第53話 赤竜侯ルぺルカリス 【報仇雪恨】
『あれは赤竜候ルぺルカリス、ヘラドーンの親衛隊長です!』
エチカが少々強めの語気で叫んだ。
『階下にいたのはおそらく、その息子ルペルデンダと娘のルペルマテアでしょう』
エチカが何故にここまで赤竜族の家系に詳しいのか――その理由については、ダンタリオ山脈の湖畔でキャンプした時に聞いていた。
エスタミシュが襲撃された後、竜族を研究していた人が、地下室に残していった手記を入手したのだそうだ。
エチカはこれまで、それを復讐のためにずっと読み続けて、胸に刻み付けてきたのだ。
右折中、敵の様子を素早く見る。
二匹いた火竜が側にいない。
俺たちを探して、立体駐車場を下りていったようだな。
90式の車体中心軸が赤竜に向いた時、間髪入れずに、エチカが120ミリ砲を発砲した。
ところが、一瞬で相手の赤竜は視界から消えた。
『速い!』
エチカが叫んだ直後、鈍い音が天井の岩肌から上がる。
おそらく先ほど真上に飛び退った赤竜ルぺルカリスが、体を空洞の天井壁にぶつけたのだ。
屋上駐車場と地下空洞天井の間の隙間はせいぜい三十メートル程度しかない。
ドラゴンが柔軟に飛行できる空間はない。
それでも天井で背中を削りながらでも、ルぺルカリスは飛翔したのだ。
俺は慌ててエンジンを全開にして前進し、ハンドルを左に切ってターンに入る。
このままでは背後を取られてしまう。
……履帯切れるかもしれないからやりたくなかったが。
滑らせてみるか。
90式の五十トンの巨体によるドリフト走行。
一気にハンドルを切ったので、リアが滑り始め、車体が円弧軌道を描き始める。
屋上の路面摩擦はかなり低いので、今の所上手く行っている。
履帯と路面が奇怪な高音を上げながら、ターンの半ばを終えようとする時だった。
『も、モトム、これ⁈』
ラティーナの悲鳴。
悪寒を感じた。
横方向から、激しい推力を受けている?
咄嗟に表面温度計を確認。
どんどん上昇している。
敵のルぺルカリスが、ドリフト中の90式の側面に向けて炎を吐きかけている!
90式の側面には現在、耐熱装甲のシェルツェンが付いているので、熱自体は問題ないが――この推力はまずい!
(うおおおおお!)
心の中で絶叫する。
このまま押され続けたら、ターンの半径が大きくなりすぎて、回りきる前に屋上防護壁に追突してしまう。
その後、もし壁に乗り上げてしまったら……屋上は七階の高さ――
――乗り越えて落下したら、終わりだ!
焦りながらハンドル調整をする。
その瞬間、妙に滑りが良くなった。
前輪が予想以上に滑り、竜の姿がモニターの端から現れてスライド――
そして鈍い音と共に、右後部から横荷重を盛大に受けた。
身体の揺れが収まった後、盛大な冷や汗がどっと出てきた。
落下の浮遊感や、履帯が屋上からはみ出した不安定感は感じない。
胸を撫でおろす。
後部が防護壁にめり込んだが、何とか止まってくれた。
想像以上に、防護壁が頑丈で助かった……
――今までで一番死ぬかと思った。
ルぺルカリスは屋上駐車場の丁度反対側にいた。
やつの吐いていた炎が小さくなり、顔が視認できるようになる。
一瞬の交錯――
沈黙が十分は続いたかに思えたが、実際は数秒だ。
一挙一動を観察する。
今射線を合わせようと車体を回転させれば、ルぺルカリスは先ほど見せた巨体に似つかわしくない異様な俊敏さで避けるだろう。
――どちらに避ける?
上には飛ばないと思う。
左か、右か。
砲塔は回転できないから、発射のタイミングはエチカにまかせる。
アクセルを踏む。
車体は前進を始めるが、射線はまだ合わせない。
一気に左にハンドルを切る。
車体が滑り始めた瞬間、ルぺルカリスが飛び退ろうとするのが見えた。
『発射!!』
絶叫に似たエチカの叫び。
バスン、といういつもの発射音。
赤い花が、モニター右側に咲いたように見えた。
もう一度、ハンドルを右に切って、ルぺルカリスの姿を探す。
屋上地面にへばりつく様に伏したドラゴンの姿を発見した。
エチカの見越し射撃は、完全には命中しなかった。
しかし、掠っただけでも、相手にとって被害は甚大だった。
砲弾はルぺルカリスの右脇を掠め、右腕の根元を粉砕し、その後ろの翼に大穴を開けた。
もう俊敏な動きも、空を飛んで逃げることもできないだろう。
『ルぺルカリス、引導を渡してあげます――』
ハンドルを切って、屋上を何とか這って逃げようとするルぺルカリスの胴体をセンターに入れる。
操縦している俺にも、エチカの激情が伝わってくるようだった。
旋回が終わった時、発射音と共に侯爵の頭部が粉砕される。
……戦果を確認するために、死骸にゆっくりと近づく。
短い戦いではあったが、手ごわい相手だった……
まさか砲撃された瞬間にそれを躱すことができるドラゴンがいるとは……
超音速の砲弾を、目で見て確認してから躱したはずはないので、こちらの狙撃の気配を読み取って先読みで行動していのだろう。
そんなことができるということは、歴戦の勇士だったというわけか……
屋上駐車場ではなく、もっと制約のない自由な場所だったら、負けていたかもしれない。
敵の完全な死亡を目視して確認したので、アクセルを踏んで発進させる。
走行にほんの少し違和感を感じる。
落下防止壁への追突、もしかしたら転輪車軸が少し曲がったかもしれないな……
地竜伯ギャンガラドの突進が掠った時でさえ、後部装甲が少しひしゃげた程度だったのに。
履帯のダメージも気になるので、徐行気味で走行する。
ヘラドーンと戦う前に、一度どこかでチェックしておきたいな……。
二つある、セーレ大神殿へと続く連絡橋のうち、狭い方の橋を選ぶ。
広い方の橋が、本来のエントランスに続いているのだが、そこから行くと、正殿が正面にあり、その後、謁見の間となっている大回廊に直通しているのだ。
今回はヘラドーンの意表を突きたいので、別の通路を使って、ヘラドーンの知らないルートから大回廊に入る予定だ。
操縦席ハッチを開けて外を確認しながら、大神殿への連絡橋へ向かっている時に、脇に四角い箱型のモール屋上の出口があった。
こういう建物にはよくある、階下へのエレベーターホールやエスカレーターに続いている場所だ。
そこの入り口に、今まさに出てきたばかりの、数名の人影が並んで立っているのに気づき、ぎょっとする。
(赤竜族の本拠地の地下遺跡に人影?)
