3話 次なる戦場
ツーツーツー
「な、何が起こっているんだ……?」
隔離病棟の個人ルーム……そこでは一人の検査医師が、電話の前で茫然としていた。
彼は、黎明教会の導師に疑われている現状を打破するため、組織と裏取引のある御影家へ電話をかけた。
しかし、受話器の向こうから返ってきたのは、尋常ならざる悲鳴。
ただそれだけを残して、繋がりは途絶えた。
――この向こう側で、ただならぬ事態が起きている。
それも電話すら繋がらないほどのことが……。
「御影家が断絶する……?」
まずい――検査医師の団体が、今の立場を維持できているのは、ひとえに御影家との裏取引によるもの。
御影家の心配など微塵もしていないが、組織の後ろ楯がなくなるのは困る。
検査医師は、もう一度同じ番号にかけようとダイヤルを回す。
「緊急事態か?」
「う、うわぁ?!」
検査医師は、受話器を落とした。
いつの間にか、シオンが彼の手を握っている。
優しく包み込むような握り方。
だが、逃げようとしても指一本動かせない。
いや、そもそもどうしてここにいる?
扉は自動で閉まるはず……そう思って扉を見ると、杖がつっかえ棒のように挟まっていた。
「しかし、驚いたな」
シオンは検査医師を笑顔で見つめる。
しかし、目だけは笑っていなかった。
「私は、なかなか戻ってこない検査医師殿を心配して入ってきたのだが、どうして――先日、不合格だったはずの彼女がここにいる?」
シオンの低い声が静かに響き渡る。
彼女の視線は、この部屋に最初からいたメイド服の女性へ向けられていた。
間違いない……疑われている。
もし検査結果を偽装してまで、彼女をここに置いていたことがバレたらどうなるか……想像もできない。
どうにかして彼女を黙らせたまま、シオンをやり過ごす必要があった。
「いえ、あ、その……」
検査医師は、シオンに追求されてしどろもどろになる。
どうする? 黒だった奴を人情で保護したことにするか?
いや、こいつは白……再検査されれば誤魔化せない。
そこまで考えて、彼ははっと顔を上げる。そうだ……
「さ、再検査待ちなん……」
「いや、さっき迅速に再検査してたろ?」
「ぁあ! そうだったぁ!」
検査医師は頭を抱える。
どうするのが最善か……それが分からない。
「シオンさん……こ、こいつが、こいつが――
あたしたちを好き勝手に弄ぶんだ!!」
元灰祓いの少女が泣きそうな様子で叫ぶ。
体を震わせてはいるが、その瞳はじっとシオンを捉えて離さない。
「大変だったのね……」
シオンの表情が、わずかに和らいだ。
その目が、検査医師ではなく、元灰祓いの少女へ向けられる。
このまま灰祓いにしゃべらせたら不味い。
それが分かるのに、何もできない。
何をすれば現状を打破できるのか……それがまるで見えなかった。
「あ、あたしはいいんです。
それより連れていかれた相棒のことが心配で……」
「そうね。
たしかあなたの時は不合格が二人……いたはずね」
シオンと元灰祓いの少女。
ふたりの冷たい視線が、周囲の空気を凍えさせる。
下手な返答では死ぬ……そんな雰囲気があった。
逃げ道を探すほど、頭の中が白くなっていく……もはや詰みの状況。
そして、最後に残ったのは取り繕う前の本音だけだった。
「あははっ、分からねぇのか?
