チャプター23
「ちょっとツァイネ、どうしたの? 今このキッチンは女の子の戦場だよ? 男子入るべからずなんだけど」
エルリッヒの後を付いて来たツァイネを追い返すように、お盆の上のお皿をカチャカチャと鳴らしてみせた。手伝いは無用、ここは一人で大丈夫だ。
「あ、いや、そうじゃなくて」
「? じゃあ、何?」
どうやら、手伝ってくれようと言う事ではないらしい。もちろん、手伝ってくれなくても事足りるからいいのだが、では、尚の事気になる。一体なんだと言うのか。
「あのさ、エルちゃん、ご飯食べた?」
「へ?」
何かと思えばそんな事。言われてみれば、確かに食事はしていない。が、そんな事は小さな事だったし、全く気にしていなかった。普段もピークタイムはこうだし、今言われて初めて実感したくらいなので、本当に小さい事なのだが、ツァイネはそれをずっと気にかけてくれていた、という事なのか。
「さっきから、何も口にしてなかったよね?」
「うん、まあ、そうだね。でも、大した事じゃないよ? 普段もそうだし、今回はそれどころじゃなかったし。ツァイネ、わざわざそれを言いに来たの?」
瞳は決して笑ってなかった。つまり「わざわざそれを言いに来た」のである。という事は、ずっとこちらの事を気にかけてくれていた、という事なのだ。あれだけ重たい話をしていながら、そんな事に気を払っていただなんて。
「……ありがと。優しいね」
「い、いやぁ。じゃなくて、一人だけずっと食べてなかったのが気になったから」
こんな事を言うのでも緊張しているのか、少し言葉がぎこちない。そんな所もかわいいところなのだが、それよりもまず、こういう事に気がつく気配りと優しい気持ちが嬉しかった。
いい友達を持ったものだ、と実感する。
「ん、そっか。でも、ほんとに大丈夫だから。私は、みんなの表情が明るくなっただけで胸が一杯だし」
「ほんとに? 無理はしないでよ? 明日からの日程も、一緒に来てもらうんだから。戦わないけど、ちゃんと仲間だからね」
わざわざ言われなくてもそのつもりだが、改めて言ってくれるというのがとても嬉しい。仲間、という言葉のなんという温かい事か。
「分かってるよ。片付けたら、ちゃんとまかない作って食べるから。ほら、そんな事よりこっちは片付けがあるから、あっち行って。二人には、この町の英雄になってもらわなきゃ困るんだから。ほらほら!」
自分より少し大きいだけの、そのくせにとてもたくましい背中を押して、厨房から追い出す。宿のスタッフ全員が、ツァイネの事を待っていた。
エルリッヒの言った事は、何も大げさな話ではない。彼ら二人には、是非とも悪魔に勝って、英雄としてこの町に迎えられ、そして王都に凱旋してもらわなくてはならないのだ。
その第一歩として、まずはこの場でせいぜいその人柄をアピールし、印象づけてもらわなくては。少なくとも、実力面では今まで散ってった兵士たちとは違う、という事を、しっかり宣伝してもらわなくては。
今まで以上に「勝てるかもしれない」という期待を持ってもらう事は、とても重要だった。
「さてと、片付けをするかな!」
散乱する元は美しかった皿たちを前に、エルリッヒは力強く腕まくりをした。これも、食堂の経営者として当たり前の作業なのだ。
〜その夜〜
みんなが寝静まっているであろう時間、エルリッヒは一人ベッドで眠れない夜を過ごしていた。
結局、あの後皆が引き払ってから一人まかない飯を作り、のんびりと気ままな食事をしたが、それはつまるところツァイネに気を遣ったという側面が強く、あまり食事が喉を通らないというのは本当の事だった。
今、ちっとも寝付けないでいるのは、明日からの事が心配だからであり、寝よう寝ようと追いつめるほど、頭の中に不安がよぎっていた。
