第拾参話 憩息
「姫、ようやく見えました」
「やったか、荀彧!」
官軍の軍営地に帰還した曹操には、皇甫嵩の小言を永遠聞かされるという苦行が待っていた。とはいうものの、右から左へと聞き流すことであまり堪えてはいないようだったが。
そして自軍の野営地に戻ると、満面の笑みを浮かべた荀彧が待っていた。
その言葉に主語も何もないが、彼女には何が見えたのか分かっている。だからこそ、本来なら女子なら光り輝く宝石を前にして浮かべる快心の笑みを、このような殺伐とした場所で浮かべて見せるのだ。
「よし、作戦室に向かう」
「はい。準備は済んでいます」
野営地の中央に設置した仮設の小屋は作戦室と呼ばれ、今まで荀彧はそこにこもりっぱなしだった。そこに置いたのは、どこに敵の間者がいるか分からないので、機密漏洩保持のために人通りの多い中心部で、しかも閉鎖的な小屋にしたのだ。
荀彧ら整備班は曹操らが出陣している間はやることが減る。そのため、空いた時間を使って曹操から与えられた仕事を少しずつこなしていたのだ。
荀彧は小屋の中に入ると、中央の大机の上に置かれた地図を片手で叩いて示す。そこにはいくつもの丸が墨で描かれており、そこから矢印が伸びてある一点を示している。
「斥候の見た地形と敵の動き、それから軍の展開の仕方を見る限り……敵の心臓部。兵糧基地はここです」
西に官軍、東に黄巾軍が展開する戦場から、南東に20キロほど離れた場所。そこにバツ印をつける。
「ここに黄巾軍20万を支える兵糧があると」
「ええ、間違いなく」
「さすがだな、荀彧。整備士以外にも軍師として十分に通用する」
「そんな。これくらいは情報があればなんとか。こういうことは公達の方が得意ですし」
「荀攸だったか。お前の年上の甥の」
「はい。今は大将軍に見いだされ、その下で働いていると」
「ふむ……欲しいな。お前のその友人という郭嘉と共に」
「いずれ時が来れば参りましょう。今はそれにしても世が乱れすぎています」
「ならばさっさとそこを焼き払ってこの戦いを終わらせなければな」
「はい!」
気持ちいい返事だった。
ただ荀彧に対し、恋心を抱くかといったらそれはないと曹操は思う。確かに荀彧は優秀だし、見目も悪くない。幼さもまた可愛らしさと考えれば、女心をくすぐるだろうし、数年で世の女性を迷わす美男子に成長するだろう。
だが曹操に恋心はない。どちらかというと、愛らしい弟という思いが先だってしまって、恋愛感情に発展しないのだろう。
それもまたいいと彼女は思う。今は恋愛にかまけている暇はない。それよりも武功を立てて、1つでも官職の階段を上ることが大事。そう思うからこそ、人を集める必要に駆られていた。
(この乱はすぐ終わる。だがそれによって蒼漢王朝が正しく上向きになることはない。きっとさらに世を乱す者が現れる。それほどまでにこの乱は、蒼漢王朝の弱みを露呈させてしまった。おそらく野心に満ちた者たちが、武力でもって政争を拡大させるに違いない。その時に判断を謝らなければ……私はもっと高みに行ける)
だからこそ、荀彧の言う荀攸や郭嘉という使える人間は1人でも多く欲しいと感じる。
そしてそのためには、ここで一発逆転の大武功を挙げる必要があると考えていた。
だから曹操は荀彧と休むことなくさらに策を煮詰める。夜になって、疲労で頭が動かなくなってもギリギリのところまで詰め続けた。
その結果、満足できる作戦計画になったのは翌日の昼過ぎだった。
この日は皇甫嵩が全軍を休みの日にしていたから、警備の兵を除いて体を休めることにしていた。もちろんただ体を休めるだけが目的ではない。損耗した蒼武を1機でも多く再生できるように整備士は徹夜で働いていた。
