感じはしないし……でも、もし今日がダメな日だったらそれもあてにならないかも!)
迷う鈴だが、それより先に事態は動いていた。
ギィっと彼女の目のまえで扉が開く。その中から現れた人影。それが鈴に襲い掛かろうとして――
「きゃあああああああ! いやっ! ダメっ! 変態ッ! 殺さないでぇぇぇぇ!!」
「ちょ、ひっかくな! って、お前……鈴か!?」
「……え? もしかして……孔明お兄ちゃん?」
必死の抵抗が止まる。鈴の前に現れた人物。それは彼女とどこか似ている顔の雰囲気を持つ20代過ぎの若者。
いつもの服装と変わらないはずだが、何をしていたのかすっかり黒く汚れている。彼の白く整っていたはずの顔も、墨でもぬったくったように黒く汚れていた。
姓は諸葛。名は亮で字は孔明。
諸葛家の頼れる次男で、当然彼女――諸葛鈴にとっては次兄にあたる。
「お、お前。来てたのか!」
「来てたのか、じゃないわよ! はい、着替えと、それから肉屋さんからおみやげ」
「おお、助かる! それに……こりゃすごい。おい、玄徳! 肉まんじゅうだぞ!」
「なに!? 肉まんじゅう!?」
と、声を聞きつけて出てきたのは、少年のように目を輝かせた20代前後の青年。大きい。180センチほどもある背丈は、150センチもない鈴からすれば、見上げるくらいの大きさだ。それに耳たぶが大きく、腕が長い。そんな異質な体型の彼だが、弾んだ声は少年のようで、キラキラと輝かせる瞳もまた鈴より年下の少年に見える。
劉備。字を玄徳。
諸葛鈴の物語は、彼と共に始まることになる。
読んでいただきありがとございます。
劉備編開幕でございます。
本来ならば当然、この時点で諸葛亮は登場しませんが、架空の三国志戦記としてお楽しみいただければと思います。
ブックマークや評価、感想をいただければ今後の励みになると思いますので、どうぞよろしくお願いします。