(悪魔……)
いよいよ、おとぎ話の住人と相対し、ゲートムントたちが刃を交えるのだ。はたして、どんな出で立ちで、どれほどの実力を備えた相手なのか。そもそも、知性のほどは、言葉は通じるのか、謎だらけだった。
人間社会で三百年以上暮らして来て一度もお目にかかった事がないのだから、よほど貴重な存在と言える。
そもそも、なぜ最初に発見した人間は「それ」を悪魔だと認識できたのか。おとぎ話に出てくる悪魔そのものだったのか、それとも自ら名乗ったのか。会ってみれば分かる事だが、堂々巡りに思考が降って来た。
「う〜ん……」
そして、何より一番不安なのが、その実力である。かつてゲルプの町にいた悪魔は、血縁にあたる竜王族が十日掛かってようやく勝てた。もしそれほどの強さを誇るなら、いくらゲートムントたちが腕利きでも、おそらくは勝てまい。自分が手を下すという展開も、勝利のためにはもう一度選ばなくてはならないだろうが、できればそうはしたくない。願わくは、少しでも弱い事を。
「でも、弱かったら私たちは駆り出されてない、か」
ふと考えて、一瞬でその真実に辿り着いた。その通りである。親衛隊員を除くにしても、お城の精鋭部隊を集めて送り込んだと言い、その精鋭部隊が何人も散っているのだ。彼らとて、お城で相応の教練を受けて来たのだから、そこらのゴロツキやギルドの傭兵たちよりはよほど強いはずである。それが、数をもって攻めても勝てないでいる。となれば、相応の実力を想定するのが筋だ。
「勝てるかな……あの二人……」
こんな事を考えると、余計に眠れなくなってしまう。明日も朝早いというのに、こんな事では。目の下にクマを作るわけにはいかないのだ。いつでも元気で明るいエルちゃんでいなくてはならないのだ。
二人の士気を上げるために元気に振る舞う。これも、恐らく迷信でも何でもなく、勝利に貢献する小さく確実な一手だろう。その効果を信じればこそ、眠っておかなくてはならない。
「う〜ん、う〜ん」
その苦悩を体現したようなうめき声は、しばらくの間響き渡っていた。
同じ頃、男二人の部屋では、安らかな寝息を立てるツァイネの隣で、ゲートムントが同じように眠れぬ夜を過ごしていた。
美味しい食事に楽しい時間、そしてほどよい旅の疲れと、寝入るには十分すぎる条件が揃っているのに、である。
結局のところ、彼もまたエルリッヒのように、明日から始まる戦いの事を考えて、眠れなくなっていた。
ただ一つ大きく違うのは、不安よりも先に、好奇心や興味といった、わくわくする気持ちが立っている、という事である。生粋の戦士として、強い相手と戦う時には、素直に楽しさを覚えてしまう。それが悪人であれ、魔物であれ。この性格に足下を掬われた事もあれば、状況を救ってくれた事もあるため、一概に悪癖とは言えないのだが、今回ばかりは相手が悪い。何しろ、悪魔という、未知の存在なのだから。
(俺たちで勝てるのか?)
という冷静な懸念は、当然のように頭の中に存在していた。ツァイネの実力が及ぶかどうかも重要だが、自分も五割程度は貢献せねばならない。いかにリーチで有利な槍と言えど、自分の得物は竜に特攻のある槍だ。あの不思議な力は、恐らく悪魔には通用しないだろう。だからこそ備えて来た銀の剣とナイフも、果たして通用するかどうか、いささか心配である。わくわくする感情こそ大きかったが、その次に頭を支配していたのは、まぎれもなく不安だった。
会った事もない相手、作戦を立てる事もままならないので、今はまだニュートラルに考えていた方がいいのかもしれない。
隣のツァイネが安らかな寝息を立てている事をうらやましく、そして少しだけ恨めしく思いつつ、無理にでも眠ろうとするのだった。
夜はまだ、明けない。
〜つづく〜




