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<全50ep> 鳳凰寺凛の生霊事件簿 ~視えるのは、世界で無職(おれ)一人~  作者: 第三ひよこ丸
第4部 【残響と鳳凰寺家の観測】

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第41話 生贄の舞 〜凛 視点〜

 鳳凰寺邸の最上階、外界の喧騒から完全に隔離された特設監視ルームにて、凛は静かに鎮座していた。部屋の明かりを極限まで落とした漆黒の空間で、壁一面を埋め尽くす高精細モニターだけが、冷たく、そして鮮烈な青白い光を放っている。

 画面に映し出されているのは、ポートアイランドの無機質なコンクリートの上で、出口のない迷宮を彷徨い続ける一人の男、田村タクミの無様な姿だった。


「……ふふふ。いい表情ですわ、田村さん。追い詰められてこそ、貴方の本質は輝きを増しますのよ」


 凛は、指先に持ったクリスタルのグラスを優雅に傾け、ティーカップの紅茶を揺らしながら、誰に聞かせるでもなく独りごちる。

 

 画面の中の彼は、額にびっしりと脂汗を浮かべ、何度も背後を振り返っては、実体のない恐怖に怯えている。逃げ場のない海上都市。背後を固めるのは、凛が配置した黒塗りのリムジンという名の鉄壁。そして前方には、彼女の意志一つで、その門を閉じ、あるいは罠へと誘うように設計されたハイテク都市の死角が待ち受けているのだ。


 彼が角を曲がるたびに、最新の動体検知センサーがその座標を瞬時に特定し、超高倍率の望遠カメラが、その歪んだ苦悶の表情を毛穴の一つに至るまで克明に切り取っていく。

 呼吸の乱れ。視線の揺らぎ。そして、絶望に染まりながらも、泥中の蓮のごとく野性的な輝きを失わないその瞳。

 

 ああ、これだ。

 あのアパートの薄汚れた部屋で、自分という異物を引き受け、己の身を削ってまで命を繋ぎ止めていた時の、あの無骨で、それでいてあまりに温かかった魂の鼓動。それが、今この極限状態に追い詰められることで、より純度の高い、直視しがたいほどの輝きを放ち始めている。


(……ああ、タクミ。あなたは本当に、惨めで美しい。その汗にまみれた背中を、今すぐこの手で抱きしめて差し上げたい)


 凛は無意識に、前かがみになってモニターへと顔を寄せた。青白い光が、彼女の陶器のような肌を不気味に照らし出し、瞳の奥に宿る異常な熱を強調する。


(いいえ、違うわ。わたくしが望んでいるのは、そんな安っぽい救済ではない。わたくしが望んでいるのは、あなたのすべてを、その魂の最後の一滴までを鳳凰寺の支配下に置くこと)


 タクミが躓き、荒い呼吸と共に膝を突きかける。その瞬間、凛の指先がモニターの表面を、まるで愛しい者の肌を愛撫するかのように、しかし獲物を突き立てる爪のように這う。


(あなたが絶望の底で、わたくしの名だけを救いとして呼ぶその瞬間を、わたくしは待っているのですわ。これは、愛などという言葉で片付けられるような、底の浅い感情ではありません。これは、信仰に似た執着。わたくしという神が、選ばれた生贄に与える、唯一無二の試練なのですから)


 ふと、自分の胸の奥から湧き上がったそのどろりとした熱情、彼を『救いたい』と願う心と、彼を『壊してでも繋ぎ止めたい』と願う矛盾した衝動の激しさに、凛は自らの思考に恐怖を覚えた。


 だが、その瞬間に異変は起きた。

 モニターの中のタクミが、限界を超えた疲労でふらつきながらも、一箇所の監視カメラに視線を止めたのだ。それは街路灯の影に隠された、通常であれば一般人が気づくはずのない超小型のレンズだった。

 タクミは、まるでそこに誰かが潜んでいることを確信しているかのように、そのレンズを正面から、猛烈な形相で睨みつけた。


 血走った目、剥き出しになった歯。その瞳には、恐怖を通り越した凄絶な憤怒と、すべてを見透かしているかのような知性が宿っている。

 

 実際には、彼が凛の居場所を知る術などない。数十キロメートル離れた防音室の中にいる彼女の姿など、見えるはずもないのだ。

 それなのに、凛は思わず息を呑み、車椅子を後退させそうになった。

 その視線は、モニターのガラスを突き破り、彼女の喉元に直接突き立てられた刃そのものだった。


「……な、なんですの。その目は。見られているはずがありませんわ。あなたはただ、闇雲に怒りをぶつけているだけ。なのに、なぜ……なぜそんなに恐ろしい目をして、わたくしを責めるのですっ!」


 凛の心臓が早鐘を打つ。彼の視線は、彼女の傲慢な独占欲や、高みの見物を決め込んでいた優越感を、容赦なく切り裂いていく。

 タクミの唇が、何かに取り憑かれたように動いた。マイクは彼の声を拾っていない。だが、高精細モニターに映し出されたその唇の動きは、残酷なほど明確に、ある一つの言葉を形作っていた。


