第55話 赤竜公ヘラドーン1 【決戦】
︎︎ヘラドーンの竜体が完成するまで、三秒もかからなかった。
︎︎全高十五メートル、羽根を広げた全幅四十メートル。
︎︎血の朱色を滾らせた無数の鱗に彩られた四肢と、長大な尾。墨染色の巨大な節くれだった頭部左右の巻き角。
︎︎硬くなった皮膚と角質に守られた、熱せられた鉄のような赤熱色に輝く爬虫類の顔。
︎︎開いた口から覗く何本もの牙は、一本一本が馬の胴体程の太さがある。
︎︎姿形、大きさこそゲネリッヒの絵画と寸分違わないが、それが動いていることの迫力は筆舌に尽くし難い。
︎︎まさに暴君の名に相応しい。まるで次の瞬間に世界を滅ぼしそうな化け物だ……。
さて、戦車に乗り込んで戦いの準備は整ったものの、まず相手から攻撃してもらう必要がある。
なぜそんなことをする必要があるかというと、こちらの降伏勧告を蹴って相手から攻撃してきたという事実を作るためだ。
そんなことをしても、自分たち以外に見ている者がいないのだから、意味がない……とお思いの諸兄もいらっしゃるかもしれない。
確かに、先に攻撃してきたという証拠を残すためには、本来録音や録画が必要だが、90式にはガンカメラはあっても、新大陸の他の場所では動画を再生するための設備がないからな。
︎︎しかし、実はこの場にはちゃんと第三者、つまりギャラリーがいるのだ。
︎︎先程、旋回中に気づいた。
︎︎セーレ大神殿の大回廊の壁は、ずっと同じ巨大列柱が続いているわけではなく、途中三階ほどの高さに、音楽ホールやオペラハウスにある観覧席のような場所がいくつかある。
︎︎そこから、赤竜族の人たちがポツポツと出てきて、エチカが演説している様子も、ヘラドーンが激昂している様子もずっと見ていた。
︎︎彼らは何をしているのか?
︎︎なぜ、ヘラドーンを助けに入らないのか?
︎︎ショッピングモールの屋上にいたような非戦闘員だけじゃなくて、兵士の格好をした者たちもいるのに。
︎︎この辺り、確証は無く推測になるが、たぶん竜族には挑戦制度があるからだと思う。
︎︎リバイアストンで赤竜王マカフシュが教えてくれた。
︎︎挑戦権を満たせば、竜帝の座を賭けた決闘に挑むことができる。
︎︎俺たちがヘラドーンへの挑戦権を満たしているのかどうかは分からないが、さっきヘラドーンは、
『我が前に立つ資格はあるようだな』
︎︎と言った。
︎︎もしかしたらこれがトリガーだったのかもしれない。
︎︎つまり、観客たちはこの地の現チャンピオンのヘラドーンに、俺たちが挑戦するというタイトルマッチを見届けに来ているという寸法なのではないか。
︎︎もしそれが本当なら、何とも脳筋なシステムだが、マカフシュから聞いたことも総合すると、竜族の文化というのは、どうも強者と勝者が全てを支配するという世界らしい。
︎︎まあしかし、戦争であれ、タイトルマッチであれ、現王者の方が舌戦に負けて先に手を出すというのはかなりみっともない。
︎︎ヘラドーンから攻撃してもらえば、赤竜族の中にも、俺たちの正当性を印象づけられるはずだ。
︎︎……もっとも負けてしまえば、道義的正統性など元も子もなくなるのだが。
︎︎そんな風に俺が考えてアクセルを踏んで進み始めたところ、同時にヘラドーンの口から大量の火炎が竜巻となって吐き出されるのを確認した。
︎︎してやったりと思いながら、急いで左ハンドルを切ってそれを避ける。
︎︎火炎の奔流が、90式が通るはずだった場所の床を焦がし、熱と衝撃で床面が粉砕される。
これで先制攻撃に対する反撃防衛行動という大義名分をゲットだ。
︎︎半拍遅れて、ラティーナの『前方、徹甲撃て!』の声と、それに応じたエチカの『了!』の返答。
︎︎引き金が引かれて、五十メートルの距離で放たれたAPFSDSは空を切り、パシュンという高い音と共に大回廊の奥側の壁に、直径数センチの細い貫通孔と、六本の筋状痕跡を残した。
見事に外れた。
︎︎砲弾発射の前に、ヘラドーンの巨体が左斜め上に飛びすさるのが見えた。
『上空、仰角五十から六十、左十一時、敵! 右折回避!』
︎︎ラティーナからの指示。
︎︎もうそんな場所にいるのか。
︎︎俺は敵が攻撃を落として来る位置を予想し、ハンドルを切ってターンに入る。
︎︎操縦席モニターの右端に、火柱が一本立つのが見えた。
︎︎回避直後に上空ポジションを取り、即座にブレスによる追撃。
