第54話 セーレ大神殿 【対峙】
セーレ大神殿の隠された、灯りの無い通路を進むと、少し広いスペースがある。
ここで一旦、戦車から降りて、履帯と車軸のダメージを確認することにした。
ヘルメットに付けたヘッドライトと、ハンドライトを使って、先程の戦闘で屋上防護壁に追突した部位を確認する。
外装は激しく歪んでいるが、転輪はボルトが折損していただけで、軸が永久変形しているわけではないようだ。
また、履帯のゴム部分が溶けて、その後固まったようになっているが、これは多分ルぺルカリスのブレスによるものだろう。
これも外装と同じく、大きなダメージではない。
この程度なら、用意してきた少量の交換部品で何とかなりそうだ。
ラティーナとエチカにも手伝ってもらって、即席で修理を施す。
後部装甲板は結構傷が目立つが、このままにしておいても、逆に満身創痍に見えてヘラドーンの油断を誘えるかもしれない。
「モトム様……」
エチカが、何やら言いにくそうな声で俺の後ろから話しかけてきた。
「ん?」
「……申し訳ありません」
「ああ、さっきのことか」
ボルトを締め終えて、エチカの方を見る。
ヘッドライトは別の方角を照らしているので、彼女の顔は良く見えない。
「エチカの気持ちは分かる。俺もさっきはよく分かって言ったわけじゃないんだ……ただ、あの場ではそうするべきではないんじゃないかと思った。すまない――俺のわがままだったかもしれない」
非戦闘員まで復讐の対象にするのはまずい気がする。
あの時は戦闘終了後で興奮していて、良く判断ができない部分もあったが、咄嗟にああするべきだと思った。
改めて考えてみれば、俺の中にあった違和感はこうだ。
90式戦車は自衛隊の理念のもとに生まれ、自衛隊の規律のもとで運用されてきた兵器だ。
無辜の民を守るために作られた専守防衛のための兵器。
だから俺は、それを復讐の、個人的感情のための殺戮の道具にすることに、どうしても抵抗を感じた。
「いえ……私が間違っていました。……正直に言えば、悔しい……とても口惜しくありますが……」
そこでエチカは一度言葉を切って、深呼吸をした。
「危うく、私はヘラドーンと同じ暴挙を犯すところでした。この戦いは、私たちと赤竜族の戦いですが、周囲の種族も皆見ている。復讐は、誰の目にも明らかな公正なやり方で行わないと、私の一族を……死んで行った人たちを辱めてしまう。そういうことですよね」
……そうなのかもしれないな。
ヘラドーンが暴虐で、許すことができない存在であるのは、戦争を起こした張本人である、ということもあるが――それ以上に、平時に約定を破ってエスタミシュの民を抹殺したことや、自分の怒りを晴らすためにルキフグッサの八万人を虐殺したことに、重点があると思う。
そのあたりは、どう取り繕っても単なる凶悪犯罪でしかない。
戦争犯罪ですらない。
道義を破った犯罪者に対して、道義の名のもとに正当な裁きを与えることこそが、俺たちの正当性を担保することに繋がるのかも――
「エチカ、すごく立派だと思う……」
ラティーナが微笑みながら、本当に誇らしいものへ向ける口調で、友の顔を見た。
「ラティーナ……ごめんなさい。あなたの、ベラ氏族の名誉も汚すところでした」
「ううん。私がエチカだったら、自分ではそこまで気づけなかったと思う」
ちょっと暗がりで良く見えないが、二人は手を握りあっているのだと思う。
これでみんな、ルぺルカリス戦の高揚は落ち着いて、再度、ヘラドーンへ挑むための準備はできたかな。
俺は、工具を片付けて、二人に声を掛けた。
「よし……整備完了だ、車長殿、砲手殿。じゃあ、行こうか」
俺がそう言うと、二人共頷いてくれた。
「ところでエチカ、相手はまだいる?」
「はい、動く気配はありません」
実は今俺たちがいるこの場所は、石壁一枚挟んで、隣が神殿の大回廊、ヘラドーンがいる場所なのだが……相手は全く気付いていないようだ。
ドワーフたちの工事が完璧だったのか、こちらの音はあちらに全く漏れていないみたいだ。
「推測ですが、事務仕事をしているようです」
なんとまあ、事務仕事ときたか……。
どんなを事務をやっているのだろう?
