第拾弐話 苦戦
光銃から放たれた弾丸が、曹操のすぐ脇――といっても約10メートルほど離れた位置に着弾した。その位置で地面を20センチほど穿ったとしても、蒼武の装甲には大した効果は得られない。それでも巨大な蒼武から見ればすぐ真横に着弾したように思えるのだから不思議だ。
ただ今の曹操にはそれを考えている余裕はない。
『孟徳! これ以上はまずいぞ! 今すぐ退くべきだ!』
夏侯惇の悲鳴に似た通信が入る。あまり感情を表に出さない夏侯淵はまだしも、曹仁、曹洪の悲鳴も聞こえてくる。
「ダメだ! まだ撤退の命令が出ていない!」
『それじゃあ姫よ! 命令が出なきゃここで俺たち死ぬってことかよ!!』
『ちっ、あの皇甫嵩の野郎! 俺らにこんな――ぐぁ!!』
『(曹仁)子考!! 無事か!?』
『あ、ああ……左肩をやられただけだ……』
『姫。あたしの残弾も残りわずか。どうする?』
曹操は歯ぎしりする。
こんな激戦のど真ん中で立ち往生している場合じゃない。退くなら退く、戦うなら戦う。中途半端が一番悪いのだ。
いや、この場合は撤退一択だ。敵はこちらの迂回策を見破って待ち伏せをしていた。切り倒した木々を土嚢代わりにしてその影からひたすらに射撃をしてくる相手に対し、見渡す限りの平原を突っ切る曹操たちは格好の的だった。
なんとか射程ギリギリのところで、身をかがめて移動しながら反撃することで拮抗した状況は作れているものの、被弾率ではこちらが圧倒的に多い。さらに万が一、膠着した状況に別動隊が森を迂回してくればそれは横撃を受けることになり、そうなれば完敗。全員が帰還することすらおぼつかなくなる。
それでも勝手に逃げることができないのは、これが皇甫嵩の立てた作戦の一部だからだ。正面から皇甫嵩の正規軍が押し出し、その間に曹操らが迂回して横から敵の背後を突く。しかしそれを見破られて待ち伏せされたのだから、作戦自体は失敗に終わっている。
それでもここで敵に後ろを見せて逃げてしまえば、敵がこちらを追って来るならまだしも、曹操らを撃退に成功した敵が皇甫嵩の軍を挟み撃ちに向かえば最悪だ。
それで皇甫嵩軍が壊滅でもすれば、豫洲での官軍と黄巾賊のパワーバランスが一気に敵に傾く。そしてその敗因を作ったのが曹操自身となればそれに彼女は耐えられない。
だからせめて皇甫嵩の方から撤退を合図してもらわない限り、ここで敵の一部を引き付ける役割だけでも果たさなければ意味がないと考えていたのだ。
『くそ! 姫! こうなったらもうどうしようもねぇ! 俺が的になる!』
「馬鹿な、(曹仁)子考! お前、左腕をやられたばかりだろう!」
曹仁の蒼武は先ほど光銃の弾が直撃して、左肩が不自由になっていた。
『問題ねぇよ。それより俺の蒼武が一番装甲が厚い。何発かは耐えられるはずだ』
『厚いっつってもちょっとだろ! 死ぬ気かよ!』
『ならどうしろってんだよ、(曹洪)子廉!』
マズい、と曹操は思う。
皆が余裕がなくなり、熱くなっている。戦闘は熱くなったら負けだ。熱くなるのは視野を狭める。視野が狭まれば、選択肢が狭まる。そうなれば謝った選択をする可能性が増える。それは負けだ。
(ならどうする。退けば敵は皇甫嵩の方へ向かう。かといってここを突破しようにも、仲間の犠牲が激しくなる。ならば退くか。いや、退くのは今後を考えると……だがここを突破しないと作戦が……)
曹操は銃弾が飛び交う戦場の中で思考に没頭した。
味方の動向。敵の思惑。何をして、何をしたいか。何を嫌い、何を避けるか。それらすべてが彼女の脳裏を飛び交い、1つの方向に集約されていく。
そして得た結論は――
「……退くぞ」
『孟徳! いいのか!?』
夏侯惇がさっきと打って変わって反対意見を出してきた。彼にも分かっている。ここで退くことの難しさが。
だがそれに対して曹操は淡々と答える。
「曹洪、曹仁を手助けして先に退け。それから惇、私で殿は淵に頼む。敵が来たら狙撃で注意を引け。当たらなくても構わん!」
『了解、姫』
「全員、集合場所はポイント陸の弐拾伍だ。間違えるな!」
『承知!』『っしゃあ!』『分かった、姫』
それは官軍が使う地図を、方眼に区切って数字を入れた場所の暗号だ。仮に今の無線を傍受されても、彼女らが作った方眼ゆえに敵には場所が分からない。
地形図は曹操は当然、他の4人も徹底的に頭に入れていた。間違えることはないだろう。
被弾した曹仁を守って曹洪が距離を取り、光銃の射程外で反転して一気に離脱に入る。それから夏侯惇。そして曹操が続く。
最後まで小高い丘に身を隠していた夏侯淵が背後に射撃を放ち、積み上げられた木を突き抜けて敵蒼武の胸部に命中した。
『運がいい』
そう呟き、身をひるがえして丘を下る夏侯淵。
それを見た敵は、曹操らが逃げたと考えて追撃に移った。迫る敵を撃つより、逃げる敵を背中から撃つ方が楽なのは歩兵と一緒だ。背中の装甲の方が薄いのもそれを助長している。
