1話 刺し違えの先に
そこは、人類最後の拠点である理想郷イデアの外縁に広がる崩壊区域。
理想郷イデアを侵略しようとする人類の敵……遺者を食い止める防衛ラインだった。
防衛を担う黎明教会の女性部隊は、いま遺者討伐の任務中に壊滅の危機に瀕している。
「はぁ、はぁ、あの遺者を倒さないと……」
女性部隊の隊長であるレイナ……彼女は必死に武器を持つ手に力を入れる。
ここを突破されれば、多くの人が死ぬ。
彼女の直属の上司からも、死んでも守り抜けと厳令が下されていた。
だから絶対に通すわけにはいかない……そのはずなのに、うまく力が入らない。
それどころか逆に力が抜けていく始末だった。
それでも力を振り絞って、遺者に接近し、銃口を向ける。
「あ? 自殺か?」
「嘘……でしょ?」
レイナが持つ遺者を葬るための武器……聖遺装は、すでに機能しないほどに破損していた。
彼女の力はもう遺者には届かない。
その事実を嘲笑うように、遺者が笑みを深める。
次の瞬間、視界が跳ねた。
「……っ?」
目の前にいたはずの遺者が消え、視界には地面だけが映った。
脚を掴まれて宙吊りにされたのだと、遅れて気づかされる。
「はっ、勇ましい女性隊長さんもこうなりゃ形無しだな。
クックック、パンツが見えてるぜぇ」
下品な挑発……だが、今のレイナにはその挑発に対して銃弾を叩き込む余裕すらない。
どうしてこうなったのか……遊びの時間を減らして、あれだけ必死に訓練して……下品な遺者ですら葬ることができない。
レイナは涙を流しながら、それでも思いっきり遺者を睨みつける。
それが虚勢なのは、誰の目からも明らかだった。
「はっ、心だけは負けねぇってか?
勇ましいこって……なおさら普通に殺すんじゃ退屈だ。
その心をへし折ってから殺す……」
レイナは反射的に目を閉じる。
怖い……これから行われるのは拷問か、あるいは凌辱か。
迫りくる恐怖に、彼女は身を強張らせた。
その瞬間、大きな悲鳴が響き渡る。明らかに人間のものではない悲鳴が……
「え?」
間違いなく遺者の悲鳴……レイナは何が起きたのかを確認しようと目を開けるも、同時に、身体を支えていた力が消えた。
落ちる……と理解するも、今の彼女に受け身など取れるはずもなかった。
背中から地面に落下し、腹の中から空気が漏れる。
「アアアアア、な、なんだ!?
いきなり……何が起きたぁ!?」
レイナは痛みに耐えながら、ゆっくりと上半身を起こす。
すると、そこには腕が切断された遺者の姿があった。
一体……誰が……?
そう思って周囲を見渡したその瞬間、レイナの全身に怖気が走る。
そこにいたのは、人型の化物だった。
白い半身と、赤黒い半身。
背には、天使と悪魔を無理やり縫い合わせたような巨大な翼。
レイナの本能が悲鳴を上げる。
こいつは……いや、これは……今まで戦ってきたどの遺者よりも危険だ。
こんな化物が……この世に実在していいのか……?
「……テメェ、遺者か?
いや、なんかちげぇ気がすんな……
まぁ、どうでもいいか」
この遺者の強さは単純だった。
巨体から繰り出される、速く、重い一撃。
分かっていても避けきれず、受ければ武器ごと砕かれる。
いかにあの化物だろうと、あの力で殴られては無事では済まない。
だが、その考えは即座に吹き飛んだ。
化物は、自分の倍もある巨躯から繰り出される拳をやすやすと受け止めたのだから。
「……ば、馬鹿な」
言葉を失った遺者を弾き飛ばして、化物は手を空に掲げた。
「これより貴様の運命は……俺のものだ。
堕命領域」
化物を中心に力場が展開される……結界だ。
レイナが理解したときには、すでに遅い。
全身に重石を乗せられたような感覚と共に、少しずつ意識が薄くなる。
気絶などしては、本当に死ぬ……彼女は反射的に懐から取り出したナイフで、自らの脚を突き刺した。
痛みで、強引に意識を繋ぎ止める。
「て、てめぇ……お、俺を殺す……のか?」
遺者も同様に苦しんでいる……いや、むしろ遺者のほうが強く影響が出ているように見えた。
「殺す?
