里斗と秋葉・はち
勢いも殺さず寝室に走り込んだ里斗は足を止め、目の前の光景に愕然とした。律から聞いていたとは言え、自分の目で見るまでは秋葉が瀕死の状態などと、どこか実感が持てなかったのだ。
月が移動してちょうど窓から秋葉の身体に弱い光を落としている。
「秋葉っ、秋葉っ」
名を呼びながら彼女に駆け寄り、急いで抱き起こすが、その身はくたり、としていて、いつもの秋葉の甘い匂いすら漂ってこなかった。その間も秋葉の両の瞳からは糸のごとき涙が途切れることなくその頬へと緩やかな曲線を描いている。
片方の涙を自らの指で、もう片方を尻尾で拭き払うがすぐに次の涙が流れ出し、里斗の顔が痛々しく歪んだ。
「秋葉…………ごめんよ、秋葉……」
「……り…………と……」
小さく開いた口から微かに押し出される細い息。その息に混じって確かに自分の名を呼んだ秋葉を里斗はきゅっ、と抱きしめて、その耳元に安堵の声を送り込んだ。
「よかった……すぐに俺の妖力をあげるから……」
そこまでを告げてすぐに秋葉の唇を塞ぐが、秋葉はうつろな瞳のまま痙攣するように眉をひそめる。
すでに薄く開いている唇を更に舌でこじ開け、繋がりを深くするように彼女の小さな舌を絡め取ってそこに自らの妖力を渡すが、秋葉は一向に飲み込もうとしない。意識が朦朧としているのか、いくら舌で咥内を刺激しても秋葉は里斗の妖力を受け入れなかった。
一旦、口づけを解いた里斗は不安と恐怖の入り交じった表情で秋葉の顔を覗き込む。
「秋葉、秋葉、どうしたの?、なんで俺を拒むの?」
「……ぃや…………」
「秋葉っ、ダメだ……このままじゃ……」
すでに妖力は底をつきかけていた。はじめに抱き上げた時よりドンドンと体温が落ち、頬の赤みもなくなっている。それでも妖力の涙が止まらない秋葉の頬を里斗は温めるように尻尾で何度もさすった。
すると最後の力を宿したような秋葉の瞳が栗色を深くしてまっすぐに里斗を見上げる。
「り……と…………もう…………だい……じょぶ…………でしょ?……」
「何がっ?、何が大丈夫だって言うの?、俺は秋葉がいないと大丈夫なんかじゃないって、そんなの秋葉が一番知ってるだろっ」
「……う……そ……」
「嘘じゃないっ。どうしてそんなに俺を突き放す?、俺は秋葉がいいんだ、秋葉しか欲しくない、秋葉さえいてくれれば他には何もいらないからっ……だからっ……だから、俺を置いていかないで……」
もう一度秋葉に口づけようとした里斗にゆっくりと秋葉が顔を寄せ、漆黒の瞳から溢れ出ている涙を舐めた。すぐに秋葉が「ぁっ」と小さく弾かれたように驚いた声をだす。
「秋葉?」
「……り……との……涙…………妖力が……」
「え?……ああ、自分でも気づかなかったけど…………そうだね、秋葉とずっと一緒にいたいのは俺の唯一と言っていい望みだから、その強さには自然と妖力だって込もるよ……」
初めて見る里斗の涙に再び吸い寄せられるように秋葉は舌を這わせる。ただでさえ強い妖力の持ち主である里斗の涙だ、数滴口に含ませただけで秋葉の妖力は温かさを取り戻し始めた。
「……ほんと……だ……」
零れ出た涙全てを秋葉に舐め取られた里斗は少し安心したのか薄く微笑んで両手で秋葉の頬を包み込む。
「妖力舐めてわかったでしょ、俺の本当」
「……う……ん……」
「ならいいよね、今度こそ俺を中に入れて、秋葉」
秋葉に返答の時間を与えるつもりは始めからなかったらしく、素早く唇を重ねた里斗はすぐに秋葉の内へ大量の妖力を流し込んだ。四肢さえ動かせずにいた秋葉の体内へ突然、熱い妖力が送り込まれて爪の先までもがその熱情で満たされる。その温かさと激しさにうっとりとその感覚を味わう身体とは裏腹に心は苦しさを訴えていた。
「……んっ……はぁっ…………あふっ…………り……と…………だ、め……」
時折、重ねる角度を変えてやると、その都度漏らす色を帯びた声の中に聞きたくない言葉を拾ってしまい、里斗は少しだけ眉根を寄せて既に惚けた秋葉の顔を睨む。
「ダメ?、そんな事、言えないようにしてあげる」
