第拾壱話 老獪
「いやー、助かった、助かった」
そう言って幕舎の中に入って来たのは30代後半の男だ。
将軍職にある立派な鎧をまとってはいるが、完全に鎧に着られている。肩が下がり、髪に白いものが混ざり始めたうつむきがちの男は、どこか苦労人の壮丁を醸し出していた。
まさか、とは思ったが、その後に続く者はいない。
疲れ切った様子の男は、曹操に向かって軽く頭を下げて拱手の礼をとって挨拶してきた。
「左中郎将の皇甫義真だ」
「騎都尉の曹孟徳と申します」
拱手の礼を取る曹操。だが同時に心の中で不審の念が沸き上がる。
(この男が皇甫嵩か)
官軍にあって数々の戦功を立ててきた凄腕の指揮官という噂は聞いていたが、なるほど。今彼は操縦服ではなく普通の鎧を着ているということは、蒼武乗りではなく現場指揮官という役回りなのだろう。
少なくとも蒼武乗りになるには、超高速で動く機体に耐えられるようそれなりの筋力は必要になる。また容姿は関係ないが、自分の戦果そのものが味方の命を左右するという覚悟が何より必要だ。
目の前の男にはそれらがない。だからと曹操は判断した。
それでも目の前の男は歴戦の勇将と言われている。
さらに中郎将と騎都尉。秩禄(給与)はほぼ同じではあるが、皇甫嵩の方が先任、そして年上ということでへりくだって応対した。
「あー、あー、知ってる。士官学校の卒業試験で袁家のぼっちゃんと激闘繰り広げてたやつだ」
「ご存じでしたか」
「見てたからねぇー。いやー、活きのいいのが入ってきてくれて、こっちは大助かりだよー」
にへらと笑う皇甫嵩に、曹操は内心眉をひそめた。
(この男……何が狙いだ。伝え聞く皇甫嵩という男と違いすぎる)
伝え聞く彼の噂は厳格で峻烈。彼の率いる軍は整然としており、蒼武と上手に連携して敵を追い詰める。知将であり猛将だというのが世間の評価だ。
だからもっと筋肉質で声が大きく、初対面の曹操には居丈高に命令してくるような男を想像していたのだが。あまりにかけ離れすぎて影武者なのではと勘ぐってしまう。
(この緩い感じ。本当に本人か? そもそも戦いに無断で介入して敵を敗走させたのが、新任の自分だ。普通なら警戒や不審を抱くはず。軍功泥棒といちゃもんをつけられると考えてたが……)
どの場所も、新人に対する風当たりは辛い。
しかも女で、小柄な曹操はそれを強く知っていた。
「その目。疑ってるね? 僕が本物かって」
「っ!!」
急に皇甫嵩に言われて心臓が裏返る思いだった。
「その顔はビンゴかな?」
「かまをかけたということでしょうか?」
「ま、そうともいうね。けど、キミはダメだよ。顔に出過ぎる」
「表情を消すのは上手いと思ってますが」
「ああ、上手いね。けどさ、上手すぎて逆に丸わかり。表情を消すってことは、逆のことを思ってるってこと。何よりその目はいけないね。全てを疑い、全てを見下す目。キミ、周りの人が全員バカだと思ってるだろ?」
「そんなことはありませんよ」
「ほら、そこで表情を消せばそれは本当のことだと白状してるのと同じだよ。ま、いいけどね。多分、キミが思う以上に、周りの人間はキミよりバカだ。僕も含めてね」
「…………」
「黙らないでほしいかなー。ほら、ここは『貴方は違いますよー、いよっ、大将軍!』とかフォロー入れるとこ」
「はぁ」
曹操としては、正直、どう返答すればよいのか迷っていた。だからこそ生返事を返したのだが。
なにせこのような人物に相対するのは初めてだ。つかみどころがないというか、正体が見えないというか。
「ま、というわけでさ。今後ともよろしくね。ホントは明日から前線に出てもらおうと思ったけど、今日の敗戦で少し相手も大人しくなるでしょ。長旅で疲れてるだろうから、明日は休んでて。明後日からよろしくってことで」
「それは違うでしょう。今日、負けたのなら明日こと勝負どころ。一気に勝つチャンスです」
「うん。だから攻めるよ、キミら抜きで」
「なら我々も――」
「まーまー、ここは他の部隊に戦功立てさせてあげてよ。弱ってる相手なら、役立たずの連中だってなんとかなるから。あ、なんとかなんなかったら呼ぶから、そこらへんよろしくー」
相変わらず軽いノリでやる気のなさそうな皇甫嵩だが、自分の部下を役立たずと切り捨てる辺りに彼の本性が隠されているように曹操は思えた。また、こういったところでバランスをとって各部隊のやる気を整える調整力。さらに明日は休んでてと言っておきながら、万が一は呼ぶという人使いの荒さ。
(なるほど……一筋縄ではいかないようだ)
そう、曹操は心の帯を締め直した。
「あー、それとね。一応把握しておいてもらいたいんだけど、北の方がちょっちきなくさいんだよねー」
「北?」
「そう。冀州の方。盧植ってじーさんが行ってるんだけど、なんか色々揉めてるらしくてさ。こないだそっちに活きのいい連中を渡すから適当に暴れさせてって書簡が来たんだけど……これ、完璧に厄介ごと押し付けられてるよねー。なははー」
弱った弱ったと笑う皇甫嵩だが、困った様子はない。
どうやらそれを盧植という将軍に対し貸しにして、さらに押し付けられた部隊を酷使してやろうという意図なのだろう。それが曹操には透けて見えた。
(なるほど、これは手ごわい)
この男の言うことを、はいはいと鵜呑みしていたら、どれだけ危険な目に遭わされるか分かったものではない。戦功は欲しいが、進んで死地へと向かうつもりもないし、囮や捨て駒として無駄死にする思いもない。
老獪というにはまだこの男も若い。つまりそれだけ軍と宮廷の間をうまく渡って生きてきたということだし、その点では曹操は圧倒的に経験不足だった。
敵だけではなく、味方にも警戒しなければならない。なんと息苦しい世界か。
それが初めて他人の下で戦うことになった曹操の、純粋な想いだった。
ここまで読んでいただき大変ありがとございます。
皇甫嵩が登場し、これからまたさらに三国志での有名なキャラが出てきますのでお楽しみに下さい。
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