第56話 赤竜公ヘラドーン2 【死闘】
――90式が丁度ヘラドーンの執務机があった回廊の北側に近づき、彼我の距離が三百メートルほどに離れ、お互いにターンに入ろうする直前に、俺はある提案をした。
「ラティーナ、次アレを試してみよう!」
『了解! 右旋回のち、ブレーキ!』
90式戦車の名物の一つに、<殺人ブレーキ>と言われる異様に停止能力の高いブレーキ特性がある。
どういう物かと言うと、いい感じで踏むと、ほぼ確実に車長は反動で胸を打って悶絶するという代物。
で実際にそれを発動させると、やはりラティーナは胸を打った。
しかし前もって覚悟していたし、ラティーナは持ち込んでいたクッション材を使って耐えたようだ。
『うぐぅ……』
うめき声を漏らしながらも、すぐに次の指示を出す。
『……サスペンション全開! 迎角最大!』
「了解!」
号令一下、油気圧式サスペンションを全開にして、フロントが持ち上がっていく。
同時にリアも下げる。
90式の必殺技、懸架装置による姿勢制御だ。
サスペンションで稼いだ五度の傾きと、プラス主砲の仰角十度で、合計十五度。
そしてダメ押し――そのまま少し前進し、目前にあった代物――ヘラドーンの妙に大きな仕事机に乗り上げる。
バキ、とその机の上面鉄板が折れる音が聞こえる。
しかし脚の部分は完全には潰れていないので、キャタピラが持ち上がって車体の傾きがさらに上向きになる。
ヘラドーンがなぜこんな大きな机で執務しているのか謎だったが、近くで見たところ、どうも元々机ではなくて鉄骨でできた大型定盤だったようだ。
ドワーフの溶鉱炉跡地にあったものを机として再利用していたのかもしれない。
ドラゴンの公爵だから、できるだけ大きくて頑丈な机が欲しかったのかな?
机の上に広がっていたプレミアものの孫子の四十四篇は、当然粉々になってしまって惜しくはあるが、これでさらに仰角が稼げた。
ヘラドーンは仰角二十度より少し上の低空まで来ていたので、丁度主砲の射界に入った。
どうしてそのあたりの低空まで降りてきていたのかというと、過去の三号突撃砲の主砲最大仰角は二十度だったので、それを覚えて砲撃の射界に入らないギリギリの線を狙っていたのかもしれない。
『正面二十二度! 徹甲、撃て!』
『了!』
そして、エチカの放った砲弾は、ヘラドーンを確かに照準に入れていた。
しかし――
『曲がった⁈』
続くエチカの効果確認でも驚愕の声が上がった。
もちろんエチカは、超音速の砲弾の軌道が見えたわけではない。
着弾位置が妙に下に逸れていたから、弾道が曲げられたのが分かったのだ。
恐らくは入射角が真正面ではなかったから、魔法障壁で逸らされたのだろう。
しかしモニターに映る竜体をよく見ると、銛の穂先のようだった尻尾の先端が無くなっている。
『ッ……。なるほど、そこが前と変わったところか⁈ だがその程度ではな!』
……この赤竜公、意外とよく喋るな。
話している内容では余裕がある風にふるまっているが、声に動揺が混じっている気がする。
まあ、尻尾の先を吹き飛ばされて負傷すれば、それは恐怖するか。
初めてヘラドーンに有効打を当てたから、畳掛けたいところだが――残念ながら、この仰角で再射撃はできない。
なぜなら――机が限界に来た。
鋼鉄製の頑丈な定盤ではあったが、このサイズに90式の重量だと、脚になっている鉄骨がもたないようだ。
バキン、という音がして、フロントが一気に下がる――
『モトム、エチカ、いよいよやるよ! <煙玉とんずら大作戦>開始!』
そこでラティーナが勢いよく次の作戦を指示した。
「了解!」『了解!』
俺たちも決意を新たにして声を張り上げる。
<煙玉とんずら大作戦>は、あらかじめ示し合わせてあった最後の切り札の作戦だ。
『エチカ、煙幕!』
