第三章「氷の海」2
「おう、え?何?」
ヒカリは戸惑った。
「覚えておられませんか?6年前に賊から救っていただいた。レツですよ」
レツと名乗った男は目を輝かせている。
(6年前といえば修行時代。おそらく世界を旅していた頃だな・・・)
ヒカリは思った。
しかし、5年前からヒカリの記憶の忘却は加速している。
この男はその中で忘れ去られた存在なのかもしれない。
「いやあ。あの時はまだ子供でしたし、わからないのも無理はない」
「とりあえず、ちょっと来い!」
これ以上騒ぐと飯屋に迷惑がかかると思ったヒカリは、レツの耳を引っ張って外に連れ出した。
「一旦、お前のことは覚えてない!でも、その時のことを話してみろ。思い出すかもしれん」
レツの話では6年前に暮らしていた里が、賊に襲われ逃げている途中でヒカリに拾ってもらったのだという。
その時に少々魔法の手解きも受けていたらしい。
「あの時、このアオナも居たんですがねえ」
レツは隣にいる、つややかなヘルメットヘアの女性を見て言った。
「ああ・・・そんなこともあったなあ」
と言いつつヒカリは全く覚えていない。
「でも、何で人の迷惑になるようなことをしてたんだよ。私がそんなこと教えたか?」
「それは・・・すいません」
「お前ら今何をしている?」
ヒカリは良からぬ会話が聞こえていたので、ろくな仕事に就いていないことはわかっている。
「それは・・・」
「お前ら盗賊だろう?もう、そんなことはやめておけ。こっちで仕事は用意してやるから」
「あ、ありがとうございます・・・」
レツが膝をつくと、それを見ていた十数人の若者も膝をついた。
「明日、私は氷の海に出る。帰ってきたら落ち合おう」
そう言ってヒカリは飯屋に戻っていった。
翌日、ヒカリとジムは船で氷の海に出た。
船頭の話では、2日前に炎の賢者がこの海を渡ったらしい。
「とりあえず、向こうまでは無事に渡ったようだな」
ジムは言った。
七魔雄からの襲撃を考えると、向こうで待っていてくれた方がありがたい。
しかし、ヒカリはそんなことを考えもせず黙っている。
(気持ち悪い・・・)
ヒカリは思った。
船酔いである。
ヒカリの三半規管は5年前の後遺症でイカれていた。
(ダメだ。吐きそうだ)
ヒカリは船舷から身を乗り出した。
やがて、海に浮かぶ氷の要塞が見えてくる。
「立派なもんだな」
ジムは腕を組んでそう言った。
それにしても巨大な建造物である。
魔法使いが交代で魔力を注ぎ、完璧な形を保っていると言われているが、ジムはとても信じられなかった。
要塞の門が開き船を受け入れていく。
ヒカリはその場を頑なに動かなかったので、ジムだけ船を降り、炎の賢者リョウと合流した。
「七魔雄の襲撃はなかったようだな」
ジムは言った。
「ああ、船上で襲われたらヤバかったが」
「それで、氷の賢者はどこにいんだよ」
「実はまだ起きてこないんだ」
氷の賢者エイシンはヘビィスリーパー(重き眠りにつく者)とも呼ばれ、一月眠って過ごすことも珍しくはない。
しかしエイシンの場合、睡眠というよりも仮死状態に近いもので、時代ごとの世界の状態を観察するためコールドスリープ状態で老化を防いでいるのだ。
「予定ではまだ7日間眠るらしいが、事情を話して起こしてもらっている」
「でもよお。どのみちヒカリはあの状態だから、帰るのは明日だよな」
ジムはリョウと話終えると、魔法使い見習いに案内され客室に移動した。
ヒカリがすでにベッドで寝ている。
「りんごでも擦ってきてやろうか?」
「今はいい・・・」
ヒカリはジムの方を見ないで答えた。
ジムが窓を覗くと、客室が水面下に存在しているため、窓には暗い海中が映っている。
(俺もこんな闇の中から産まれた気がする)
ジムは思った。
ジムのことを作ったのは、<チアキ>という名の魔法使いであり、それ以外のことはわかっていない。
物心ついた頃には長老のもとで暮らし、知識を蓄えて育ったのだった。
(俺に力があればヒカリをもっと助けてやれるんだが・・・)
ジムはそう思いながら、ヒカリの布団に潜り込んで眠った。
そして次の日、ヒカリとジムが船着場に行くとリョウと青いローブに身を包む水色のツンツン頭の若そうな男がいた。
氷の賢者エイシンである。
「おお、ヒカリか大きくなったな!」
エイシンはそう言ってヒカリに握手を求めた。
「アンタは変わらないね」
エイシンは月のほとんどを寝て過ごすため、賢者ですらなかなか会えない。
「船酔いは大丈夫か?」
「寝ればだいぶ良くなる」
「そうか、では行こうか。魔王を封印するために」
ヒカリ達は船に乗り込み、海門と共に出航する。
しかし、おおよそ中間地点まで行くと海が荒れだした。
「まずいな・・・」
リョウは呟いた。
「ああ」
ヒカリは頷く。
いつの間にかヒカリ達の船を取り囲む様に、いくつもの渦が発生している。
そして、そのひとつに船は絡め取られ、渦の中央から巨大な蟹の怪物が顔覗かせた。
「俺はシャドウクラブ。ふふ、我が仲間マンティスを倒したようだが、まあいい。奴の魔力は<源流>を辿りまた強者へと分配される!」
どうやら七魔雄の1人らしい
「まったく、でかい声の蟹だな・・・」
ヒカリは頭を抑えながら呟いた。