北方魔王の狂化によって狂ってはいても、公爵という為政者には違いないから、配下の竜族を治める仕事でもやっているのだろうか。
別に悠長にしていたわけではないんだが、俺たちが整備していた間も、誰一人として俺たちの侵入を知らせに行かないのも異様だった。
先ほど屋上にいた非戦闘員たちも、ヘラドーンの心配はしていないのか?
ルペルカリスは忠誠心が厚かったようだが、皆が皆そうではないのか……あるいは極端に個人主義なのか。この辺、竜族が異種族過ぎて、価値観がいまいち把握できないところだ。
とにかく、ヘラドーンが逃げないで一人で執務しているというなら、俺たちにとっては都合がいい。
俺は無言で拳を突き出した。
ラティーナとエチカが、順々に自らの拳をそこに合わせる。
そして三人で同時に頷く。
決戦の決意を固めて、皆身を翻す。
90式に乗り込み、座席に付くと、ハッチを閉めた。
アクセルを踏む。
車体を超信地旋回させて、大回廊側の壁に向ける。
今目の前にある壁は、ドワーフが作った秘密の抜け穴で、あえて薄く作られている。
非常時の脱出路として使うつもりだったそうだ。
その壁に狙いを定め、エチカが7.62ミリ同軸機関砲を斉射する。
無数の穴が壁に空き、その穴の先から、幾条もの光の帯が漏れてくる。
崩れ落ちていく途中の石壁に車体をぶち当てて、一気に突き破る。
操縦室モニターに、開けた広大な空間が映った。
長さ六百メートル、幅百メートルの大回廊。
巨大な列柱が正面から左右にずっと広がっている光景を確認する。
エチカとラティーナが、ハッチを開けて外に出た。
俺も、操縦手ハッチから顔を出す。
ニンテンブルグ兄弟に見せてもらった大神殿の図面では、高さ百メートルという話だったが、そこは少し違っていた。
確かに、整備された石壁が積まれているのは百メートル程度の高さなのだが、天井は見えない。
遥かに暗い頭上を見ると、一点に光りが差し込む穴が開いている。
この構造を見るに、この空間は元は本当に火口だったのかもしれない。
目指す場所、右手を見ながら、車体を右折させていく。
右奥、今戦車がいる位置から百メートルは先、回廊の出口より十メートルほど手前に、ポツリと妙に大きな、御影石のような材質でできた四角い仕事机があり、そこに座って何かを読んでいる男が見えた。
双眼鏡でその様子を確認する。
血のような赤い色の髪を後ろ髪にし、その左右に墨色の、巻貝のような山羊角が顔を飾っている。
白い蝋のような肌に、落ちくぼんだ眼。
爬虫類に似た神経質そうな表情。
肩幅の広い立派な体躯は、中国の武侠映画で見るような、細身の長袖の黒い漢服に包まれている。
その人物の周囲には、抑えようのない存在感と威圧感が湧き出ていて、周囲の空間でとぐろを巻いている。
恐らく、間違いない。
あれが……
俺たちの倒すべき敵。
ルキフグッサの暴君、
赤竜公、ヘラドーン。
だが、まさか……
本当に事務仕事をしているとは……。
いや……双眼鏡で見る限りだと、読書をしながら、メモを取っているようにも見える。
男の手元にある不思議な黄土色の物体に視線を移す。
『孫子 四十四』
という文字が確認できた。
その文字が書かれた、細長い板を何枚も横に連ねた物体は、古代中国の文書を記すときに使う竹簡だ。
孫子という文字と、四十四という数字で俺ははっとなる。
まさか、現在は十三篇しか伝えられていないが、元は八十二篇あったという孫子の原本か?
『誰が私に断りなく工事をしている?』
不思議な、良く響く、威厳に満ちた声が聞こえてきた。
90式は右折を終え、完全に宿敵を眼前に捉えたところだ。
しかし、目指す敵は、黙って優雅に読書を続けるだけで、焦る様子はみじんもない。
敵が来ているということにすら気付いていないのか?
