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Thirty and Seven

BGM August Burns Red - Thirty and Seven

 いかんせん外が暑い。そして事件にたどり着くまでが、長い、遠い。試験会場につくまでに、陸はエネルギーの六割ほどを使い果たしていた。

 何より。

「これ受からなかったら……逃げたら逃げたであいつにラーメン二か月分だし……はあ、プロテイン半年くらいないと割に合わんぞ」

 試験が始まる前の静寂、それからカバンが開く音。陸は試験監督の指示を聴きながらスマホを切り、飲み物とそれをしまい、ついで問題用紙が配られるのを待った。

 日本最高峰の難易度を誇る問題が、配られるのを。


 代表選考、一次試験。この試験自体も長い。そして難しい。

 少したって、全員に行き渡る解答用紙と問題用紙。

 周りの生徒たち。数学に自信のあるライバルであり、もしかすると共に世界で戦うライバルであり。

 監督は言った。これに通れば、代表選考合宿に呼ばれ、そこでまた問題を解きます。さらにそれを突破すれば、晴れて日本代表入り。来年夏に開かれる、フィンランドの国際大会に行きます。

 皆さんの頭脳に、日本の学術がかかってます。

 頑張って。


 陸はふと気付いた。その監督が、今流行りの人工知能に全然言及しないことに。

 もしかすると、と思ったのだが。なにせ直近の国際科学五輪――生物や物理を含む――の話題は、ニュースを見る限り、それが全部人工知能で解けて、しかも生身の人間よりスマートでエレガントな解法を見せるってことだったから。

 だからこそ言えないか、と一人陸は納得する。

 でも、やっぱり意味あるんだろうか。勝てば筋トレがはかどるから、目下はいいとして。


 ふっと空気が変わる。監督が腕時計を一瞥。息を吸う音を、陸は試験室前列の机で聞いた。

 試験始め。

 一斉にペンを取る音。紙をめくる音。

 さて、問題は別だ。解く意味は、今どうでもいい。とにかく、受からないことには、損をするのだから。


  数学とは何か。微分積分、三角関数、並び替えなど場合の数があり、人によっては極限を習う。それはあくまでも高校生の、それも一般的な受験のためのジャンルとしての話だ。

 数学とは、数と論理と図形を扱う分野だ。社会の人々の実相を知るため統計をとるにも、物理の実験をするにも、数学はいる。その論理的な思考法は、何をするにも――コンピュータの使い方から日常の買い物まで必要。どの程度まで、高度かは置いといて。

 

 たしかに、陸は数学が得意だった。数学のテストで、だいたい成績が良かった。


 どうして?解法をすぐに思いつくから?

 と言うわけではない。

 数学が好きだから? いや、どっちかってと苦手だ。

 

 少し時間が経った。この間、陸が処理した問題は以下の通り。


 整数式があって、それを満たす「N」を全部書き出す問題。

 夫婦と席が与えられて、座り方を求める問題。


 数学五輪の「数学」は、一般的な高校数学ないし受験数学とだいぶ異なる。

 微分積分や、派手な図形の面積を求める問題や。


 それらと比べると、数学五輪で出る問題は、見た目だいぶシンプルである。解法さえ閃けば、中学生でも解けそうなくらい。

 問題は、そのひらめきが、果てしなく遠く複雑で、深い思考の底から引っ張り出さねばならないというところにあるのだが。


 数学が得意、算数が得意、の中には二パターンある。

 先述の閃きが得意なパターン。問題さえ見れば、どのようにすれば、何の解法を使えば答えに至りそうか、エレガントに推測できるやつ。

 圧倒的にこれが大多数。

 問題は別のパターンだ。

 

 陸は問題を解くのを中断した。手をブラブラと振って、それからストレッチをした。そして、巡回中の試験監督を見つけると、陸はその手を挙げて合図した。 

 そしていう。やはりこうなるか、と思いつつ。

 「すみません、計算用紙ください」

 「どうしました、問題に不備が……えっ計算用紙? まだ十分も経って……」

 監督の目を開いた様子を見て、陸は少しため息。

 数学は少し苦手感があるのだ。こうなるから。疲れるから。


 副島陸を知るものは、彼をこう呼ぶ。

 パワー系数学者。力と筆算で解決する男。電卓。コンピュータですらなく電卓。

 テスト中、三回計算用紙をおかわりした伝説は、語り継がれている。

 

 つまりそういうことだ。

 副島陸の手元には、びっしりと式やグラフや数字表が書かれきった計算用紙。

 期待値計算? 全部書き出してしまえ!

 図形? とりあえず実験だ! ありったけの補助線引いて、ありったけの三角形つけ足してみる!

 微分積分? 細かい解法導き出すより、全部場合分けして全部数え上げてパワー!

 で、ここまでなんとかやってきた。


 それでもわからない問題は潔く、気合と勘、当たればよかろうなのだ、答えになりそうな数字あてはめて逆算だ!

 で、なんとかしてきた。

 

 そしてそれを、陸はこの場でやっていた。

 当然作業量、計算量は常人--数オリ基準のそれ、数学世界に生きている人間のそれの中ですら--の比ではない。

 

 試験終わり。

 疲れた。解答用紙を返却して、陸は机に崩れ、手をぶらぶらしてクールダウン。 

 この日、数学オリンピック東京支部に伝説ができた。

 東京地区の平均「計算用紙使用量」を、一人で百五十パーセント近く引き上げた化け物がいるらしい、と……

 マスを数学のMathでなく、Massーー大量・膨大・物理的に圧倒ーーの意味で使うマスマティシャン(数学者)ができた、と……


 ちなみにその日、陸にとっていいことがあった。

「あっ、このメーカー、新作のトレーニングウェア出すんだ? 予約しよっかな」

 早稲田大近くのジムの張り紙を、帰り道に見つけ、一人ときめいたのであった。





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