︎︎なんという俊敏さだ。
︎︎ルペルカリスより二回りは大きいのに、ほぼ同等の動きができるのか。
︎︎そのまま、吐き続けられる火炎をかわしながら、百メートル離れたところでラティーナの指示通りターンして、直後に再度エチカがAPFSDSを放った。
︎︎しかし、また外れたようだ。
『敵、正面仰角五十度!』
ラティーナの指示から推測するに、ヘラドーンは一定の高度を保ってそこから下には降りてこないので、どうにも照準範囲に入らないようだ。
90式の主砲の最大仰角は十度しか取れないからな。
『ハハハハハ!』
︎︎マイクに入ってきた音、何の音かと思ったら、上空にいて旋回中のヘラドーンの笑い声だった。
『何だそれは!︎︎前よりも弱くなっているではないか!』
こちらの無力を嘲笑っている。
前、というのは九十年前の三号突撃砲との対決のことを言っているのだろう。
このセリフから察するに、ヘラドーンはちゃんと90式を三号突撃砲の新しいタイプだと思い込んでくれているようだ。
操縦席モニターからは上空のヘラドーンの姿は全く見えないが、マイクが拾う轟音、それにラティーナの教えてくれる位置情報と回避指示で、小刻みに火炎攻撃を続けてきているのが分かる。
モニターにも時折火柱が映っているが、ラティーナの指示が神がかっていて、何とか回避できている。
もっとも敵もほとんど真上から撃ち落としているだけなので、狙いがつけづらいようだ。
大回廊の空間、上空が開けているので飛んでいる側が有利かというと、どうもそんなことは無いようだ。
いや、攻撃を当てられない分、戦車側が不利なのは当然なのだが、ヘラドーンもあまり速度を出さないせいか、ゆっくり飛んで旋回した後再度アタックということを繰り返している。
回廊内では90式は最高速度時速70キロをほぼ常時出せているが、ヘラドーンは最高速度は時速100キロが限界というところ。
それでも三次元機動できる分、すぐに後ろを取られるかと思いきやそんなことはなかった。
加速できる空間がないから、時速100キロでさえ本当に一瞬しか出せないのだ。
特に旋回中はグライダーのようにゆっくり大回りするので、90式の旋回よりも遅いんじゃないかと思うぐらいだ。
もちろん、わざと失速して急降下したり、あるいは壁を使って三次元ジャンプみたいに工夫すれば機敏に動けるのだろうけど、失敗して地面に落ちると、即死級の攻撃をもらってしまうから、それを警戒して危険な賭けには出にくいようだ。
やはり狭い空間はどう考えてもドラゴンには不利というか、強味を活かせていないな。
なんでこんな所を主戦場に選んだかと言うと、奴らの習性だからどうしようもないのだろうけど。
しかし、ヘラドーンはこれをすれば《《かなり高確率で勝てる》》という方法があるのに、頑なにその方法を取る気はないようだ。
気づいていないのか、最強生物としての竜族のプライドゆえに、そんな方法を取る気はないのか……
何度かお互いに背後や正面を取り合うドッグファイトを続けた後、ヘラドーンは頭上からの炎塊落としが当たらないことに業を煮やしたらしい。
少し低空に降りてきて、斜めの角度でできるだけ直線的に空間を埋める攻撃に切り替えてきた。
リスクを取って地上近くに降りてきたわけだが、しかし、やつの炎、射程が二百メートル近くある。
回廊の三分の一の長さの炎の剣を振り回しているようなものだ。
回避がより大変になってきたが、火炎自体は先端の速度がそこまで速くないし、掠っても今、90式は耐熱装甲を上からかぶせているので、火炎耐性はかなり上がっている。
しかし、外の床付近の気温が大変なことになってきた。
これはラティーナにはずっと車内にいてもらわないとな……外出た瞬間に全身火傷してしまうかも。
室外温度計を見る限り、おそらく外気温は百度近くになっているはずだが、ギャラリーの赤竜たちは微動だにしていないのが驚きだ。
元々熱耐性が強い種族なのかもしれん。
このまま火炎で地表付近を埋め尽くされたら、酸欠になったり、いくら90式の耐熱性能や空調が高性能でも流石に蒸し焼きにされるかと慌ててきたが、さすがにヘラドーンもスタミナが尽きたようだ。
めっきり炎を吐かなくなって、だんだんお互いの距離が離れてきた。
隙を見て、必殺の一撃を入れる機会を狙い出したのだろう。
こちらもそのつもりだ――




