8.再編成
さやかは、もともと、さとしという男子中学生であった。
学校でいじめられ、思い悩んでいた。頭もよくて、きれいで、かわいくて、ちょっと澄ました感じのお姉さんのさえこが、うらやましかった。時々、自分も女の子に生まれたら、さえこみたいになれるのかな、という妄想をしていた。
そんな折、さえこが病気になり、あっという間に死んでしまった。学校でも、両親からも、そしてさとし自身も、自分がかわりに死ねばよかったのだと、思い込んだ。
学校は怖いし、家にも居場所がないさとしは、ある夜、あてもなく家を出て、夜の町を歩いていた。
「かわいそうな子」
くすくすと女の子の笑う声がしたので、さとしが振り向くと、そこには、近所の高等学校の制服を着た16歳の少女が立っていた。
「あなたみたいなのに、いい仕事があるよ やってみない?」
夜道で知らない女の人に声をかけられ、さとしはどうしてよいかわからず、黙っていた。さとしは、その女の子をかわいいと思ったので、恐怖は感じていなかった。
「家出は自由だけど、生活するのにも、食べるもの、住むところ、着るもの、それにお金がいるのよ」
そんな事はわかっている。でも、家に帰る気は起きないし、学校へ行くのも怖かった。いじめられていても、先生も、誰も助けてくれないのであった。
「まずは一緒に来てみてよ。気に入らなければ、また帰ればいいよ、絶望の人生へ!」
さとしが、こいつひどいこと言うと思ったが、そのとおりであった。
少女は軽い調子で言うと。、一人でさっさと歩き出した。さとしは迷っていたが、行ってみることにした。
少女に案内されるまま、さとしは電車に乗り込む。普段あまり乗ることのない、特急電車であった。
「はい、切符」
2人席に腰かけ、少女から手渡された切符を見て、
「こんなに遠くから、毎日通っているんですか?」
少女の着ている制服は、この近所の高校のものである。
「ううん、今日は金曜日だから、しせつ…じゃない、お家に帰るの。普段は、駅前のホテルから通ってるんだ」
さとしには、高校生がビジネスホテル泊まりなんて珍しいと思ったが、少女はさも当たり前のように言う。
「そんな高校生っているんですね」
「あなたも、いずれ、こうなるかも」
少女はいたずらっぽくわらい、夜の車窓に目を落とした。
2時間後、電車は終着駅に着いた。もう11時過ぎて、もうすぐ日付が変わりそうだった。
さとしは、この状況に緊張して、一睡もできなかったが、少女は疲れているのか、口を開けて、気持ちよさそうに寝ている。赤いネクタイがだらしなくほどけていた。
「あの…、ついたみたいですが…」
さとしが肩を揺らすと、少女は大きく伸びをして、
「あー、寝ちゃった!? ごめんね。、すぐ行こ」
少女についていく形で改札を出ると、結構な山奥なのか、駅前は真っ暗であった。
タクシーに乗り、さらに森の中へ分け入っていく。
助手席に座った少女は、何も言わず、前を見つめている。窓の外は、森林の形をした暗闇が流れていき、その上には、きれいな星空が広がっていた。
「わぁ…」
窓の景色を見ていたさとしの口から、ため息がこぼれた。
ずっと山間を走っていたと思ったが、不意に森が途切れて、目の前にどこまでも続く海が現れたからだった。
月灯りをうけて、水面がきらきらと輝いて見えた。
「あれよ」
少女が指差したのは、海沿いにある、コンクリートで作られた、なにかの研修所のような建物だった。学校のような施設に見えた。
ほどなくしてタクシーはその施設の前に停車した。少女は、運転手にタクシーチケットを渡して、さとしにも降りるよう、促した。
「ここだよ、どう? 決心はついたかな?」
少女は、両手にかばんを持ちながら、すこし遅れてやってきたさとしを振り返った。
門扉があり、守衛室らしきボックスが光っていた。
「って、もう帰れないけどね、いこ」
少女の言うとおり、ここから駅前へ歩いていくのだけでも、たっぷり3時間はかかりそうである。少女のいう仕事を断るにしても、ここで一泊するしかないと思った。
─お母さん、心配してないかな…
さとしは、来た道を振り返った。そこには、木々と暗闇が広がっていた。反対側が月に照らされた大海原なのとは、対照的である。
そして、さとしは、少女の後を追って、駆け出した。
広い玄関の先にあるロビーを抜け、さとしは少女の背中を追っていく。壁の案内板は、行く先が、この施設の管理等であることを示していた。
「ただいま、帰りました」
少女は管理室と書かれた戸を開けると、机に座って、作業をしていたここの職員らしき人の数人が、こちらを見た。
「つれてきたよ」
立ち上がってこちらへやってきた、三十歳くらいの男性に、少女は言った。学校の先生にいそうな、優しくて穏やかな様子の人に見えた。