ラティーナの号令と同時に、砲塔左右の発煙弾発射機が作動する。
二発の発煙弾が前方へ飛び、着弾とほぼ同時に濃い白煙が広がっていく。
その煙で、90式の車体が完全に隠れる。
『むっ?』
疑念の声が90式の上空に回ったヘラドーンから聞こえる。
煙幕の中を五十メートル前進させ、さらにまた二発、発煙弾を発射。
もう一度前進、さらに発射。
都合六回繰り返して、三百メートルの煙幕帯を作りあげる。
大回廊内は本来、北風――南側の回廊の入り口から、北側のヘラドーンの執務机があった側、出口側に向かって風が吹いていたが、現在は違う。
ヘラドーンがさんざんブレスを吹きまくって床付近を温めたおかげで、上昇気流気味の気流が出来上がっている。
煙は大半が上へ流れていくので、ますます飛んでいるヘラドーンの視界が遮られる。
『どこへ行った?』
ヘラドーンは煙幕を見るのは初めてらしく、何をしていいのか分からないようだ。
俺は煙の中でアクセルを踏み込んだ。
煙の中で旋回して、南側の回廊出口へ車体を向けた。
『前方仰角十度、徹甲、撃て!』
ラティーナの指示に従って、エチカがAPFSDSを放つ。
砲弾は何もない空間を飛んで、回廊出口の真上へ突き刺さる。
『何だ? どこを狙っている?』
上空のヘラドーンの注意が向いた隙に、一気にターンして全速力で北側、ヘラドーンの執務机の向こう側、つまり、回廊の出口側を目指す。
ニンテンブルグ兄弟に教えてもらった、セーレ大神殿の地図で確認した。
謁見の回廊の先は、ドワーフが地下水脈の上に作った石の大橋が続いている。
そこの橋は、幅が五メートル弱しかなく、戦車のような大型の車両は橋の上で旋回することはできない。
煙幕がまだ濃く残っている間に、ターンを終えた90式は、一目散にヘラドーンの執務机があった側まで走行する。
<煙玉とんずら大作戦>はどんな作戦かというと、要するに、敵わなくなったし、弾も尽きかけたので、諦めてさっさと全力で逃げる……と見せかける作戦だ。
途中で自分の下を通り過ぎた俺たちに気がついて、ヘラドーンはこちらを見たようだ。
煙幕の切れ目から抜け出した90式は、そのまま疾走して全速力で外の石橋へと続く回廊南側の出口を潜る。
『このまま突っ切るよ‼︎』
ラティーナの声の後、その背後に奇怪な鳴き声と、爆音が響いてくる。
――まさか!
轟音と共に、車体の後背に推力を感じる。
この感覚――ヘラドーンが90式の背後を狙って火炎を吐きかけたのだ。
すこし上空から撃って角度が付いていたせいか、推力を感じたのはわずかな時間だったが……もしラティーナが外に出ていたら!
「ラティーナ、無事か⁈ ……ラティーナ、返事をしてくれ! エチカ、ラティーナは⁈」
『……モトム、大丈夫……生きてるよ……エチカが引っ張ってくれた』
ラティーナの疲れたような声がインターコムに入って来た。
安堵のため息をつく。
まったく、心配かけやがって……
「ラティーナ……良かった……もう、なんで外に出たんだ⁈」
『確認しておきたかったんだ、あいつの顔」
「顔?」
『ヘラドーン、笑ってたよ」
「……そうか!」
何故ヘラドーンが笑ったか。
俺たちが逃げた先、そこは地獄への入り口だ――やつはそう思ったんだろう。
もちろん、俺たちはこの先がどこへ通じているか知っている。
この先は、一本道の大橋で。
九十年前に、三号突撃砲G型が敗れた場所。
俺たちが選んだ決戦の場所だ。
俺はハンドルを握り直した。
奴は、俺たちが大神殿の出口、山脈の尾根側に向かって逃げると勘違いしている。
そして、また九十年前と同じように、背後を取れると確信してほくそ笑んだのだろう。
「行こう!」
アクセルを深く踏み込む。
神殿の床から橋の石畳に続くわずかな段差が車体を揺らす。
背後から、巨竜の咆哮が聞こえてきた――