テメェらにも人権なんかあるわけねぇだろうが!!」
検査医師は気が狂ったように叫ぶ。
それはこれまで自分を納得させてきた言い訳だった。
人権がないからいいんだ。みんなもやっているから悪くない……
自分でも分かる幼稚な言い訳を並べ立て、みっともなく足掻いている。
気づいた時には、シオンがこちらに向かってゆっくりと歩を進めていた。
「そうか、なら黎明教会導師として、貴様を拘束する」
「ひっ……!」
シオンが一歩前進するたびに、検査医師はじりじりと後退する。
もうダメだと分かっていても、逃げることをやめられない。
やがて、彼は壁際まで追い詰められる。
目の前には杖を振りかぶったシオンの姿……
検査医師は、反射的に身を構えた。
その瞬間、目の前で轟音が響き渡る。
検査医師は衝撃で尻餅をつき、慌てて顔を上げた。
そこには、杖と槍をぶつけ合うシオンと、彼の上司の姿があった。
*
シオンの杖とサギミヤの槍がぶつかり合っていた。
強い力が、杖を通してシオンに伝わってくる。
軽めの一撃だったとはいえ、ただの人間に受け止められるようなものではなかった。
つまり……彼もまた普通の人間ではない。
そこまで見抜いた直後、シオンは目の前の男を弾き飛ばした。
「……驚いたな。
検査医師のリーダーは部下を庇わないものと思っていたが……
それとも何か考えがあるのか? サギミヤ殿……」
「庇ったわけじゃねぇのよ……
部屋の中で暴れる品のない奴を止めただけの話さ」
サギミヤ……この辺りでは、都落ちで有名な人物だった。
元々は最深部の安全圏に席を持つ権力者。
だが、理想郷イデアで最も権力を持つ帝家との盟約を反故にした結果……家柄を剥奪されたと言われている。
「……お前は灰祓いではないな。
その武器も聖遺装ではない……
ならば、どのようにしてこれほどの力を手に入れた?」
普通の人間であれば、灰祓いの暴力には抗えない。
御影家ですら、結局のところ護衛は灰祓い任せなのだから……
だが、この男は、明確に攻撃を受け止めた。それがどれだけあり得ないことか……
「……ふん、聖遺装に選ばれなくとも、
戦える技術を生み出した。それだけさ」
「……まさか、遺者とも戦えるとでも?」
「いいや、遺者は無理だね。
攻撃は躱せても、ダメージを与える手段がねぇからな」
つまるところ対人間専門の戦闘能力……このままでは無駄でしかないが、仮に灰祓いにも適用できるのなら、非常に有用な技術となる。
「それで……庇いに来たのではないなら、何をしに来た?」
「そんなものはひとつさ。
心からの謝罪……」
次の瞬間、サギミヤは検査医師の胸元を槍で貫いた。
大量の血が服に染み込み、床へと滴り落ちる。
彼はもう助からない。
しかし、随分と処罰が早い。
まるで、この男を切り捨てる機会を待っていたかのようだった。
「何のつもりだ?」
「言ったでしょ? 謝罪……あとは命令違反の罰則かねぇ。
まぁ、昨今の情勢でこのレベルの不正を働いたら、もう殺すしかねぇでしょ?」
「検査の偽装は、あくまでも自分は関係ないと?」
「当たり前でしょう。
そちらさんとうちは一蓮托生……裏切るわけがありませんわ。
こいつは私欲に塗れて、大事なものを見失った……それだけの話ですわ」
これは嘘だ……あの小物に、検査の偽装や御影家との交渉などできるわけがない。
だが、追及できるほどの証拠はなかった。
今は、疑いの域を出ない。
「ああ、そうだ。
話は変わるけど、知ってますか?
御影家が遺者によって一家皆殺しにされたって」
「何が言いたい?」
「なんというか……タイミングが絶妙だと思いませんか?
こいつ……さっき御影家に連絡してたんですよ。
おそらく権力であなたを黙らせようとしたのでしょうね。
どうやってツテを付けたのかは知りませんがね」
カマをかけてきている。
シオンはそう判断した。
現状を鑑みれば、そう考えるのは不思議ではない。
問題なのは、それをネタに圧力をかけてきていること。
やはり、この組織をこのまま放置はできない。
「そんなことは知らないし、私は今……そんなことを話しているわけではない」
シオンは杖から刀を抜き放つ。状況次第では、サギミヤを殺すことになる。
その覚悟をもった抜刀だった。
「……何を求めてるんです?」
「話が早くて助かる……
検査医師会を黎明教会の直属に置く。
そして、貴様は私の部下となれ」
検査医師会を傘下に置けば、そのメリットは大きい。
直接不正を正せるだけではなく、灰祓いの戦力低下を防ぐことも可能になる。
当然、デメリットもある。
一番は、やはり上流階層の反発だろう。
灰祓いという圧倒的な武力を抱える黎明教会が、さらに検査医師会まで影響下に置く。
その決定を押し通した者として、シオンへの抗議も避けられないはずだ。
だが、それで必要な手を止める理由にはならない。
「組織ごと……ですかい。
全く強欲な人だ……まぁ、面倒なリーダーを降りる頃合いかもしれねぇな」
「は? 何を言っている?
