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<全50ep> 鳳凰寺凛の生霊事件簿 ~視えるのは、世界で無職(おれ)一人~  作者: 第三ひよこ丸
第4部 【残響と鳳凰寺家の観測】

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33/50

第33話 ぐるぐる回る

 神戸の街並みは、お洒落なカフェや異国情緒あふれる建物が並ぶ華やかな表の顔を持っているが、その裏側には迷路のように入り組んだ路地が、まるで逃げ場を阻む血管のように幾重にも張り巡らされている。

 俺は今、その血管の中を流れる小さな血球のひとつになったような気分で、必死にこの不条理極まりない包囲網から逃れようと足掻いていた。

 背後にべったりと、それでいて優雅に張り付いた黒塗りの高級車両は、まるで深海から獲物をじっと見定める巨大な捕食者のように、音もなく俺の背中を執拗に焼き続けている。初夏の強い日差しがアスファルトを熱し、陽炎がゆらゆらと立ち上る坂道。半袖のシャツが肌に張り付くような不快な湿気を含んだ風が、俺の焦りを煽るように吹き抜けていく。


(まずは一回目。まあ、ここまではただの偶然やと思えんこともないわな)


 一回目の右折。角にある古びた郵便ポストが、真っ赤な顔をして俺の行く末を心配そうに見守っている。俺の足取りは、まるでダンスを踊るかのように軽やかを装っているが、実際には心臓の音がドラムの乱れ打ちのように激しく胸を叩き、喉の奥には乾いた砂のような焦りが張り付いていた。

 石畳が湿気を吸って鈍い光を反射する急な坂道を、俺はあえて足音を立てずに登っていく。だが、背後の”黒い影”は、排気音すら極限まで絞り込まれた不気味なほどの無音を維持したまま、俺の影を正確に踏み続けてくる。

 窓ガラスに反射する自分の顔は、驚くほど強張っていた。この街の風景は、俺にとって慣れ親しんだ遊び場だったはずなのに、今やこのアスファルトの一粒一粒さえもが一族の命令に従うスパイのように思えてくる。路地を吹き抜ける熱を帯びた風さえも、俺を包囲網の内側へと押し戻そうとする意思を持っているかのように感じられ、俺はたまらず舌打ちを漏らした。


 

(二回目。まだついてくるか。お上品な車体やのに、えらい狭い道まで入ってきよるな)


 二回目の右折。今度は住宅街の入り口にある車一台がやっと通れるほどの狭くて急な角を、あえて選んで踏み込んだ。

 普通、こんな場所を高級車で曲がろうと思えば、数千万は下らないであろうピカピカのバンパーをこする恐怖で、並の人間なら足がすくむはずだ。だが、後ろの影は、まるで見えないレールの上を滑っているかのような精密な動作で、俺との距離をコンマ一秒の狂いもなく保ちながら、その巨大な質量を無理やり路地へとねじ込んできた。一族のドライバーは、その辺のプロレーサーよりも精密な機械のような技術で、俺の背後にある空間を支配しているらしい。

 

 一族がこの街全体に、まるで蜘蛛が獲物を絡め取るために張り巡らせた観測網の恐ろしさが、アスファルトの振動を伝って俺の靴の裏から全身へ、痺れるような感覚となって染み込んでくる。

 彼らにとって、この程度の狭い路地など、庭の砂利道を歩くのと同義なのだろう。見慣れたはずの古い石垣が、今は俺を閉じ込める牢獄の壁のように高くそびえ立ち、圧迫感を増していく。逃げれば逃げるほど、その網の目は細かくなり、俺の自由という名の酸素を奪い取っていくのが分かった。初夏の濃い緑が揺れる庭先から、不意に漂ってきた花の香りが、死刑宣告の前の最後のご馳走のように鼻腔を抜けていく。


 

(三回目。これで決まりや。あいつら、隠そうともしてへん。俺を怖がらせて、遊んどるんやわ)


 息を切らしながら、俺は三回目の右折へと踏み切った。今度はわざと、視界の悪い大きな植え込みが歩道を塞ぐような、複雑な交差点を選び取る。

 生い茂る葉っぱの隙間から、強烈な初夏の日差しが網目模様になって地面に落ち、平和な午後のひとときを演出しているが、その美しさに目を奪われている余裕など、今の俺には一分一秒たりとも残されていない。周囲の静けさが、かえって俺の焦りを増幅させる。まるで世界から俺一人だけが切り離され、この黒い車両との追いかけっこに強制参加させられているような、そんな不条理な孤独感が胸を締め付けた。