その男性は、黒い学生服のさとしを、値踏みするように見つめ、
「うん、まあ、いいんじゃないかな。美羽さん、面接室へ案内してあげて」
「はい…、さとしさん、こちらへ」
少女に手をとられて、面接室へ連れて行かれる。少女の手はやわらかかった。女の子の手だと思った。
連れて行かれる途中、少女に名前を聞いてみた。
「美しい羽、とかいて、美羽、よろしく」
と美羽は振り返ってさとしに微笑みかけた。
面接室に入ってみると、部屋の壁は真っ白で、窓もない。部屋の中心に机がポツリと置かれており、それをはさむ形で、パイプ椅子が用意されていた。
「しっかりね」
美羽はさとしの肩をポンと叩くと、ドアを閉じて、出て行ってしまった。一人取り残されたさとしは、仕方なく、椅子に腰掛けて、ため息をついた。今になって急に、さみしくなってきた。学校は嫌だけど、家族はさえこのことでおかしくなっていたとはいえ、恋しかった。自分はどうなるのか、いや、美羽という女の子は、選ぶのはあなた自身と言っていた。なら、断ることもできるはず、断ろう。さとしはそう心に決め、少し、安心した。
そうと決まったら、こんな不気味な部屋で、待っていることはない。さとしは、面接室から出ようとドアを開けようとしたが、開かない。外からカギが掛かっているようだ。
仕方ないので、また椅子に腰掛けて待つことにした。
ほどなくして、さとしが見つめていたドアが不意に開いた。
さきほど、美羽と話していた男性が入ってきた。さとしの前に腰掛けると、脇に抱えていた書類を机の上において、資料に目を通した。
「北向さとしさん、という人だね、間違いありませんか? あと確認のために、生年月日を教えてください、人違いだと大変ですから」
そう聞かれ、さとしは思わず、はい、と答えたものの、
「それで、ぼくは、なんの仕事か知りませんが、…しませんので、家へ帰してもらいたいのですが」
さとしはうつむきながら、やっとの思いで言い切った。男性の穏やかな表情が不気味に感じられた。
「そうですか。わかりました。でも、お話だけはさせていただけませんか。どうせ朝まで帰りのバスも電車もありませんから」
そう言われると、気の弱いさとしは従わざるを得ない。この男性の話を黙って聞くことにする。
「まず、この施設は、政府の機関ですから、あなたの身柄は保障されています。あなたには帰る自由があるということです。安心してください。さて、ここは国の施設ですが、その存在は、あまり公にはしておりません」
男性はさとしの目をしっかりと見つめて、語りかけた。さとしはあわてて目をうつむかせた。
「主な業務は、家族、友人、子供など大切な人の代役を、顧客の依頼に応じて派遣する。簡単に言えば、人間のレンタルを行っている」
そんな変な組織がこの国にあったことに、さとしは驚いた。マンガみたいな話だが、まぎれもなく、目の前で起こっている現実だ。さもなければ、この男性が、うそをついているか。しかし、そんな必要があるだろうか。
「君にやってもらいたいのも、その仕事です」
「でも、ぼく、ここまで来てしまって、あれなんですけど、この仕事、断ります」
家の恋しさも手伝って、さとしはきっぱりとその男性に言うことができた。すると男性は、
「私たちは、だれ彼かまわず、勧誘はしません。前々から、北向さとし、には目を付けていたのです。今の人生が充実している人は、まずこの仕事は引き受けませんし、その必要もありません。あなたはここで働く代わりに、もう一度、理想の自分に生まれ変わる機会を得ることができます。それも、またこの施設の目的の一つです」
「帰ります。これ以上ひきとめるなら、警察に連絡しますよ」
「ここは国の機関ですから、警察へ連絡しても、動いてはくれないでしょう。しかし、あなたは本当に嫌なら、何事もなく普通に帰ることができる。だから、話だけは聞いてほしい。のどがかわいたんじゃないですか」
男性はそう言って、持っていた携帯電話のようなもので、どこかに指示を出しているようだった。しばらくして、お盆にジュースとお菓子をたずさえた美羽が入ってきた。
「どう、やる気になった?」
美羽は机にジュースを置きながら、さとしにわらいかけた。笑顔がかわいくて、おもわず目をそらしてしまう。
「いやいや、なかなか、がんこですね」
男性はやれやれというように、椅子に背中をあずけながら、美羽が持ってきたコーヒーを一口飲んだ。
「一緒にここで暮らそうよ!」
と、美羽はさとしの手をとって、ほほえみかけた。それでも、さとしは首を振った。
「それじゃあ、ごゆっくり、おやすみ」
美羽は、そう言い残し、部屋を出て行った。
「あの、美羽という人も、僕と同じように、連れてこられたのですか?」
