チャプター21
「はい、どうしましたか?」
待つ事数分、奥から一人の女性が出て来た。腰まである長い金髪を一本しにばり、エプロンドレスを着ている。なるほどこれが女将、フロント係の妻か。
しかし、すっかり陰気になっている夫とは違い、その表情には曇りも恐怖も見られない。至って普通の、若い女性である。
「えっと、食堂の事なんですけど、コックさんが田舎に帰っちゃったから、私たちで勝手に厨房や食材を使っていいって言われたんですけど」
先ほどの覇気も、女将の平静な様子にすっかり抜かれてしまった。覇気にあふれる様子も、今一瞬でそれが抜かれてしまったのも、どちらも一時的なものである。また、フロント係と話をすれば先ほどの覇気が戻ってくるだろう。
「この人がそんな事を。だったらいいですよ。今はこんなんでも、夫として、この宿の跡取り婿として、その人柄や手腕は信頼してますから」
「じゃあ、使っていいんですね? ありがとうございます」
まずは礼儀とばかりに深々と頭を下げ、礼を伝える。そして、その次に、女将の目を見据えた。女将は何事かと、目を丸くする。
「あの、お客様?」
「旦那さん、どうしてこんな風になっちゃったんですか?」
一番の本題はこれである。あまりに暗い様子に喝を入れるため、そして元の姿を取り戻させるため、打って出なくてはと考えていた。みんなには怒られるかもしれないけど、この様子は見ていられなかった。辛いというより、イライラしてしまう。エルリッヒ生来の、ハキハキとした性格故だ。
「あぁ、この人の事ですか。今はこの町の皆がこんなんですけどね。南の森に悪魔が出たって言うんで、みんなおびえちゃって」
「あー、やっぱりそうなんですね。私たちもその話を知ってる上で北から来たんですけど、その話は他の町には伝わってなかったんですよ。だからここだけこんな雰囲気になってるんですよね」
情報統制が敷かれているとも思えない。だから、単純に情報が届いていないだけなのかもしれないが、明らかな温度差がある。もちろん、ちょっと考えればそれでいいのだと分かるが、違和感のようなものはあった。
「まあ、こんな話他の町の人には話せませんから。評判に関わりますし、混乱を招きかねませんし。でも、ここまではよかったんです。お城から討伐隊の人が来て、ますますおかしくなっちゃって」
「それってどういう意味ですか? 期待を裏切った、ていう事ですか? それとも、他に何か……」
「あいつら、あいつら!」
突然、フロント係が叫びだした。突然の事に、驚く二人。
「うわっ! ちょっと、どうしたんですか?」
「時々こうなるの。騎士団の人たちの話をすると……」
という事は、彼らの態度に問題があったのだろうか。騎士団と言っても、振る舞いまでしっかりと教育されるのは、親衛隊を始めとした上層の部隊だけであり、末端部隊は教育は行き届いていない。横柄な振る舞いでもされたのか。戦時供出の形で略奪でもされたのか。確かに、どちらも納得の行く理由だ。態度の悪い兵士に失望や怒りを覚えるという事は多い。
「まあ、礼節までは教えられてない人も多いですから……態度が悪いのは、嫌ですよね。私もよく分かります」
「いえ、そうじゃないんです。あの人たちはとても紳士的でした。気さくに接してくれましたし。ただ、あの人たちが森に行ってしばらくして、悪夢が始まったんです」
途端に、女将の表情が曇った。とても嫌な何かがあったように感じられたが、悪魔を討伐しに来た手前、これは知らねばならない。どんなに嫌な事であっても、辛い事であっても。躊躇なく、声をかける。
「女将さん、何があったんですか。聞かせてください」
「みんないい人たちだったのに、町に芳しい報告が入るどころか、入って来るのは一人、また一人と命を落として行ったという報告ばかり。みんないい人たちだっただけに、余計ショックが大きくて。こんなところで落ち込んでる暇はないんですけどね、みんな怖じ気づいたり悲しんだりで、今じゃ町中こんな有様ですよ」
なんという事だろうか。苦戦しているとは聞いていたが、まさかもう既に何人かが命を落としていただなんて。これは、のんびりしている暇はやっぱりないのではないか。いやいや、だからこそ、今日はしっかりと休まなければ、自分たちも戦力にならないまま終わってしまう。
「なるほど、そういう事だったんですね」
