末代家族1:美保の章1「Stay Homestay」
どうして、こんなことになったんだろう?
口を開けば、自らの不運についての、ぶつけどころのない恨み節が口を突いて出そうになる。流れてゆく車窓からの風景を見ながら、佐藤家の長女:美保は今日1日でどれだけついたかわからない程のため息を、またついた。
「高2になって、せっかく彼氏もできたのに」
これから夏休みに向けて、いろんな予定も立てようと思っていたのに。
全部、台無しじゃん!
私の高2の夏は、もう2度とやってこないのに。
不穏な感じは、高1の終わり頃からあった。
10代の若者を中心に流行の兆しを見せていた原因不明の感染症。不思議なことに感染するのは10代の若者ばかりで、最も高い年齢の感染者は23歳。小学校中学年以下の子供と、24歳より年上の感染者は皆無で、感染はしても発症はしないらしいという情報が報じられていた。
症状は風邪やインフルエンザと似ていた。激しい咳と高熱。それだけならば、風邪やインフルエンザと同じように対応できたかもしれない。
やがて、この感染症の流行が進むと、重症化する患者も出てきた。この感染症単体で亡くなることはないが、重症化すると厄介な後遺症を残すケースがあることが明らかになってきた。それは、色覚異常だ。青と赤の区別がつかないという、日常生活で相当な支障を来すと思われる後遺症が複数、医療機関から報告された。
主な感染者である10代の若者たちはパニックに陥った。重症者全員に後遺症が残るわけではないが、それでも後遺症が残ってしまったら、いろいろな不都合が発生する。現時点では、後遺症が残るメカニズムや、回復に向かう見込みはあるのかといったことは未知数だった。これで不安にならない若者はいない。とりわけ美術やデザインを志す者にとっては、致命的なダメージになりかねないこの感染症を、徹底的に回避しようという動きも出てきた。
かつて、この国は国際的なパンデミックを経験した。そして、今回のケースでもその時と同様の対応で乗り切ることを政府が決定した。主たる感染者となる10代の若者に対して、密閉・密集・密接を避けるような施策を打ち出したのだ。
クラスの生徒は3つのチームに分けられた。うち1つのチームだけが登校して学習し、残りの2チームは、自宅等でオンライン授業を受ける。これを3か月単位のローテーションで実施することになった。
美保とその彼氏は、このチーム分けで別のチームに属することになってしまった。つまり、この感染症の流行が収まるまでは、彼氏と学校で顔を合わせることはない。そういうことだった。
なんとか彼氏と同じチームになれるように、それとなく理由をつけて担任教師に掛け合ってみたが、公平を期することを最優先とするとのことで、相手にしてもらえなかった。そして、このチームによる3か月の輪番登校制は、美保の高2進級後の5月から実施された。
同じタイミングで、この感染症に名前が付いた。感染者が都市部に集中しているとのことで、最初にクラスター(集団感染)が報告された都市の名前を取って『東京病』と名付けられた。当然、都知事は猛反発したらしいが、全国的な流行ではなく、あくまで一都市における「風土病」と印象付けたい国の思惑の方が優先される形となった。
実際は大阪、名古屋、福岡、仙台、札幌といった都市でも感染者はおり、クラスターも発生したが、なぜか東京とは比較にならないほど規模が小さかった。そういった意味でも『東京病』というネーミングは的を得ていた。
これをきっかけに、10代の若者に「東京を離れろ、東京には行くな」といったことが公然と囁かれるようになった。
「オンライン授業なら、どこででも参加できるんだから、感染症が収まるまで東京を離れて伯父さんの家にホームステイしたらどうだ?」
そう提案してきたのは父親だった。輪番登校のチームは、学校の縦割りを超えて、兄弟姉妹が同じチームになるように設定されている。兄弟姉妹のうち、誰か一人でも感染してしまったら、せっかくの輪番登校も意味を成さないからだ。よって、佐藤家の美保・詩織・かずみの3姉妹も、この5月から揃ってオンライン授業になっていた。
「おじさん…?」
父親の兄で、変わり者の親戚がいることは知っていた。まだ小学校に上がる前には、何度か顔を合わせたこともあるらしく、自分がその伯父と一緒に写っている写真も見たことがある。
ただ、あまりに昔のことで、その時の記憶が驚くほど美保には残っていない。美保が抱いているのは、「なんだか、やたらと大きい人だった」という朧げな印象だけだ。
聞けば、その伯父は神奈川県の西の方にある、父親の実家で暮らしているらしい。父親の実家は、だいぶ前に2世帯住宅に建て替えられていたそうだが、その後、相次いで両親が亡くなってしまい、長く誰も住んでいなかったとのことだった。そこに都内の賃貸マンションに住んでいた伯父が、4年前に移り住んだそうだ。
父親の2歳上だから、もう50近い年齢のはずだ。そして、独身。バツイチとかではなく、これまで1度も結婚したことがないらしい。正直、どんな人なんだか、全く想像がつかない。
何よりも問題なのは、その場所だ。神奈川県の西の奥。美保が今住んでいる家の最寄駅からだと、電車で2時間もかかる。しかも、駅からだと伯父さんの家まで徒歩で30分近くかかるとのことで、クルマがないとどうにもならない場所のようだった。
全く気乗りがしない…というか、正直イヤでイヤで仕方がなかったのだが、いつの間にかそれが本決まりとなってしまった。そして、その日はあっという間にやって来た。
朝、母親の運転するクルマで最寄り駅まで送ってもらうと、そこから電車を乗り継ぐこと、約2時間。伯父さんの家、つまり父親の実家のある最寄り駅に着いた時は、昼近くになっていた。
駅前は驚くほど閑散としていた。ロータリーにバス乗り場はなく、タクシー乗り場だけ。そこにもタクシーは1台も停まっていなかった。駅から少し歩いたところにドラッグストアのチェーン店があるらしく、看板が見えるのだが、店舗はそれくらいしか見当たらない。
「こんなとこで生きてけるのか、あたし」
美保は視線を地面に落とし、口を一文字に固く結ぶ。
そこへ、クルマの排気音が近づいてきた。




