2話 救済と粛清の境界線
「ダメージはかなり大きい。
迅速に回収し、医務室に搬送して!!」
シオンは声を張り上げて、命令を下す。
これは必要なこととはいえ、どうにも慣れない。
精神的なものか、肩に妙な重さを感じる。だが、休む暇などはなかった。
「よ、良いのですか?
彼女たちは遺者に侵食されています。
ここで処分すべきでは?」
「大丈夫よ……私ならその侵食を断ち切れるわ」
「し、しかし」
「不必要な反論ね。彼女らを見殺しにするつもり?
そんな奴は私の部下には必要ないわ」
シオンは部下を睨みつけて意見を却下する。
恐怖からか、あるいは不寛容か。
不安定な世界では、被害者であっても容易く切り捨てられる。
そんなことをしていては、未来は無いのだと理解しようとしない。
「それにしても……主人公か。
圧倒的な才能と壮絶な運命……覚悟を固めなければね」
シオンは、意識を失ったレイナ部隊を収容し、迅速に基地へと向かう。
大型のヘリが空へと浮かび上がり、周囲の景色が嫌でも目に入る。
崩壊したビルに、いたるところに散乱したガラス片。
建物の影に隠れて過ごす浮浪者たちに、よく見れば死体も転がっている。
これが、自分たちが見捨てた者たちの姿。
何を言ったところで、現時点では彼らを救う方法などない。
ならばせめて手を合わせて、感謝の念を示そう。
彼らの死が、別の誰かを生かす。
決して無意味ではない。
「見えてきたわね」
シオンの前に強固な壁が雄大な姿を現す。
これが人類が有する最後の拠点、理想郷イデア。
その威容が、彼女の帰還を迎え入れる。
だが、彼女たちを迎えたのは、壁だけではなかった。
飛行型の遺者。
害鳥たちが、壁の防衛任務を請け負う部隊と交戦している。
それを見たシオンは笑みを浮かべ、ヘリから飛び立つ。
「ふぅ、タイミングが良かったみたいね」
「し、シオン様!!
援護……感謝いたします」
シオンにとっては、ほんの一瞬でいい。
ただ一度、刀を振るうだけで下級の遺者なら即死する。
「……随分と負傷者が多いわね」
シオンは、門を守る部隊の様子を見て、顔を歪める。
支給された聖遺装は使い込まれ、損耗すら放置されている。
兵士たちの背後に並ぶテントも、数多の穴が開いている上に、血の汚れですら清掃しきれていない。
かなり劣悪な環境……少なくともシオンの管理下では、こんな状態になる前に改善させている。
「……お前たちは何処の部隊だ?」
「は? え、えーと、御影様の部隊です」
「……あいつか」
御影家は、有数の権力を持つ名家である。
しかも、ただの名家ではない。
理想郷イデアの建造に莫大な資金を投じた、「十貴族」と呼ばれる一族のひとつ。
いくら黎明教会導師であるシオンでも、容易には手を出せないほどの権力。
とはいえ、気づいたからには放置する気はない。
「私の部下を一名ほどこの近くに配置する。
少しはまともになるはずだ。
絶望した……なんて言い訳で死ぬなよ」
「……はっ、ハイ」
「任せたわ」
シオンは静かに息を吐きながら、隔離病棟へと向かう。
先ほど会話した門の守備兵は、体を震わせて怯えていた。
権力を持つ者に対する強い拒絶……それが態度にまで表面化している。
「……強引にでも対応を進めて正解だったわね」
シオンは、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
彼女はやがて、隔離病棟に到着する。
「精密検査を頼む」
シオンは専門の検査医師たちに精密検査の依頼を行う。
外に出たものが、理想郷イデアに戻るには隔離病棟と呼ばれる場所で、自らが人間であると証明しなければならない。
「精密検査……ですか
いやぁ、望みは薄いと思いますがねぇ」
ひとりの検査医師が、口元を歪めながら言う。
「どういうことだ!?」
シオンは、検査医師に詰め寄る。
検査医師の態度に無意識に力が入り、語気が強くなった。
「っ!? い、いえ、そ、そうだ……
あれだけ遺者に肉体を修復されていて、
ぶ、無事なわけがないでしょう?」