(……り……ん)


 その瞬間、凛の全身に電気的な衝撃が走った。

 彼は確かに、自分の名を呼んだ。叫びとも、呪いとも、あるいは深い嘆きとも取れるその口の動き。

 

 「お前の仕業だろう」

 「お前が俺を壊そうとしているんだろう」

 「凛、お前がそこにいるんだろう」

 

 言葉にならないタクミの叫びが、視線と名前を通じて猛烈な暴力となり、凛の意識を叩き伏せる。自分が行ってきた支配のすべてが、鏡合わせのような醜悪な加虐心として彼女自身に跳ね返ってきた。

 猛烈に責められている。逃げ場のない檻に彼を閉じ込めたはずが、今や凛自身が、彼の呼び声という檻に閉じ込められ始めていた。


 胸の奥が、焼けるように疼く。

 彼をこれ以上苦しめたくないという偽善と、もっと追い詰め、もっと無様な姿を見せてほしいという加虐心が、彼女の中で激しく火花を散らしている。


 

 しかし。

 モニター越しに伝わる彼の絶望があまりに深く、自分の名を呼ぶその唇の震えが魂を削る音のように聞こえた瞬間、凛の内側の何かが、音を立てて決壊する。

 彼女の喉を焼くのは、勝利の美酒ではなく、彼を追い詰め、その魂を蹂躙したことによる、耐え難いほどの自己嫌悪という名の毒薬。

 このままでは、自分自身が、自分の愛する……いいえ、自分の執着するその魂を、完全に壊してしまう。


「……全ユニット、即時撤退なさい」


「……は? 失礼ながら、お嬢様、今なんと……」


「聞こえませんでしたの? 全ユニット、引き上げるのですわ! 橋の封鎖を解除し、リムジンをすべて撤収させなさい。それから、ポートライナーのシステムも直ちに正常化させ、通常運行に戻すのです。今すぐに!」


 部屋を支配していた緊張感が、凛の叫びによって一変した。

 戸惑うオペレーターたちを、彼女は鋭い視線で射抜く。

 タクミ。これ以上の苦しみは、もう私が耐えられない。

 あなたが流した汗も、その顔に刻まれた絶望も、そして今わたくしの名を呼んだその唇の震えも、すべて私が、私だけの記憶としてこの胸に仕舞い込んであげる。


「……タクミ。今日のところは、これで勘弁して差し上げますわ。あなたは、もう少しだけ、その自由という名の残酷な夢を見ていなさいな。わたくしが、真実の鎖であなたを繋ぎ止める、その日まで」


 画面の中で、封鎖が解かれ、再び動き始めた街の光に戸惑うタクミの姿。

 凛は、愛しき生贄に向けて、残酷で、どこか悲劇的な微笑みを投げかけた。

 だが、その微笑はすぐに、ひきつったような歪みへと変わった。


 オペレーターたちが撤収作業に追われ、慌ただしく立ち去っていく中、凛は一人、静まり返った暗闇に取り残された。モニターに映るタクミの背中が遠ざかっていく。

 その背中を見つめながら、彼女は自分の両手を見つめた。白く細く、何も持たぬはずのその手が、一人の男の人生を玩具のように弄び、精神を粉砕する寸前まで追い込んだ。


「……汚らわしい」


 ぽつりと、掠れた声が漏れた。

 自分を救い出してくれたアパートでの日々、共に過ごしたあの時間は、間違いなく自分にとっての純粋な救いだったはずだ。それなのに、今の自分はどうだ。その思い出さえも武器に変え、彼を支配するための鎖に仕立て上げた。

 高潔な鳳凰寺の令嬢などという皮を被りながら、その中身は、愛を渇望するあまりに相手を壊さずにはいられない、卑俗で、醜悪な怪物に成り下がっている。


 わたくしは何をしているのか。

 叔父たちの卑劣なやり方を嫌悪しながら、結局はそれ以上の毒を彼に浴びせているのは、この自分自身ではないか。

 

 タクミに名前を呼ばれたあの瞬間、自分が感じたのは悦びなどではない。自分の魂の奥底にある腐った本性を見透かされ、真っ向から唾を吐きかけられたような、逃げ場のない羞恥と嫌悪だった。


「……最低ですわ。わたくしは……最低の卑怯者ですわ……!」


 凛は顔を覆い、車椅子の上で小さく震える。

 指の間から溢れ出した涙が、モニターの冷たい光を浴びて、毒々しく輝いた。

 彼を自由にしたのではない。これ以上、自分の醜さを見せつけられることに耐えられず、逃げ出しただけなのだ。

 

 暗い部屋に、一人の少女の嗚咽ともつかぬ惨めな喘ぎ声だけが、虚しく響き続けていた。

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