 

 俺の生活圏は、確実に、そして一分の隙もなく狭められ、今やこの四角いブロックの中に完全に閉じ込められようとしていた。一族という巨大な化け物が、俺の自由という名の餌を前にして、ゆっくりと舌なめずりをしながら咀嚼を始める音が、耳の奥で不快な幻聴のように響き渡る気がしてくる。

 彼らの目的は俺を捕まえることそのもの以上に、俺の心から希望を根こそぎ奪い取り、自ら膝を突く瞬間を特等席で眺めることにあるのだと確信した。路地の向こうから聞こえる子供たちの笑い声が、今の俺には異世界の出来事のように遠く、空々しく響く。


 

(四回。一回転して、はい、元通り。ほらな、やっぱり俺の生活圏は、もうあいつらの手のひらの中や)


 そして運命の四回目の右折。俺は、最初に出発したあの大通りへと、まるで逃れられない磁石に引き寄せられる砂鉄のように戻ってきた。目の前には、数分前に見たばかりの錆びた標識や、見覚えのあるショーウィンドウが、何も変わらぬ顔で並んでいる。だが、その風景の中央に鎮座する主役だけが、先ほどよりも一層の圧倒的な威圧感を放ち、太陽の光を傲慢に跳ね返していた。俺を追いかけていたはずの車が、いつの間にか先回りするように、あるいは完全に逃げ道を断つために、完璧な計算に基づいたタイミングで俺の目の前にぴたりと停車したのだ。

 

 四回の右折という儀式を経て証明されたのは、俺がこの世界という名の巨大な檻の中にいるという、あまりにも滑稽で、そして笑えないほど残酷な事実だった。

 一回転して戻ってきたその場所は、俺にとってのスタート地点ではなく、一族が用意した終わりの場所だった。俺の視界を占拠する黒塗りの車体は、もはやただの乗り物ではなく、俺の意思を粉砕するために送り込まれた鉄の象徴そのものに見えた。


 俺は膝に手をつき、肺が焼けるような感覚を覚えながら肩で息をし、目の前の黒光りする冷たい鉄の塊を見据えた。

 一族の監視網は、俺の想像を絶する密度と執念で、この神戸の街の空気に至るまでを完全に支配下に置いている。逃げることを諦めさせるためだけに、これほどまでの手間と時間と、そして莫大な費用を投じるという、あまりにも手の込んだ喜劇的な包囲作戦。彼らは、俺が絶望の淵でどんな顔をするのか、それを確認するためだけにこの壮大なチェス盤を動かしているのだ。

 

 俺の自由は、この四枚の頑丈なドアに囲まれた鋼鉄の塊によって、今まさに胃袋の奥底へと飲み込まれようとしていた。周囲の通行人たちは、この異常な光景に気づくこともなく、ただ平穏な日常を消費している。その無関心が、今の俺には何よりも鋭い刃のように突き刺さる。自分だけがこの世界の理から外れ、一族の執念という名の暗闇に引きずり込まれていく。その恐怖に足が震えたが、俺は必死に地面を、初夏の熱を蓄えたアスファルトを踏みしめて、倒れることだけは拒んだ。


「めちゃくちゃ徹底しとるやん、ほんまに。そこまでして俺を構いたいんか」


 乾いた呟きが、初夏の午後の穏やかな空気の中に空虚に溶けていく。一族という名の切っても切れない呪縛から逃れるためには、ただ歩き、ただ角を曲がるだけでは、到底足りないのかもしれない。奴らの網は、この街の地図そのものを書き換えるほどに深く、重く、俺の未来を塗りつぶしていく。それでも俺は、この不条理に満ちた物語の続きを、自分自身の足で一歩ずつ踏みしめていくしかないのだ。

 

 たとえ、どれほど強力な”黒い影”が、俺の行く先々ですべての光を遮ることになったとしても。俺の心の中に残されたわずかな抵抗の火だけは、あの一族といえども容易には消し去ることはできないはずだと、自分に言い聞かせるように強く拳を握りしめる。

 

 俺が立ち止まらない限り、この追いかけっこは終わらない。たとえ檻の中にいようとも、俺は俺のやり方で、この閉ざされた生活圏を駆け抜けてやるのだと、黒いガラスに映る自分自身に誓った。

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