検査医師は体を震わせながら答える。
彼の息は荒くなり、腰は抜けていた。最前線にもっとも近いとはいえ、シオンほどの実力者に睨まれては無事では済まない。
「問題ない。
検査で悪い結果が出ようとも、治療するのだから」
「は? 治す……?」
検査医師は数度まばたきを繰り返した。言葉の意味を理解できない。そんな感情が顔に浮かび上がったかのようだった。
「いいから、さっさと検査をしろ」
「わ、分かりました」
隔離病棟に運ばれてきた五人に対して、検査が行われる。
案の定というか、遺者の侵食反応が検知された。
「ふ、ぶひぃ、こ、これでは……中に入れるわけにはいきませんねぇ。
ご安心ください。彼女たちは私がしっかりと有効活用させていただきますので」
検査医師は鼻息を荒くしながら、そう捲し立てる。
遺者反応が基準値を超えた者は、理想郷イデアに入ってはならない。
これは明確なルールであり、絶対の掟だ。
「黙れ……いいから数値を見せろ」
シオンは、改めて画面を確認する。検査医師の言っていることは正しかった。
確かにこの数値のままでは、理想郷イデアに入ることはできない。
この外では遺者がうろついていることを考えれば、事実上の死刑宣告……そう今のままなら。
「そ、それは、なんですか?
め、目玉っ!?」
「眼球と言え……そのほうが表現として好ましい」
シオンは、そう言いながら眼球を五つに割り、それらを少女たちの体に埋め込んだ。
するとモニターが音を鳴らしながら、侵食値を大きく下げていった。
「ば、馬鹿な!!
侵食値をどうやって……」
「これで条件は……満たした。
さっさと起きろ」
シオンは微弱な電流を流すことで、意識のないツバキたちを強引に起こす。
「いっ、いたぁあ……」
ツバキは周囲を見渡すと、顔を歪めた。
無理もない……シオンはそう評価する。
ここで意識を取り戻すということは、すなわち敗北の証……むしろ顔を歪めて悔しがるのが当然だろう。
「大丈夫……生きてるんだから、次はこうならないようにすればいい」
シオンは思わず口元が緩む。
なんて尊い光景だろうか……先輩が新人を励ましている。これだけでも新人の精神面への影響は計り知れない。
しかも、隊長のレイナの影響もあり、他のメンバーも互いに慰めの言葉をかけ合い、今後の決意を固めていた。
やはり、この部隊には欠けても良い人材は一人もいない。
そんなシオンの穏やかな時間に水を差す輩がいた……そう検査医師だ。
「い、いや、侵食は進んでいるはずで……
基準を満たしてないし、治療だって意味不明だし」
シオンに睨まれた検査医師が、しどろもどろに言葉を並べる。
だが、その目は検査結果ではなく、レイナとシオンを交互に見ていた。
「なんだ?
彼女たちが健康だと都合が悪いのか?」
「い、いや、いえ……そ、そんなことは……」
検査医師の表情が歪む。
その反応を見て、シオンの疑念はさらに深くなった。
以前から、この検査団体には黒い噂がある。
検査結果の偽装。
侵食反応が出ていない者であっても、不合格として記録する。
そうして死亡扱いにし、御影家へ献上している――そんな噂だ。
確証はない。
だが、目の前の男の反応は、限りなく答えに近かった。
「申し訳ありませんが、先ほどの治療行為は認められません。
ゆえに許可を出すことも……」
シオンは検査医師の言葉を遮って、彼の顔面を掴む。
「お前の判断は聞いていない」
シオンの声は低かった。
「私は基準を見た。
彼女たちは基準を満たしている。
それでも不合格にするというなら、基準を無視したのは貴様だ」
「ぐ、あ……」
「一度だけ言う。手続きをしろ。
しないなら、私の権限で貴様をこの場から外す」
「わ、分かった……手続きをしてくる」
検査医師は、そう言ってシオンが入れない部屋に逃げ込んだ。
*
シオンの入れない部屋に逃げ込んだ検査医師は、急いで電話のところに向かう。
もちろん、検査結果を合格にするつもりなどない。
この区画の管理権を持つ御影家に、シオンの越権行為を訴える。
