第57話 決着の砲声 【死線】
90式のくぐった出口は、三メートルほどの高さしかなく、ヘラドーンの巨体では通れない。
では、九十年前、ヘラドーンはどうやって三号突撃砲を追いかけたのか。
その答えは、博物館にあったゲネリッヒの絵にちゃんと描かれていた。
大回廊の出口から出る時、出口の上がテラスのような構造になっているのが見えた。
そのテラスに、やつはいた。
ヘラドーンが二本足で立ち、背をのけぞってもう一度咆哮を上げたのがバックモニターにかすかに映った。
暴竜の叫声が、橋のある天然の大洞穴を利用した空間に響く。
橋の長さは二百メートルほどで、下は地下水路になっていて水面が見える。
欄干は人用の高さしかなく、戦車で追突したらすぐに壊れてそのまま水路の中に落ちてしまうだろう。
『エチカ、合図お願い!』
『了解しました!』
背後が確認できないラティーナが、敵の接近感知を空間織覚の使えるエチカに一認した。
俺も後ろがほとんど見えないので、ここからの経緯については、後でエチカに聞いた話も含む。
邪悪な笑みを浮かべ、獲物に狙いを定めたヘラドーンがテラスを飛び立つと、直線コースで90式の背後に追いすがってきた。
(……ヘラドーンは自分でこの橋を選んだつもりなのだろうが、それは違う。そして、やつは90式の性能を未だに誤解している)
ほんの数秒だったが、俺は奴と戦車チェイスをやった。
その時の俺の仕事は、ハンドルを維持し、アクセルを適切に調整することだけだった。
︎︎ドワーフが威信をかけて作った大架橋の路面は、ほとんどアスファルトと同じで、グリップもよく走りやすかった。
︎︎90式はほぼ舗装路最高速を出せていた。
それでもやはり、空を飛行するヘラドーンの速度が速い。
十秒追いかけっこをした後だった。
『ヘラドーン、来ました!』
︎︎ヘラドーンが口を開け、ブレスを吐いた。
ちょうど、橋の反対側が瓦礫でふさがれているのが視認できた時だ。
ヘラドーンがやったのだろう。
退路すら塞いで、身動きできなくなった敵を存分に料理しようという、やつの必勝の策だ。
今やつは、勝利を確信しているだろう。
ブレスの火炎が、90式の後背部を焼きはじめる。
しかし、それは通じない。
︎︎今90式には、三号突撃砲の特徴的な背部傾斜装甲に似せるために、地竜の鱗を使った耐熱装甲を何枚も貼り付けているからだ。
『ブレーキ全開、今!』
︎︎ラティーナの指示に従い、俺が急ブレーキを踏む。
︎︎予想通りなら、ヘラドーンは前を行く90式が急減速したために、自分も減速せざるを得ない。
︎︎そのままだと追い越してしまい、炎を当てられなくなる。
︎︎そして下降中だから、追い越した後に今度は自分が背後を取られて、かつ射界に入ってしまう可能性がある。
︎︎だから、やつは空中でホバリングのように停止するしかなかった。
『……砲塔旋回、全速、今!』
︎︎急ブレーキの衝撃に耐えながら、ラティーナの次の指示。
︎︎エチカがそれに従い、砲塔を回転し始める。
その時、連動して90式の装甲が次々にパージし始める。
三号突撃砲G型に偽装するために、サイドに貼ったシェルツェンが、砲塔の旋回開始と共にはじけ飛び、橋の端から落ちて、洞窟の底の水面に落下し、水しぶきを上げる。
『サスペンション後ろ上げ、今!』
︎︎車長の更なる指示。
︎︎もてる全ての性能を出し切って、最高のポジションを確保する。
︎︎90式の後部が持ち上がり始め、主砲仰角が背後の赤竜の中央を狙うのに丁度良い角度に調整されていく。
ヘラドーンの口内から放たれる灼熱のブレスはまだ続いているが、砲塔の装甲は何の痛痒も感じていない。
きっとヘラドーンの表情は、予想外の驚きと過失に気付いた焦りで歪んでいるだろう。
︎︎
︎︎第三世代主力戦車の砲塔旋回速度は、第二次世界大戦の戦車とは比較にならないほど速い。
︎︎90式戦車の場合は百八十度旋回に要する時間は五秒程度だ。
︎︎その間に、主砲の俯仰機構も懸架の油気圧式サスペンションも、勝利の為の準備を遂行し終える。