その中。ひたすらに頭を働かせ続けた曹操は、まず自身の身なりを整えるために水浴びをすることにした。
といっても、野営地にお風呂があるわけでもない。蒼武の整備や修理には大量の水が必要なことから、軍営地は川の近くに作られる。よって、その川から水を汲んでストックしてある。その水を浴びて汚れを落とすくらいが関の山だが、それでも十分に気持ちがさっぱりする。だから曹操は水浴びが好きだった。
しかしそこらで水浴びすることはできない。これでも彼女は立派な女だ。それが裸になって水浴びをするなど、男性も多い軍の中では禁止行為だった。
だから周囲を布で覆った即席の天幕の中で水を浴びるという原始的なやり方で水浴びをするのだが、それでも女性が裸でいることは周囲の男からすれば、悶々とする行為であることは間違いない。
それゆえに曹操は水浴びの間、周囲から彼女を守る護衛を選んだ。
「妙才、頼んだぞ」
「受諾」
静かなる狙撃手夏侯淵だ。
彼女は蒼武用の光銃を人間大に改造した専用の銃を抱えるようにして、曹操が水浴びする天幕の前に座り込んだ。その射抜くような鋭い眼光に、何事かと見に来た兵たちは慌てて退散する。
「ふぅ、気持ちいい。妙才、次はお前が浴びるか?」
「遠慮。もったいない」
「お前にはいつも感謝しているのだよ。だから遠慮なくここを使って構わない」
「否定。でも……」
「なに。久しくお前の裸体を見ていないからな。ここは1つ、裸の付き合いと行こうじゃないか!」
「困惑。姫、何発言?」
「さぁ、お前のありのままを見せてくれ。いや、見せるのだ妙才! お前はいつも自分を過小評価してるぞ。お前ほど美しい者はそういない。背の高さに手足の細さ、羨ましいくらいだ!」
「羞恥!」
「さぁさぁ! 一緒に浴びるぞ!」
「停止、姫! あたし、護衛!」
「甘いな妙才。お前の見張りのおかげで近づくような馬鹿はいない。つまりお前が水浴びをしても問題ないということだ。さぁどうした? お前も一度すっきりしたいだろう? なに、この私が許可をしたんだ。誰もお前に文句は言わない。さあ、こっちだ」
「混乱……うぅ」
頭を抱える夏侯淵に、曹操は幕から腕を伸ばして夏侯淵の腕を掴んで一気に天幕に引きずり込む。そしてその天幕から、夏侯淵の服がぽいぽいと外に捨てられる。
「ふふふ。やはりいいじゃないか。このすべすべな肌。筋肉がついているのに、太っているように見えない。完璧だ。うふふ、可愛いな、妙才。いいぞ、いいぞぉ」
「ふ、不触」
「いいではないか、いいではないか。おお、さすが胸の発育も……どれ」
「不可――ひゃ……きゅ、救援!」
「ふはははは、援軍などないぞ。さぁ妙才! お前の全てを私に見せるのだ!」
「ひ、ひぃぃぃぃ!」
夏侯淵の悲鳴が青空に響く。天幕の中がどうなっているか。それは男の立ち入れぬ、禁断の聖域だった。
その天幕から30メートルほど離れた休憩所では曹仁は机に突っ伏していびきをかいていた。
その横で椅子に深く腰をかけて両足を机に投げ出して体を休めていた曹洪は、隣で本に目を通している夏侯惇に向かってぼやく。
「惇のアニキ」
「なんだ、(曹洪)子廉」
「なんか……いいっすね、アレ」
そう示すのは当然、曹操と夏侯淵のイチャイチャだ。
それを悟って夏侯惇は顔を引きつらせる。
「お前、片方は俺の妹だぞ?」
「まぁ、それも含めてアリってことで」
「……はぁ。お前なぁ」
「こう、さ。あっちからぎゅっと回り込んで、なんとか隙間から見れないかな?」
「殺されるな。孟徳に。あと淵にも」
「デスヨネー」
つかの間の平和。それを5人は噛みしめるようにして、一刻一刻を過ごしていた。