「わたしらまで沈んでたらダメだと思うんだけどね、なかなかそうも行かないみたいで。こういうのって、気持ちの問題だから」
「あいつら! あいつら! いい奴だったのに!」
事情を知れば、それだけ切ない思いが増してくる。これは、何としてでもこの状況を救い、この町に明るさを取り戻さなければ。
「女将さん、ご主人も。これは内緒の話なんで他の人には話さないでほしいんだけど、実は、私たち、その悪魔を倒しに来たんです」
「えっ?」
一瞬にして、女将の表情が変わった。この沈んだ空気の町にあって尚明るさを保っていた女将だが、それでもやはり沈む気持ちはあったという事なのだろう。この話を一縷の希望のように受け止めるのは無理もなかった。
半信半疑なのか相変わらずの夫よりも、妻はよほど前向きである。
「この状況を見かねた王様が、私たちを遣わしたんです。て、女将さんは初めてお目にかかりますよね」
「ええ、そうですね。夫が受け付けをしましたから。でも……四名様、ですか? この人数でどうやって……あれ? お仕事欄、ギルド登録の傭兵がお二人に、御者さん? それと、お客様……エルリッヒ・フォン・ドラシェケーニッヒさん……で、いいんですよね? お仕事、料理人……ですか?」
フルネームで呼ばれると、妙に恥ずかしい。正確には、これは勝手に付けた名字なので、竜王族本来の名字というものは存在しない。だが、必要に応じて、時折遣っている。周囲には、先祖が竜に憧れて勝手に作った、と説明しているが、少々苦しいのは承知の上だ。
だから、王都への正式な届け出にはファミリーネームは届け出ていない。それでも住民登録ができているのだから、やはりこの国はおおらかなのだろう。
そして、職業欄などがある際には、必ず「料理人」もしくは「食堂経営」と書く事にしている。これは、エルリッヒなりのプライドだった。
「はい。私は王都で食堂を営んでます」
「そうなんですか」
納得したのかしないのか、あまり表情は明るくなかったが、とにもかくにもここは自己PRが大切だ。まくしたてるように話しを続けた。
「だから、厨房をお貸しいただけるのなら、保管されている食材を自由に使っていいのなら、従業員のみなさんの分も合わせて、お食事を作りますよ」
「ほ、本当ですか? それは助かります。わたしもお料理はできますけど、プロの方に比べれば、普通の人レベルですから。って、そうじゃなくて! 本当に悪魔退治に来てくれたのなら、それはとても嬉しいですけど、たった二人ですか? お客様が同行されている理由は分かりませんが、二人で、お城の精鋭部隊が何人もやられた悪魔に勝てるんですか?」
そうか、表情の曇りはこれだったか。四人で来て、四人とも戦士だと言っても心もとない人数。それが、まさかその半数だけだったとなれば、余計不安になるのも無理はない。しかし、口で言っても信用してもらうには色々と足りない。かと言ってここでは実力を示す事も出来ない。困った。
「ご、ご主人も何か言ってくださいよ。私たちと直接会ったのはご主人なんだから。あの二人、強そうだったでしょ? 背の低い方は、元親衛隊員なんだから。ね? 信じて! 強いから!」
「その話は、本当ですか? 親衛隊員って、選ばれた人しか入れないんですよね? じゃあ、強いのは本当なんですね?」
「……それなら……」
二人の表情に、少し明るさが戻って来た。と言っても、元々の二人の表情には大きな温度差があったのだが。とにもかくにも、「元親衛隊」というキーワードは予想以上の力があったらしい。これは嬉しい誤算だ。
二人の実力は、結果で示すしかない。しかし、その一端でも感じてもらえたのなら、前向きに戻るいいきっかけになるのではないだろうか。そしてそれは、元々明るさを失わないでいた女将にも、張りつめているであろう気持ちを和らげる一つのきっかけになるのではないだろうか。
「じゃあ、夕食、みなさん来てください。私が作りますから、自己紹介がてら、一緒に食事しましょう! でも、ここでの話は、全部内密の話で」
人差し指を口の前に立て、ジェスチャーでも示す。まだ、他の町人に知られるわけにはいかないのだ。下手な期待を煽る事は出来ない。だからこそ、まずこの宿から、いや、この宿だけでも、真実を知り、希望を取り戻した人間を出さなければならなかった。
そのための、大いなる夕食作戦なのである。
〜つづく〜