貴様程度……わざわざ俺が直接手を下すまでもない」
化物が翼を大きく広げると、血のような赤い液体が溢れ出した。
それらがレイナの仲間たち三人に纏わりついていく。
「私の部下にっ……」
いや、部下だけではなかった。
レイナ自身も大量の赤い液体に纏わりつかれている。
「体の損傷が……治って?」
赤い液体はレイナの傷口に入り込み、失われた肉体の形を補っていく。
気づいた時には傷がなくなっていた。
いや、それだけではない。武器である聖遺装ですら、完全に修復されている。
何が狙いなのか……そう思った時、彼女は自らの体に異変を感じた。
「体が……勝手に動く」
レイナは気づいた時には、引き金を引いていた。
それだけではない。遺者からの反撃を無駄なく回避し、的確に反撃をぶち込み続ける。
その全てが彼女の意志とは無関係に行われていた。
「部隊を……乗っ取るため……?」
レイナは一瞬だけ納得しかける。だが、冷静に考えればそんなことをする理由がどこにあるというのか。それだけの力があるのなら、敵の体を直接ねじり切れば手っ取り早い。
何が目的なのか? その絶対的な力と理解不能な思考を前に強い恐怖を感じる。
「クソガァアアア」
周囲に叫び声が響き渡ると同時に、遺者が跳びあがった。
逃亡……そうとしか見えなかった。
圧倒的な劣勢を前に、遺者はあっさりと逃げの手を打った。
しかし、直後……胸に大きな風穴が開いた。
「な、なにが?」
遺者の体が黒い塵となって崩れていく。
遺者は絶命すると、その痕跡も残さずに消える。
「ほう……この状況でも覚醒するか。
流石は主人公といったところか」
レイナは気づいた。黒い塵となって消えゆく遺者の残骸の中に、部下のひとりであるツバキの姿があることに。
「先輩たちを……放せ!!
この赤白マンが!!!」
ツバキが腕を振るうと、爪型の聖遺装から赤い斬撃のような力が放たれた。
それらは尋常ではない速度で、化物へと迫る。
「爪型で……遠距離攻撃?」
レイナは目を疑った。
ツバキの聖遺装は、近距離で敵を切り裂くための武器だ。
本来なら、あんな攻撃ができるはずがない。
そこでレイナは気づいた。
ツバキの腕に、濃い赤い筋が浮かび上がっていることに――あれは、オーバードライブ……!!
しかし……
「まさか、初の実戦でオーバードライブを使えるようになるなんて……
でも、オーバードライブは体の負担が大きいわ。ツバキ……」
レイナがツバキを心配した次の瞬間、彼女は気づいた。
ツバキが屈託のない笑みを浮かべていたことに……
この状況で、あれほどの力を引き出して、ああも笑う。
なんて突出した才能だろうか……もはや寒気すら感じる。
「だが、攻撃は全て対処されている……
このままではツバキは負ける……っ!!」
ツバキから次々と放たれる斬撃を、化物は悠々と受け流している。
そうでなくとも、オーバードライブは負荷の大きな諸刃の刃……このままではツバキが先に倒れるのは明白。何か自分にできることは……
「っ、体が普通に動く……」
先ほどまで何かの力によって動かされていた体が、今では普通に動く……ツバキの攻撃でこちらに意識を向ける余裕がないのか、あるいは別の理由か。
いずれにせよ好都合だった。
レイナは静かに自分の聖遺装であるガトリング銃を手に取る。
「オーバードライブ……やった事はない……けど、
後輩がやっていて、先輩の私が出来ないなんて言いたくない!!」
オーバードライブ……それは聖遺装と使用者の神経を深くつなげることで、限界を超えた力を発揮する技術のことだ。
レイナも知ってはいる。だが、実践したことはなかった。
怖かったから……でも、今はそんなことを言ってはいられない――
「うぐぅぅ、あああああああ!!!!」
ガトリング銃から、赤く染まった弾丸が大量に射出される。
反動で腕が弾かれ、焼かれたような鋭い痛みが走った。
「先輩っ!!」
弾丸は、ツバキの攻撃を阻んでいた赤い防壁を、ひとつ残らず撃ち抜いた。