それも一人ではない、五、六人いる。
フードから覗く赤髪に、炭のような色の山羊角が横に突き出た女性と、その女性によく似た子供たち……
呆然とした様子で、屋上の様子を見ているその人たちと目が合った。
俺はその目を見て、リバイアストンで出会った赤髪の女性……ヘラドーンの長女であるという、ヘラギネアを思い出した。
……その可能性を考えなかったわけではない。
……確かに、非戦闘員の赤竜族だって複数人住んでいるはずだ。
女性の表情が、憎々し気な視線に変わるのが分かった。
呆然とした子供たちの瞳は、屋上に広がる赤い染みに向けられているようだった。
――つまり、そういうことなのか?
――今倒した赤竜候の家族だったのか? ……あるいはその息子や娘の家族?
『モトム様、車体をあちらに向けてください!』
――エチカ?
俺はブレーキを踏んで90式を停車させる。
「どうした、エチカ?」
あちらというのは、まさか……。
『7.62ミリで! 今なら撃てます!』
まさか、あの人たちを撃とうというのか?
主砲同軸機関砲で?
非戦闘員を?
『エチカ……』
『ラティーナ、車長席を変わってください!』
俺が90式を止めたから、同軸機関砲で狙えなくなったとみて、車長席側のM2機関銃を使うつもりなのだろう。
『あいつらだって、あいつらだって赤竜なんです!』
悲鳴にも似た叫びだった。
言っている意味はわかる。
確かにそうだ。
彼らとて、いつ変身して、ドラゴンになって襲い掛かってこないとは限らない。
――でも、本当にそうなのか?
俺は目をつむって、しばし考えた。
本来なら、戦場では命取りの行動なのだが、目を開けた時も俺は生きていた。
「エチカ……それはいけない。彼らに戦意はない。90式戦車の乗員は、戦意のない相手に銃は向けない」
『モトム様⁈』
冷たい言い方だったかもしれない。
エチカの気持ちは痛いほどわかる。
ドン、という音が車内に響いた。
エチカが拳で、砲手用ペリスコープを力任せに叩いたのだ。
『お前たちが、お前たちが始めなければ……』
『エチカ……後で、後で考えよう。今はまず、ヘラドーンを逃がさないように、玉座に行かないと――』
ラティーナが目線を変えるように促して、エチカを宥めた。
『…………そう、ですね……』
もちろん、エチカは納得していないだろうが、ヘラドーンを討つという大目標の方を優先してくれたようだ。
90式戦車チームは、赤竜族の民間人を無視して通り過ぎることにした。
俺たちが何もしないと解ったのか、赤竜族の女性は、しばらくすると、目線を落とし、子供たちを引っ張ってモールの中に消えていった。
二つある連絡橋のうち、細い方を選んで俺たちはセーレ大神殿のある岸壁の中に入った。
そこはまた坑道が続いていたが、長らく放置されていたようで、蜘蛛の巣が盛大に張っていた。
赤竜族は普段はこの道は使わないようだ。
しかし、この道はヘラドーンがいるはずの大回廊の真横に通じている。
坑道に入った時に、エチカが静かに漏らした。
『……ルぺルカリスとその息子たちは……エスタミシュの村を焼いた実行犯にいたんです』
……そういうことか。
彼らと対峙した時、最初からエチカは興奮気味だった。
空間識覚から伝わる特徴で、エチカにはどの竜なのかが、ある程度わかるらしい。
生き残りの人型赤竜族を見て、冷静なエチカに似合わず、激高したのは。
仇や仇の家族が目の前にいたからだったんだな。
しかし、滅ぼされたら滅ぼし返すというのでは、延々と復讐の連鎖が終わらなくなってしまう。
復讐は実行犯に対してだけで留めておかなければならない。
エチカは見事に仇敵の一人を討った。
こういう時に、どういう言葉をかけるのが適切なのだろうか――
――現代日本の倫理で語るべきではないと思う。
エチカは一族の業を背負った戦士として、一族の名誉をかけて、赤竜族と戦ったのだ。
「エチカ、君は見事に一族の仇を討った。俺は君のことを、ディコーン族の勇士と共に戦えたことを誇りに思う」
『はい……、……はい、ありがとう……ございます』
か細い、涙声で、しかし……しっかりとした発音で、可憐な戦士は応えた。
残すは最大の仇敵との対決。
赤竜公ヘラドーン。
ニューシャルマニアの大地を血に染めた張本人。
報いの刃は、まずはその男にこそ向けられるべきである。