黎明教会の導師が検査手順を破壊し、感染疑いのある者たちを強引に通そうとしていると。
そう伝えればいい。
いかに黎明教会の導師と言えど、丸め込むことができる。
そうなればもはや、勝利と言っても過言ではない。
当然、黒い噂は事実だった。
彼はこれまで何度も、検査結果を意図的に歪めてきた。
そうすれば、救助された人間ではなく、処分待ちの感染者として扱える。
記録など、あとからいくらでも整えられる。
そうすれば、彼女たちはどこにも戻れない。
誰にも助けを求められない。
この区画で、自分たちの管理下に置けるのだ。
こんなおいしい立場を、どうして手放せようか。
「もしもし、御影様でしょうか?」
検査医師は、最初に電話での報告を行おうとする。いつも通りの電話のはずだった。しかし、受話器から聞こえてきたのは、尋常ならざる悲鳴だった。
*
「ぁあああああああああっ!」
御影家が支配する一角は、すでに惨劇の只中にあった。
理想郷イデアの中間部……本来なら絶対安全なはずの場所は、喰聖の襲撃によって半壊している。
大きな傷を負った使用人の女性が、床に倒れ込みながら悲鳴を上げた。
「うーん、ちょっとへたっぴかな。
標的以外を無駄に傷つけても、意味ないよ?」
真っ白な少女……イリスは、喰聖に向かって首を傾げる。
イリスが求めているのは、御影家の終わり。
この場にいる人間すべての死ではない。
目的に必要なものと、必要ではないもの。
イリスの中で、その線引きははっきりしていた。
「この人たちの死が、世界を良い方向に変えることはないからね。
思想がない人こそ、しっかりと生きて、働いてもらわないと……」
喰聖にそう告げ、イリスは使用人へ近づいていく。
そんな彼女を止めようとする影がひとつ。
「そこのあなた!!
早く逃げてください!!!」
「あ、まだ護衛が残っていたんだ……」
灰祓いが、イリスへ向かって襲い掛かる。
灰祓いは、本来なら遺者を討つための戦力だ。
理想郷イデアの外側で、人類の防衛を担うべき人材。
それを御影家は、自分たちの護衛として囲い込んでいる。
この近辺だけでも、二部隊十名ほどが派遣されていた。
自らを犠牲にして、他人を守る人たちの集まり……
非常に貴重な存在で、イリスから見ても好きな人種ではある。
敵でも殺したくはない。
「ちゃっちゃと意識を奪って……
あ、殺しちゃダメだよ?」
灰祓いの対処は喰聖に任せ、イリスは怪我を負った使用人へ近づいていく。
目と鼻の先まで近づくと、使用人の頬には大粒の涙がいくつも伝っていた。
あたりまえだよね……こんな怖い化物が襲い掛かってきているんだから。
だから、しっかりと慰めてあげないと……
イリスはそんなことを思いながら、使用人に優しく話しかける。
「大丈夫……落ち着いて」
イリスは使用人の頭を撫でる。
すると、使用人の震えが、少しずつ小さくなっていった。
やがて、涙で濡れた瞳が、ゆっくりとイリスのことを捉える。
恐怖が薄まり、困惑が強くなっている。
イリスにはそう見えた。
「落ち着いて……彼も、私もあなたを殺すつもりはないの。
私たちの標的は、御影家だけ……」
「え、えっと……」
「むしろ、私は助けに来たの……知っているよ?
御影家に良いように利用されてきたって……
奉仕に、密告……さらには献上――
自分の安全を確保するために、忠誠心を示すだけで精一杯なんだよね?」
イリスは知っている。
使用人たちが、御影家に単純に保護されているわけではないと。
彼らはその忠誠心を常に評価されていた。
時には屈辱的な格好で踊り、時には道化を演じる。
時には危険区画から嗜好品を奪い、時には悪口を言っていた同僚を売った。
ただ自分の安全のために、自分より位の高い者に媚びを売ってきた。
精神と体力を極限まで削って。
使用人の顔から、血の気が引いていく。
「わ、私を恨んでいるから、殺すのですか……?」
イリスは目を丸くする。
優しい言葉をかけているのに、どうしてそんな勘違いをするのか。
いや、あるいはこれが普通の罪悪感を感じる人なのかもしれない。
「大丈夫……殺さないよ?