結果として、ツバキの攻撃が化物を直撃する。
――瞬間、音が消える。
周囲に散っていた赤い力が、ツバキの腕一点に集中する。
「死ね」
ツバキの限界まで見開かれた目が、化物を捉えている。
見つめるはただ一つ……化物の中心にある赤い宝石。
意識を限界まで研ぎ澄ませ、一直線にそこに向かって飛び込んだ。
「紅爪閃牙ァ!!!」
勝った……レイナがそう思った瞬間、強い力で体を引っ張られた。
視界がぶれる。
地面が消える。
気づけば、ツバキが目の前まで迫っていた。
「え?」
ツバキの目が、大きく見開かれる。
そこでレイナの意識は途絶えた。
*
ツバキの視界は点滅する……何かに衝突し、体が地面に転がっていた。
「……い、一体何が?」
最後に見えたのは、先輩であるレイナの姿……考えるだけで、嫌な予感で冷や汗が落ちる。
彼女がゆっくりと顔を上げると、そこには――
変わり果てたレイナの姿があった。
反射的に口を押さえる。気を抜けば吐いてしまいそうだった。
目の前にある先ほどまでレイナだった肉片。
まだ自分が生きているのだと勘違いでもしているかのように、細かく動いていた。
ああ――間違いない。
先輩を殺してしまったのは私だ……
「全てを賭けた攻撃……随分な勘違いだ。
未来を見ない者の攻撃が、どうして先に繋がる?
破滅を受け入れた者の末路は――破滅のみだ」
化物の声が聞こえる。
内容はほとんど理解できない。する気もなかった。
「テメェのせいだろうがぁ!!!!」
強い怒りが聖遺装と強く繋がる。
全身がさらなる熱を帯び、周囲に強大な力を放出させた。
そして――気づいた時には、膝をついていた。
「は? どうして……?」
殺意はある。気力も、力も残っている。
ただ唯一、肉体だけがその負荷に付いて来れていない。
このままでは自らの力に殺されるだろう。
「どうやら理解していないようだな。
もし貴様が自らの力を制御できていたのなら……俺がレイナを引き寄せたのを理解して、攻撃を中断できていただろう。
貴様の力は確かに強い。だが、躾のできていない力ほど、味方を……いや、己自身ですらも燃やしつくすことになる」
「はぁ、はぁ……襲い掛かっておいて、お説教?
随分と偉そうな奴だ!!!!」
大きな声を上げて虚勢を張る。
でも、もうどう考えても無理だった……先ほどの怒りで脚は動かなくなった。
この状態で目の前の化物を倒すことなど不可能。
「では、その未熟さを後悔しながら死んでいけ……」
化物が翼を広げると、再び血のような赤い液体が溢れ出した。
赤い液体はレイナの肉片に絡みつき、失われた肉体を強引に組み上げていく。
「……は? え?」
先輩を治した?
何のために?
そもそも、あの状態から生き返らせることができるのか?
なんだ。
こいつは、何のためにここにいる?
少なくとも、ただ殺すことが目的ではない。
そうでなければ、レイナを治す理由がない。
「これでこいつは俺の下僕だ……
安心しろ。貴様も一度殺して、下僕にしてやる……」
レイナがゆっくりと立ち上がった。
その瞳に意志はなく、銃口だけがツバキへ向けられる。
ツバキが反射的に目を閉じた時……レイナの体が崩れ落ちた。
「わたしの部下を随分と虐めたようね。
覚悟はいいかしら?」
「し、シオンさんっ……」
「大丈夫よ、ツバキ。あなたはよくやった。
結果がどうであれ、仲間を守ろうとしたあなたは、誰よりも優しい子よ」
ツバキの瞳に希望の光が灯る。
間違いない……憧れの人物にして、組織のトップであるシオンだった。
彼女がいれば、もう大丈夫……化物など一刀両断してくれる。
そんな安心感からツバキの両目から涙が零れ落ちた。
「黎明教会導師……断罪のシオンか。
相手にするには、少々厄介だ……今日はここまでとしようか」
化物……喰聖は翼を大きく広げる。
そして、ツバキを睨みつけた。
「刺し違えの先に、本当の勝利などない。
努々、忘れぬことだ。否が応でも、貴様を中心に世界は回るのだからな」