これから貴様は忙しくなるぞ?」
シオンは監視も兼ねて、サギミヤのことを徹底的に使うつもりだった。
*
「とりあえず……これで戦力が減る一要素は潰せたね」
イリスは曇った空を見上げながら、よく通る声で言った。
ここは理想郷イデアから少し離れた場所……そこでイリスと喰聖は互いに向き合っていた。
「ああ、御影家が潰れたことで、ふざけた理由で灰祓いが減ることは少なくなったはずだ」
「なくならないの?」
イリスは、じっと観察するような眼差しを向ける。
喰聖がどんな考えなのかを知りたかった。
「ああ、なくならないだろうな。
人の浅ましさは変わらないし、既に権力は腐敗している。
検査結果の改ざん。不合格者の横流し。御影家から流れる賄賂。
御影家が滅んでも、それで終わりじゃない。甘い汁の味を覚えた者は、必ず次の受け皿を探す」
喰聖は、腕を組んで静かに語る。
語られるのは、彼だけが知る物語……
この現実に酷似しているというそれでは、様々な不正や搾取が横行していたみたい。
だから、その中のたった一つである御影家を滅ぼしたところで、終わらないんだって。
染みついた不正は多少の暴力じゃ揺るがない。それだけ人の欲が強いってことだね。
でも……
「へぇ、そうなんだ。
でも、腐敗しているとは思わないよ」
「……」
「平和にしたいも、誰かを独り占めしたいも、同じだよ。
どっちも欲望。どっちも願い。
たぶん、それだけの話なんだよ」
「だから許すのか?」
「許す? そんなことしないよ。
だって、意味ないもん。
願いって、何だって自分勝手でしょ?」
イリスは微笑んでいる。
その笑みには怒りも、悲しみもない。
ただ、いつも通りの穏やかな顔をしていた。
「変わらないな……おまえは」
「そんなことはないよ。
自分がわがままなのは、分かったからね」
イリスは空に手を伸ばす。
何かに届く気がした。
けれど、指先には何の感触もない。
それでも、自分が何に手を伸ばしているのかだけは、考え続けていた。
まだ、はっきりとは見えないけれど、手を下ろす気にはなれない。
「それで……これからどうするんだっけ?」
「これからに備えて、明確な脅威の排除と戦力の増強を行う必要がある」
「脅威の排除は分かりやすいけど、戦力の増強って何をするの?」
「人が強くなるには、良い師匠と、適正な戦場が必要になる。
師匠役はシオンに丸投げする。俺たちの役目は戦場の供給だ」
イリスは、喰聖が拳を握りしめているのを見た。
彼の知る物語では、多くの灰祓いが戦死するみたい。
その原因は単純な実力不足……弱者が蹂躙されるだけのお話。
なら、強くなるように誘導すればいい。
それがこれから行うこと。
勝てる戦場では意味がない。
勝てない戦場では死ぬだけ。
必要なのは、その中間。
死なずに越えられる、ぎりぎりの戦場を用意すること。
それができれば、多くの灰祓いが経験を積み、生存率は上がっていく。
「テストみたいだね……勉強しない子とかもいそう……」
「……そのタイプの灰祓いには見せしめとして死んでもらう」
喰聖の声色が低くなる。
彼は、弱い者を切り捨てたいわけではないみたい。
けれど、全員を拾い上げている余裕なんかないって話。
いずれにせよ……向上し続けなければ死ぬ世界なのだから。
でも、イリスには、喰聖が少し落ち込んでいるように見えた。
たぶん、理想が高いのだろう。
現実をそこに合わせるのは難しい。
なら、少しくらい慰めてあげたいな。
「まぁ、追試でも赤点を取るような子は、生きている方がつらいんじゃないかな?
だから……キミは間違っていないよ」
イリスは知っている。
自分が通っていた実験施設において、痛い痛いと喚き、ただ泣くことしかしなかった子どもを……
無理やり連れてこられた。
自分の意志じゃない。
こんなはずじゃなかった。
そんな言い訳だけを並び立て、最終的に死ぬしかなかった人の姿を……
だから……これは間違いではないの。
「それに、余裕ができれば、きっとそんな人も救えるようになるよ。
ただ、その余裕が今はないってだけなんだから」
「……慰めは不要だ。
迅速に行動するのみだ」
「なら、さっそくテストの問題を作りに行こうか」
「ああ、分かっている」