まったく手も足もでなかった曹操らが慌てふためいて逃げていく、しかも1機は手負いだ、となれば追撃であげられる戦果は最低でも1機は硬い。
蒼武は1機で1千の兵にも相当すると言われる。ゆえに1機でも減らしたいと考えるのは人情だろう。
黄巾賊の蒼武5機は、隊列を組んで急ごしらえの木々で作った土嚢を乗り越えて追撃に移る。それはまさに得物を狙うハイエナのようで、一気呵成に襲い掛かる虎狼だった。
その機動性は、逃げる曹操たちにとっては脅威だった。やはり追撃を気にしながらの逃走は、その速度にも現れるのか。振り返りながら曹操と夏侯淵の蒼武が後方に射撃を加えるが、狙い撃つには姿勢が不安定で、そのせいで余計に速度が下がる。
追撃の黄巾賊は、逃げる曹操らをあと一歩で追い詰められるとさらに前のめりに追撃を行う。本来なら、ある程度逃げられたところで反転し、皇甫嵩の軍へ横槍を入れるつもりだったのだが、目の前でギリギリの逃走を続ける曹操らに完全にかかりきりになる。
曹操はそんな黄巾の蒼武を見て1人ほくそ笑む。
やがて追撃が10分ほどになろうとした時、不意に曹操の蒼武が横に逸れた。その後を夏侯淵の蒼武が追う。当然、黄巾の蒼武も後を追った。何より勝利を確信した。
ここらは彼らにとっては庭も同然だ。この先にあるのは、崖のある行き止まり。つまり追いかけっこは終わりを告げる。黄巾らの圧勝によって。そう信じたからこそ、何の疑問もなく後を追った。
やがて曹操らの蒼武を見つける。3方向を小高い崖に覆われた行き止まりの場所。そこに呆然と立ちすくむ2機の哀れな蒼武、曹操と夏侯淵の蒼武のみを。
『2機!? 残りはどこに行った!?』
外部スピーカーから聞こえる男の慌てた声。5機の蒼武を追っていたのに、発見したのは2機。残りの3機を見失った彼らは一転、ある予感の下、恐慌に陥った。
それを曹操は会心の笑みを浮かべ、叫ぶ。
「愚か者が! のこのこと罠にはまるか!」
曹操の蒼武の右手があがる。同時、左右の崖の上から何かが立ち上がった。それは先にこの場所へとたどり着いた夏侯惇、曹仁、曹洪の3機だ。彼らが先にこの場所に潜む時間を稼ぐため、あえて曹操と夏侯淵が反撃を行って敵を引き付けたのだ。そして追い詰めたと油断した敵を左右で挟撃して一網打尽にする。それが曹操の計画だった。
曹操が右手を振り下ろすと、夏侯惇、曹洪、曹仁、そして夏侯淵が光銃を一斉に射撃した。左右、そして前から射撃をくらった5機の蒼武は反撃する間もなく、全身を穴だらけにして行動を停止した。
「ふぅ……」
動かなくなった敵を見て曹操は深くため息をつく。操縦桿を握った手を離す。操縦服で覆われた手のひらは汗でじんわりと濡れている。熱さもあるが、冷や汗の部分も多いだろう。それほどにギリギリの策だった。
『ふぅじゃねーんだよ、姫』
『ああ。そうだ。今後、こんな危険な真似はやめてもらうぞ。お前が死んだら、俺らはバラバラなんだからな』
曹洪、そして曹仁が苦言をていする。
そもそもが彼らの首領である曹操を囮にすることなど言語道断。先ほどは緊急事態もあって異論を挟む暇もなかったが、一歩間違えればこれで曹軍は解散していたかもしれない。そうなれば彼らが活躍する場はあれど、別の誰かの下で、しかも外様となれば出世も遅いことになってしまう。
だから彼らとしては曹操は守らなければならない旗頭なのだ。
「ふっ、心配してくれてありがとう、曹洪、曹仁。お礼に後で、キスしてやろう」
『なっ! ばっ、ちょ! 姫!?』
『(曹洪)子廉、慌てすぎだ。いつもの姫のお遊びだろ』
慌てふためく曹洪に、冷静に諭す曹仁。この従兄たちはからかいがいがある、と曹操はほくそ笑む。
『で、孟徳。どうする? 敵は撃破した。今ならさっきの防御網を突破して、敵の横に出ることはできるだろう』
夏侯惇が代表して今後のことを聞いてきた。
彼の言うことは正しい。だが、と曹操は思う。
「ああ、それもできるな。だが私たちにはもう弾もない。それに時間切れだ」
曹操は蒼武の視線を左へ向ける。そこは先ほどまで彼女らが戦っていた場所、そこからさらに左にずれた位置の空に、花火があがっていた。それは3つで赤、赤、青の色を示している。それが意味することは1つ。
『撤退信号』
夏侯淵がつぶやくように言う。
皇甫嵩は曹操らが突破できないことを知り、被害が大きくなる前に退こうと考えたのだろう。作戦の要として期待に応えられなかったのはマイナスだが、それでも蒼武を5機撃破した功績は差し引きゼロにできるほど大きい。
そもそもが自分のせいで大敗にならずに済んだことは彼女を安堵させるのに十分だった。
「とりあえず戻るか……あのおっさんの小言を聞くのはうんざりするが」
そうため息をつき、つぶやく曹操の口には、わずかな笑みが浮かんでいた。
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