『正面、仰角十度、撃て!』
そしてエチカが照準を合わせるのに費やした時間は、僅か一秒と八分の一。
ヘラドーンの巨大な瞳が驚愕に開ききるより早く、APFSDSの杭が暴君の心臓近くの大動脈を貫いた。
背後で行われている竜殺のための、砲弾の発車音と命中音が地下の空洞に響く僅かな時の間に、俺は思わずつぶやいていた。
「鳥無き島の蝙蝠ってやつだな……」
その時見たのか、後で落ち着いてから気づいたのか、定かではないが、橋の右下、地下水路の暗い水面に、一台の朽ち果てた機械が沈んでいた。
特徴的な後部の傾斜装甲。
履帯の剥がれた無惨な姿。
それは九十年前、この場所でヘラドーンと勇敢に戦い、敗れ去った三号突撃砲の遺骸だった。
︎︎ヘラドーンが何故死ぬことになったのか、その答えは、その水底の機械と、橋の上で今、砲弾を放った一台の90式戦車が知っている。
(やつは九十年前と同じだった。俺たちは進化した)
俺が走り切って時間を作り、
ラティーナがタイミングを見極め、
エチカが息を殺して狙いを定めた――
その時放った一発は、九十年前の兵士たちと機械が、この橋で残した無念をこめた一撃。
そして、九十年の時を経てなお進化を止めなかった人類の魂を、そのまま叩き込んだ一撃だった。
『もう一発……』
飛翔を続ける力を失い、慣性のまま放物線落下を続ける暴竜の肉体を前に。
︎︎次弾装填完了のわずか手前、砲手席から落ちてきたのは、怒号ではなく、凍りつくほど静かな声だった。
『赤竜公ヘラドーン、村のみんなの仇、我が一族の無念、思い知れ』
その言葉と同時に、暴竜の眉間へ二本目の杭が撃ち込まれた。
赤竜公の傲慢な意識が、永遠に刈り取られた、その瞬間。
断末魔を上げることもなく、ただ血煙を散布させ、直滑降の勢いのまま、その巨体は橋の上に着地して滑り、橋の床の上に血の海を作り上げた。
そのまま数十メートル、盛大な擦過音と共に橋の路面を滑り、やがて停止して胴体は橋上に留まり、眉間が砕けた頭部はだらしなく下がった首に付随して、橋の下の水面に着水した。
︎︎状況が終了した時、完全に停止した90式の後部と、ヘラドーンの死骸の間には十メートルも距離が空いていなかった。
︎︎
︎︎エンジンをアイドリングにしたまま、俺たちは戦車から降りて、その戦車と死骸の間の十メートルに並んで立った。
︎︎
︎︎しばらく、無言で、その死骸を見つめていた。
︎︎黒い染みが、死骸の下から広がってブーツの先まで流れてくる。
︎︎本来は敵の死亡を確認するべきなのだろうけど。
︎︎
︎︎エチカの空間識覚で確認してもらわなくても、俺にもラティーナにも結果は分かっていた。
︎︎ふと、左隣のエチカの肩が震えているのを見て、俺は思わずその左肩に手を置いた。
︎︎エチカはすぐに俺の方を向いて、上目遣いで一瞬見たあと、胸の中に飛び込んできた。
︎︎黙って、きつく、その小さな体を抱きしめる。
︎︎背後からラティーナも抱きついてきた。
︎︎左手をエチカの背に、右手をラティーナの背に回して三人で一つに塊になりながら、お互い生きていることを実感しあった。
「よくやった。みんな、本当に、最高だった」
「そうだね。帰ろう、わたしたちの家へ」
「はい……終わったんですね、全部」
︎︎ファンタジー小説の定番や、ロールプレイングゲームだったら、ボスを倒したら帰還のゲートや、次のステージへの道があったりするのだが、俺たちのシナリオに関して言えば、その辺りの設計は随分と不親切なようだ。
︎︎
︎︎山脈の尾根へ続いているという、セーレ大神殿と反対側の出口、ヘラドーンが瓦礫で塞いで居たところだが、そこを砲撃で破壊して、坑道の外に出てみた。
︎︎一面雪景色だった。
「わあ! 私雪初めて見た」
︎︎密林のエルフだと言うラティーナは、雪を初めて見たということではしゃいでいた。
︎︎
「私の村は結構積もる場所でしたよ」
︎︎すっかり明るくなったエチカはにこにこ笑っていた。
︎︎いや、しかし。
︎︎不安定な尾根の道で、さらに完全に凍っている所を通りたくはない。