さとしは疑問をぶつけてみる。男性は、ゆっくりとうなずいて、
「そうだよ。自分の容姿に悲観して、自殺した…、いや、しようとしていたところを保護して、うちへ連れてきたんだ。そして、体を再編成して、今では、あんなにかわいく生まれ変わっている」
「再編成? 整形とかではなくて?」
「そう、再編成。簡単に言うと、体を一度受精卵レベルまで退行させて、そこからまた発生させるんだ。元の体は、その際の材料にするため、分子レベルまで分解する。遺伝子は君自信のを使うから、まったくの別人になるというわけでもないんだが」
男性は、突飛なことを言ったが、その真剣な顔が、冗談ではないことを物語っていた。
「でも、そんなふうに1から人間を作れるのなら、わざわざ、誘拐のようなことをして連れてこなくても、いいんじゃないですか?」
「私たちも、この施設の立ち上げが決まったときは、1から人間を作ることで調達できると思っていた。わざわざ、自然繁殖した人間をベースにしなくてもね。
しかし、作成した人間の体には、心を入れなければならない。人工知能を基に作成した心を、インストールしてみたが、うまくいかなかった。作動しない。わかりやすくいうと、いくら心を入れても、目を覚まさない。意識がない状態なんだ。
次に人間の脳をまるごとコピーしたものを入れてみた。それでもうまくいかなかった。どうやら、体と心が拒絶反応を起こしているようなのだ。
つまり、一つの体に適合する心は、その体の持ち主だった者の心しか適合しないという結論を得た。
だから、施設で働ける人間を作るには、その材料となる体と、心をセットで調達しなければならないということだ」
男性は続けた。
「そして、再編成をするということは、現在のさとしという存在を抹消することになるから、それを承諾してくれそうな人間、死にたがっている人間が適任ということなんだ。自殺であれば、家族の了解も得る必要はない、世間的にも、処理しやすい」
確かに、男性の言うとおり、さとしは人生に希望はなく、学校では訳もなく、殴られたり、おびえさせられたりして、生きることに疲れていた。さえこのいなくなった家は、すっかりお通夜のように暗くなっており、自分が死ぬべきだったという無言の圧力をいつも感じていた。でも、お父さんと、お母さんを嫌いになったわけじゃない…。
「しばらく考えさせてもらえませんか」
さとしが提案すると、男性は残念そうに首を振った。
「申し訳ないが、もし仕事をしない、のなら、今日の記憶を抹消した上で、帰ってもらうことになる。君は、何事もなかったかのように、朝ベッドで目覚める。そして、冷たい家と、誰も助けてくれない学校で、いじめにおびえて暮らす日々が再開される。そして、一度断った者は、我々は二度と、勧誘しない。これが最初で最後の機会だ」
そう言われて、さとしはまた迷ってしまった。その様子を見た男性は、口の端に笑みを浮かべて、
「さとし君には、さえこ、というお姉さんがいたようだね」
「はい…」
「君は、お姉さんの代わりに自分が死んだらいいと思っていたんだよね」
「…」
「そして、きれいで、かわいくて、頭もよくて、ちょっと澄ました感じの、さえこさんみたいに、なりたいって、思ってたんだよね」
男性に言われて、さとしは恥ずかしくなってうつむいた。女の子になりたい、なんて、誰にも言ってないのに…。
あらゆることは、調査済みで、さとしの心の中も例外ではないようであった。
しばらく沈黙があった。
「さえこさんが帰ってきたら、ご両親は喜ぶだろうね」
「…」
さとしは、男性が言おうとしていることに、うすうす感づいてきた。それもいいかもしれない、と思い始めていた。
「どうだろう、ご両親に、さえこ姉さんをプレゼントしてあげたら。そしたら、君はあこがれのお姉さんになれるし、ご両親の元へ派遣されたら、お父さんとお母さんにも会えるし、なによりご両親は喜ぶだろう。いいんじゃないかな」
怖い学校、冷たい家、どうしようもない自分の体。さとしはじっと考え込んだ。そして、もう一度お父さんとお母さんの笑顔を見たいと思った。たとえ、何年かかっても。
「お願いします」
いつの間にか、さとしは男性にそう言って、頭を下げていた。すると男性は、脇の書類から、冊子を取り出し、さとしの前へ差し出した、
「これは契約書です。君の体と心の所有権を我々の施設へゆだねること。そして、施設は責任をもって、北向さとしを保護すること等が記載してある。ここへ、拇印…君の親指のスタンプ、を押したら、契約成立だ」
一番最後のページに、甲と乙との記載があり、甲のほう、つまり施設側については、すでに赤い角印が押されていた。
─お父さん、お母さん、しばらくお別れだね
さとしは心の中でつぶやくと、乙のところへ、親指を押し付けた。




