修復作業の仕上げ①
エセルの調子が元に戻ったことを確認したフィカは、やるべきことをこなすべく再び外出が増えた。
外套を羽織ったフィカは、気遣わしくエセルを見遣り、玄関からなかなか離れようとしなかった。
「いい? エセルちゃん。絶対に無理はしないこと。困ったことがあったらローラスの奴を叩き起こしなさい。おわかり?」
「うん、わかった」
「それから、ロフとロネも遠慮なく呼んでいいからね。とにかく一人で抱え込まないで」
「うん」
エセルが素直に頷いたのを見たフィカは、非常に離れ難い様子で、それでもなんとか上体を起こす。
「じゃあ、行ってくるわ。今日はお茶会には間に合わないけれど、夕食には帰るから」
「行ってらっしゃい」
エセルは元気に手を振ってフィカを見送る。
箒にまたがり飛んでいくフィカの後ろ姿が見えなくなったところで、自分の支度もすることにした。
顔を洗って着替えを済ませると、ケープを羽織る。それから全身鏡を見ながらベレー帽を被った。
「よし……行ってきます!」
「行ってらっしゃいです」
「お気をつけて、なのです!」
ロフとロネに挨拶をしてから、エセルは元気にフィカの家を飛び出した。
魔法図書館までの道を小走りで行く。
空気にはひんやりとした冷たいものが混じっていて、そろそろ冬の気配が感じられるようになってきた。メイホウの森に生きる動物たちも冬眠の支度に忙しそうだ。
見慣れた魔法図書館まで到達したエセルはかかとで急停止した。
「おはよ、ローラスさんっ」
「おはようございます、エセルさん」
もはや顔も木の幹と判別がつかなくなってきたローラスは、それでも挨拶をするとちゃんと返してくれる。そのままゆっくり、図書館内へと入っていった。
「チチッ」
「おはよ、マール。はい、どんぐり」
「チチィ!」
マールがどんぐりを嬉しそうに受け取り、ムシャムシャと食べ出した。食べ終わるのを待ってから、肩にマールを乗せて図書館の奥へと入っていく。
『おはよう、エセル殿』
『おや、今日はフィカ殿は来ないのかね?』
「うん、フィカさんは今日からいつも通りの生活に戻ったよ」
『なるほど……ということは今日は、アレをするのかい?』
「うん、そのつもり」
一冊の魔法書の言葉にエセルは頷き、図書館の奥へと進む。
そこには作業をするための机。そして既に一冊の本がエセルの来訪を待っていた。
『あらゆる書物の直し方』著者、メアリー・ルリユールだ。
『おはようございます、エセルさん。そろそろかなと思っておりましたの。念の為お伺いしますけれど、ウェネーフィカ嬢はどちらに?』
「今日はお出かけ」
『ということは、本の修復作業を再開できますわね』
メアリーは両手を顔の前で合わせ、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「そういえばメアリーさん、フィカさんが図書館に来ている間中出てこなかったね」
『顔を合わせると言い争いになってしまうので、なるべく会いたくありませんのよ。そんなことはどうでもよいですわ。ささ、修復作業をいたしますわよ。前回まででページの補修が終わったので、いよいよ今日からは本文の綴じ作業に移りますわ』
メアリーはワクワクした様子でページをパラパラとめくり、とある章で止まった。エセルは本に視線を落とす。
「第七章 本文の糸綴じ方法」
『必要な材料は針、魔法糸の十五番、蜜蝋、ヘラ、重し用の本ですわ』
言われた材料を素早く用意し、それから戸棚にしまっておいた直しかけの『エクレバー冒険記』を慎重に取り出した。フィカにバレたらどうしようとヒヤヒヤしたけれど、幸いにもフィカは戸棚に興味を示さなかった。
『エクレバー冒険記』は全てのページの破れやよれを修復し終え、あとは再び本の形に戻すのみとなっている。
『まず覚えておいていただきたいのは、本の名前ですわ。本の部位には色々と名称がついていますの。本を立てた時に上にくるのが天、下にくるのが地と申します。そして本は、折丁ごとに糸を通してかがってゆきます』
「折丁?」
いきなり聞いたことのない単語にエセルの青い目が白黒する。
『製本するために折られた紙で、本の中身を構成するための単位のことですわ。十六ページでひとつ、つまり一台となりますの』
「えっと……とにかく十六ページごとに糸で縫っていけばいいってことだよね」
『大雑把に言えばそうなりますわね』
というわけでエセルはまずページを十六ページごとにまとめる作業に入った。
『エクレバー冒険記』は結構ボリュームのある本なので、これはけっこう大変だった。
途中のページが抜けたり飛んだりしないよう、慎重にページを合わせていく。一ページのもれもなく全ページを十六ページごとに整えたら次の作業。
『いよいよ本をかがっていきます。魔法糸を蜜蝋に滑らせてなめらかにしてから針に糸を通し、最後の台からかがりますわ。天を左、地を右にして、地に近い穴に外側から針を入れ、なみ縫いをしていきます』
「なみ縫いってどんな縫い方?」
『ジグザグと穴に針を通していきますのよ』
メアリーに言われた通りにエセルは本をかがっていく。何度か針が指に刺さって痛かったけれど、どうにかこうにか一台分かがることができた。
「できたぁ」
『へらで膨らみを抑えてくださいまし』
言われた通りに膨らみを抑える。
『さ、次々に参りますわよ。次は天に近い穴から逆方向にかがりますの。背に糸が出ている箇所ではひとつ前の台の目に針を入れて下さいまし。端まで来たらしっかりと固結びいたしますわよ』
メアリーのアドバイスに従いつつエセルは本をかがっていく。結び方にもコツがあるらしく、挿絵を見たりメアリーの実演を見たりしながらエセルはどうにかこうにか本を縫い合わせていった。
午前いっぱいかかっても到底終わらず、お昼をはさんで午後もかがり作業だ。
ひたすらに机に向かって本をかがる作業に、エセルは集中力を切らさずに没頭した。
ようやく全ての台がかがり終えた時にはお茶会の時間がとっくに過ぎ、もう夕方近くなっていた。
「わぁ、もうこんな時間!?」
『お疲れ様、よく頑張りましたわ。本文の背固め作業は明日にいたしましょう』
「うん」
エセルは本日の自分の成果を見つめる。
バラバラになった本がまたひとまとめになっている。破れたページは補修して、裂けたページはテープで留めて。
なんだか既にものすごく達成感があった。
糸でかがった『エクレバー冒険記』を大切に抱え、戸棚にしまう。
「また明日、作業しにくるね」
『お待ちしていますわ』
優雅に微笑むメアリーに見送られ、エセルは図書館を後にした。
最近はますます陽が落ちるのが早いので、図書館に滞在する時間も短くなっている。