秋葉の上半身を支えていた両手のひとつをぺたり、と彼女の頭に張り付いている三角耳へ這わせると、蓋のように閉じている耳の内側へ親指を潜らせて、外側と合わせその付け根を指でしごけば血色の戻った秋葉の頬が更に色づいた。
「ふぁぁっん…………りと……里斗っ……」
「うん、たくさん呼んで、俺の名前」
しかし、呼べと言ったくせにすぐその口を塞がれた秋葉は吐け口を失った感覚を身もだえで逃がすしかない。
「っん……可愛い、秋葉……その感じだと成体になるのも近いかな。きっともっと可愛くて綺麗になるね、楽しみだよ、俺の秋葉」
里斗から与えられる感覚を受け止めきれないのか、自然と湧き出た秋葉の涙を嬉しそうに目を細めた里斗の唇が吸う。尻尾で頬を撫でつつ、耳に刺激を与えながらいつの間にか荒い息を吐き出している秋葉の口にもう一度ゆっくりと自分のそれを被せ、内を翻弄させながら遠慮無く自らの妖力で彼女の中を満たした。
拒絶の感情が溶けてしまえばもともと枯渇していた秋葉の内は貪欲に里斗の妖力を求める。もっと、もっとと乞われる事を、恐れも無くむしろ愉悦の笑みで妖力を差し出す里斗の宵闇色の瞳はただひたすら愛しい栗色の女妖狐を見つめていた。
そうやってすっかり秋葉の妖力が回復した頃、少し名残惜しそうに唇を離すと、秋葉はふいっ、と視線を外す。
「秋葉?」
呼ばれても答えない秋葉に首を傾げつつも里斗は優しく彼女の髪を梳いた。
「これだけ流し込んだのは久しぶりだからね、ゆっくり休んで、秋葉。そうそう、昼前に律が様子を見に来るってさ。それまで二人で一緒に寝よう」
そうっ、と秋葉の身体をベッドに横たえると、里斗はすぐに夜着に着替えてその隣に潜り込む。いつものようにその腰を両手で捕らえ引き寄せようとすると、秋葉がゆるり、と里斗に背中を向けた。
そう言えば、識の所に行くようになってから、こうしてベッドに横になると決まって隣の秋葉が外側に身体を回していた事を今更ながらに気づいた里斗はそれでも構わず後ろから拘束してその肩口に顔を乗せる。
「秋葉?、どうしたの?」
しかし秋葉は首を横に振るばかりだ。
「秋葉、こっち向いて」
再び首を振る秋葉。
「秋葉……ちゃんと答えないと耳、噛むよ」
その脅し文句とも口説き文句ともとれる言葉に秋葉の耳に力が入って、ぴんっ、と立った綺麗な三角形となる。既に全身を里斗の妖力に侵されて動きが鈍くなっている秋葉はけだるそうに顔だけを里斗に向けた。しかしその栗色の瞳を目にした里斗は困り笑いで息を吐く。
「今度は何で泣きそうなのさ、秋葉」
零れる前に、と素早くその瞳に唇を寄せた里斗は吸い取った涙に少し安心したように肩の力を抜いた。
「うん、でも妖力は混じっていなね……それで?、何を拗ねてるの?」
「……に……匂い」
「んん?」
観念した秋葉が口にした単語を聞き、里斗の眉間に皺ができる。そこで心当たりのない事が伝わったらしく秋葉は更に重い口を開いた。
「里斗の匂いに…………知らない匂い、混じってるの」
そこでようやく意味を理解した里斗の表情がすぐにバツの悪そうなものへ変わる。
「……あー……それって……」
「識の?」
「まぁ、そうだね…………だからこっちを向いてくれなかったの?」
今度は素直に首肯した秋葉は「それに……」と続けると、気持ち頬を引きつらせた里斗が「まだあるんだ」と小さくおののいた。
「里斗の……よ……妖力にも……混じってて……」
「えっ?、なんで…………もしかして…………はぁっ、これだから識とは関わりたくなかったんだよ…………ああ、だから最初に俺を拒んだ?」
少し間を開けてからゆっくりと頷いた秋葉の瞳には再び涙が湧き上がっている。
「秋葉が心配するような事はなにもないよ」
当然のように唇で瞳に触れ、尻尾で優しく頬を撫でてみるが秋葉の表情が緩むことはない。ならば、と里斗は頬同士をすり寄せて殊更優しい声で秋葉に語りかけた。
「俺に秋葉の知らない匂いや妖力が混じってたから俺を遠ざけてたんだ…………ああっ、ほんと、可愛いな、秋葉は…………なのにごめんね、そんなに気持ちが成長してるって気づかなくて無神経な行動をとった……」
「里斗?」
今度は秋葉が問いかける番だった。