いや……人間など敵ではないということかもしれない。
覇者の貫禄とでもいうつもりなのだろうか。
「余裕だな、ヘラドーン公!」
俺はできるだけ声を張って、八十メートル先に近づいた敵に呼びかける。
ヘラドーンは俺の声でこちらに気付き、顔を上げて、
『なるほど、貴様らか』
今初めて気づいたように、ポツリとそう言うと、おもむろに立ち上がり、静かに歩いて机の前に回り込んだ。
そして、片腕に腰を当てて足を広げて真っすぐに立つと、
『だが、何が来ても変わるというものではあるまい』
そう、悠然と言い放った。
敵の前、五十メートルの位置まで行くと、俺は90式を停止させた。
エチカがすぐに砲撃しないのは、おそらく今この状態で撃っても、回避されると考えているからだろう。
そのように実感させるほど、ヘラドーンの態度は余裕に満ちていた。
それに、魔法というものに理解の無い俺でもわかった。
とてつもない、目に見えない力の奔流が目の前の男から湧き出していて、それがあらゆるものを押し退ける流れとなっているのが分かり、冷や汗がにじみ出てきている。
これが、ニューシャルマニア全土を征服し、全ての人類を抹殺しようと目論む男の魔力というやつか……。
『む? ……ルペルカリスを屠ったというのか――信じがたいが、我が前に立つ資格はあるようだな』
ヘラドーンがそう勘付いたのはなぜだろうか。
90式の塗装の剥げや、損傷の度合いを目にして、激しい戦闘があったことを予想したのか。
あるいは、空間識覚でルぺルカリスの気配がないのを探査したのか……竜族の空間識覚はそこまで遠距離には届かないはずだが……
「ヘラドーン、要求があります」
ヘラドーンの傲岸たる姿勢を無視して、甲高く凛々しい女性の声が響いた。
砲塔上に肩幅に足を広げて、堂々と立ったエチカ。
彼女は拡声器を片手に、仇敵に向けてさらに言い放つ。
「無条件降伏しなさい。そしてリバイアストン市、ならびに周辺の村落を攻撃し、無辜の住民を虐殺した罪を認め謝罪と賠償を約束せよ。然る後、刑罰に服しなさい」
拡声器に増幅された独特の響きが、大回廊に充満する。
その意味するところを反芻して、俺は先ほど、回廊の外の暗闇でエチカが言っていたことを思い出す。
『復讐は誰の目にも明らかな公正なやり方で』
それを思い返せば、今エチカが唱えた主張は、偉大さと公明正大さに満ち溢れていたと思う。
人の法の下に裁かれよ。
それは、道理と正当性に満ちた主張であるとともに、知的生命体の頂点を自負する男にとっては耐え難い屈辱になるだろう。
そして俺の予想は当たっていた。
相手の反応は劇的だった。
ヘラドーンは、潰れる音が聞こえんばかりに右こぶしを硬く握りしめ、歯を食いしばった表情は怒りに満ちていた。
『カスどもが……つけ上がりおって! ディコーンごときが我が名を呼ぶな!』
エチカの演説は余程ヘラドーンの自尊心を傷つけたらしい。
まさしく怒号と言うべき返答が圧となって、回廊を吹きすさんだ。
「ヘラドーン、私はお前の名を呼ぶのに何の躊躇も感じない」
しかし、それに返されたエチカの言葉は冷静で、落ち着いていて、威厳に満ちていた。
「お前は竜帝にはなれない。私はお前を承認しない。お前の野望はここで終わる」
『……その目は、そういうことか!』
ヘラドーンの表情に驚愕が混ざり、彼は腰に当てていた左手をエチカに向かって突き出した。
『そ、その目で……私を見るな!』
震える手で、エチカの視線を振り払おうとするヘラドーン。
少し不思議に思った。
ヘラドーンは、明らかにエチカの視線を恐れている。
もしかして、かつて竜族を支配していたという、エスタミシュの力は、まだエチカの瞳に残存しているのだろうか?
「我が名はエチカ・エスタミシュ・ラディンスキー! ヘラドーン! 主殺しの大罪人よ、かつての主の名を忘れたか!」
『エスタミシュの血族……根絶やしにしたと思っていたのに。逃れたものがいたのか――だが、それももう終わりだ!』
空気が憎悪を伝搬して震えている。
――何となくわかった。
俺たちも、周囲の空間も、次に起こることを予感している。
その場にないものを呼び出そうとしているから、大気が押しのけられることを感じとって震えているのだ。
ふいに、ヘラドーンの周囲を包んでいた、あの魔力の奔流が重さを一気に増したように感じた。
そしてそれは、目に見える色のついた、赤黒い靄へと変わり、男の姿をより傲岸不遜な形状へと変えていく。
恐怖が形を成した。
竜体が形成され、赤竜公が本性を現し始めた。
俺たち90式戦車チームは、それぞれの座席に入り、ハッチを閉めた。
最終戦闘の開始だ――――