︎︎また、この先の道がどうなっているのか把握していないしな。
︎︎というわけで、敵の首魁ヘラドーンを倒したというのに、帰り道がかなり難儀した。
︎︎尾根側の道が使えないということは、元きた大神殿側に戻るしかないのだが……橋の上はヘラドーンの死体が占領している。
「……これを乗り越えていくしかないのか」
「そうなるけど、印象悪いね……」
︎︎俺もラティーナもエチカも、ひとしきり嫌そうな顔をしたあと、渋々90式に乗り込む。
︎︎
︎︎暴虐の限りを尽くした竜公とはいえ、仏さんを踏み潰していくなんて気分が悪い。
︎︎しかし、死骸を片付けてくれる人なんて誰もいないので、それしか方法がなかった。
︎︎おまけに、死んで平べったくなっているとはいえ、かなりごつごつとした身体で、ゆっくり行かないとそのまま滑って90式ごと池ポチャする可能性がある。
︎︎せっかく宿敵を倒したのに、その死骸で滑って戦車喪失は余りに笑えないので、進行に非常に神経を使った。
︎︎結論から言うとすげえ時間がかかった。
︎︎ヘラドーンと戦っていた時間より、ヘラドーンの屍を乗り越える方が時間がかかったかも……
︎︎90式戦車も血塗れになったし。
︎︎やっとの思いで大回廊に帰ると、俺たちの戦いを観戦していた他の赤竜族はいつの間にか居なくなっていた。
︎︎統領を殺られたことで、戦意を喪失したのか、誰も仇討ちなんてする人はいないみたいだ。
︎︎ヘラドーンのカリスマは、やつの強さに支えられていただけだったのかもしれない。
︎︎俺たちは、無人のオノンタルガ遺跡を進んだ。
︎︎ルキフグッサについて以来、休まず連戦と改修と連戦だったので、三人とも疲労困憊している。
︎︎まずはレジスタンスのアジトに行って、ベッドを貸してもらって休みたい。
︎︎その後は、90式を洗浄して、整備してあげて……その後の事は、とにかく一眠りしてから考えたい。
︎︎元きた長い坑道を進んでいる時に、俺はヘラドーンとの戦いを振り返っていた。
︎︎今思い返しても、強敵だった。
︎︎本来、戦車では勝てない相手だったのだ。
︎︎俺たちが勝てたのは、運が良かったのと、それと……
︎︎……ヘラドーンが負けた要因、やつが以前の戦術に固執したのは何故だろうか?
︎︎やつが謙虚じゃなかったから?
︎︎それもあると思う。
︎︎彼我の戦力差を冷静に分析できなかった?
︎︎確かに最後まで、やつは90式の真の性能を分析しきれていなかった。
︎︎しかし、ヘラドーンが愚かだったから、慢心していたから俺たちが勝てた、というのは少し違うと思う。
︎︎ヘラドーンは手段を選ばなければ、いくらでも勝ち筋があった。
︎︎やつにとっては狭い大回廊でも、部下も動員して一族総出で四方八方から襲い掛かってきていたり、上空から岩を落としたり落盤を誘発したり、地形そのものを武器にしていたら、地べたを這いずり回る90式なんて、どうにもならなかったはずだ……
︎︎それをしなかったのは、竜族としての、竜公としてのプライドがあったからなのだろうが……
︎︎やつは九十年前の戦術に固執し、昔の勝利体験に縋りついていた。やつは、九十年前の自分たちが最強だった時代から、一歩も進めなかったのだろうか?
︎︎確かにそういう面もあるのだが、やつは竜族としては、そこまで慢心していたわけじゃないと思う。
︎︎知的生命体としても、愚かだったわけじゃない。
︎︎きっとそれは、誰にもできなかったことなのだろう。
︎︎強烈な成功体験を捨てて、未知の勝ち筋を見出すことなんて、普通の精神では不可能なのだ。
︎︎俺たちは今回は適応できたから、適応できなかった竜族に勝つことができた。
︎︎しかし次は?
︎︎なるほど、悩ましい。
︎︎今度は俺たちが成功体験に捕らわれる可能性もあるということだな。
︎︎もっとも、この戦いの様子を見ていた赤竜族によって、90式が旋回砲塔であることや、対空仰角の限界といった詳細な性能も白日の元に晒されてしまっただろうから、同じ手は二度と使えないだろうけど。
︎︎……新たな敵が現れないことを祈るばかりだな。