だから、御影家の連中が、どこに逃げたのかを教えて?」
「う、裏切れというのですか……?」
「大丈夫だよ。キミの立場は保証するよ。
キミは自分の命が保証される範囲で、命令に従っていただけ。
それは上が変わっても、変わらない。
今は自分の命を守ることだけをすればいい」
使用人は小さく震えながら、ゆっくりとゆっくりと口を動かした。
「ありがとうね」
イリスは彼女に抱き着いた。抱擁の暖かさが、彼女の罪悪感を溶かしている。
彼女は、使用人をそのまま優しく寝かせた。
そのまま、喰聖と灰祓いの方を見る。
いまだに激戦が繰り広げられていた。思いのほか戦闘力が高い……イリスは素直にそう思った。
それは喰聖も同じなのか、彼はまっすぐに灰祓いのひとりを睨みつける。
「……俺はお前のことを知らん。
だが、強いな……なおさら、御影家を生かしてはおけん」
情報には存在しない顔……おそらくは御影家の権力で、この区画の防衛しか行えない戦力。
なんてもったいない……彼女たちが外に出れば、多くの遺者を葬れるというのに。
「……喰聖」
「なんだ?」
「時間がないわ。
せっかく誤情報で中間部にまで引きずり出したのに……
最深部まで逃げられたら面倒だもの……急いで?」
「ああ、分かっている。
待ち時間は終わった。
結界を展開し、逃走を阻害する」
堕命領域……それは領域内にいる生物の力を堕とす結界。
この中にいては、その力を十全に発揮することは不可能となる。
この結界を展開したのなら、もはや戦いにはならない。
喰聖はあっさりと灰祓いの意識を奪った。
「行くぞ」
彼らは結界を展開したまま、使用人から聞き出した場所へ向かう。
そこには五名の灰祓いに守られていた御影家の姿がある。
結界の影響で動けないのか、灰祓いたちに体を支えられていた。
「俺が護衛を引き受ける……イリスは御影家を葬れ」
喰聖は巨大な翼を広げる。
灰祓いたちの注意は、そこで完全に喰聖に集まった。
今度は部隊五名の全員が健在の状態……しかも、御影家が自分たちの護衛に置いていた以上、先ほどの者たちより強いと見ていい。
けれど、イリスは喰聖が負ける可能性を考えていない。
「審判の時は既に過ぎた……
理想のための贄となるが良い」
何故なら、喰聖とは闇の正義を体現する存在なのだから。
戦って負けるわけがない。イリスは本気でそう思っている。
「ふふっ、かっこいいでしょ?
あれが闇の正義……この世界の黒なんだから」
「な、なにを言っている?
ど、どう見ても赤と白だ……」
御影家の当主は震えながらも、軽口には軽口で返してくる。
見栄か、あるいは舐められたら終わりという理屈なのか……いずれにしても、イリスからすれば滑稽でしかない。
「お、おれたちを殺すのか?」
「ううん。頼まれたけど、私は殺さないよ。
それは……闇の正義が成し遂げるべきことでしょ?」
「そ、それは……どういう……」
その時、最後の灰祓いが壁に叩きつけられて、意識を失った。
喰聖も多少のダメージこそ受けているが、まだまだ健在。
「……殺してないのか」
「うん、私は……貴方が殺す姿を見たい。
それが……私たちの始まりなんだもの」
喰聖はため息を短くついて、御影家の前に立った。
「罪状を読み上げる必要があるか?」
「はっ、はは、何が罪状だ!!
私たちは秩序を守っただけだ!!
貴様らのような化物にとやかく言われる……」
瞬間、喰聖の翼が静かに広がった。
御影家の者たちの身体が、声も残さず崩れていく。
血も、肉も、骨すらも、赤黒い翼へと吸い上げられた。
「審判は既に決している。
いまさら何を口にしようとも、覆ることはない」
喰聖はそう言って締めくくった。
「やっぱりかっこいい……まだまだ見せてね。
私たちのヒーロー……」
そう言いながら、イリスは自らの眼球を抉る。
まるで花を一輪摘むような、何気ない動作だった。
そのまま眼球を喰聖に押し付ける。
すると、喰聖の傷も、疲労も消え去った。
それを見たイリスは満足そうに笑った。




