第十四話
五階建ての亡霊マンション。
そこの三階から五階までを三年契約で借り切り、オリヴィエはエルマと共に足を踏み入れる。ぞわりと背筋が撫でられるような感覚に、エルマは身震いをする。まだ日は高い時刻であるのに、夜のような静けさだ。
クォーリア家を立ち上げた後、エルマはオリヴィエの館に居候しており、家には帰っていない。だが両親に手紙だけは出している。もしもエルマが聖術師でなければ、オリヴィエは未成年誘拐犯という扱いになるのだが、たとえ親であろうが聖術師であるエルマの意思が優先される。これは共和国における(共和国に限らずこの世界全体での)聖術師の特別性――国法の外側に位置する者を意味しているともいえた。
とはいえ、エルマの方も両親に恨みがあるわけでもなく、どちらかというと恩と申し訳なさが半々という気持ちでいっぱいである。しかも、その特権を使いながら義務――《大禍》との戦いから逃げようとしているとなれば、後ろめたさは倍増であった。
「リグルット共和国法では、聖術師だから必ず《大禍》と戦えと明文化されていません。勝手に世間が期待しているだけです」
と、オリヴィエは言ったが「そうですね」と納得できるほどにエルマは図太い性格ではなかった。
一方で、オリヴィエはそういった無形の期待が、一人の少女を押しつぶそうとしているのが嫌であるようだと、しばらく一緒にいるうちに、エルマは気が付き始めていた。そして、それはある種の安心でもあった。自分に対して重たい期待をしていない、聖術師の適性を認められて以来、心休まる場所である。
「貴女に《大禍》と戦えとはいいません。ですけど、周囲の目をごまかすため、貴方以外の将来の聖術師のため、それに万が一のために、ここで聖術師としての基礎だけは学んでもらいますわ」
「あの、オリヴィエさんは聖術師じゃないんですよね?」
「聖術は使えませんが、聖術式の構築自体はできます。基礎的な術式自体は、多少修練すれば可能です。逆にこれができない場合、監査が入り次第早々に家が取り潰されて、どこかの家に強制的に所属させられます」
放逐されたとはいえ、聖術師の大家の娘であったオリヴィエは、法の外側にある聖術師独自のルールに一般人以上に詳しい。独自ルールの抜け道も、盾に取る方法も心得ている。そのための『多少の努力』はエルマも了承済みである。
「そうならないために、今日から三日間ほど頑張りましょうか」
「は、はい。えっと、ところでそのトランクケースは何ですか?」
エルマはそこで、オリヴィエが拠点から持ってきたトランクケースについて尋ねる。古びた重厚な革張り、下ろした時に聞こえたずっしりと重そうな音、中身を封印するかのように絡みついた鎖や呪符、旅行用のものには見えない。
「ああ、これ? 集中薬の類よ、三日分よりは少し多いけど、足りなくなるよりはマシでしょ?」
「ん?」
オリヴィエはケースの封印を解く、鎖が蛇のように動き、呪符もひとりでに剥がれ落ち、開かれたケースの中に入っていたのは綺麗に並べられた数々の瓶であった。
ヘルムタール家の長老衆が徹夜仕事をする時に使用する「ボイシュの覚醒薬」の特濃版を中心に、トランクケースの中には禍々しい色と気絶しそうな香りの薬品が納められている。それを見たエルマの顔がサッと青ざめる。
「安心なさい、長期的な副作用はありませんから」
「ひ、ひひいいぃいいいい!!!!」
幽霊屋敷が放つ冷たい空気よりも、これから始まる『多少の努力』に、エルマは早くも逃げ腰になるが、逃れることなどできるはずもなかった。
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幽霊マンションから響く悲鳴と光。
近隣住民たちは何事かと思いつつも、関わり合いになることを避けて沈黙を守る。
ならず者や浮浪者が拠点にしていた時期もあったが、たいした時間もかからず全員が行方不明になったいわくつきの場所である。わざわざ好き好んで首をツッコむ者はいない。
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幽霊屋敷の前に、寂れた貧民街に似つかわしくない一台の高級車が止まる。
物乞いをするか、あるいは盗むか、脅すか、一部の無法者たちは鋭い視線を向けるが、高級車から降りてきた人間が聖術師の白衣をつけているのを見て、慌てて目をそらす。よほど切羽詰まった状況でもなければ、彼らのような無法者は聖術師を避ける。それこそ王侯貴族が絶大な権力を握っていた時代のように、貧民街に人間が近づいた瞬間に無礼討ちされたとしても、どこからも文句はでないからだ。
そんな空気を感じてか、車から降りた女聖術師――アンジュリーゼは不愉快そうに眉を寄せる。
「襲い掛かって来なければ、何もしませんのに」
小声でつぶやく。
聖術師は英雄視される反面、畏怖される存在でもある。それが些か過剰に伝わっているのではないかと、周囲の反応を見て思うが、やましい者ほど自分を恐れるのだろうと納得させる。
「まったく、あの女の担当というわけではないんだけど……」
新人の聖術師エルマが新たに家を興したという情報は、役所内の協力者を通してすぐに伝わった。気の利いたことに、エルマに助言をしている者――オリヴィエのことも教えてきたので、ヘルムタール家の強硬派もひとまずは様子を見ようという気になったらしい。
《クランハフェンの惨禍》以降、オリヴィエに対しては下手に突かぬ方が良いという方向性で、長老衆の意見はまとまっているらしい。それでも猜疑心の強い一部の者たちは、エルマを傀儡にヘルムタール家に挑戦するつもりだと鼻息荒く主張したりもしたが、今までのオリヴィエの行動から否定されている。
では、どうして貴重な聖術師を囲い込んだのかという話に及んだ時、アンジュリーゼは直前の会話を思い出して、そのことを伝えたのである。
「下手に口を挟むべきでなかったわ」
己のうかつな選択を呪う。
面倒事を押し付けられたと思いながら、アンジュリーゼはエルマが事務所を構えた幽霊マンションを突き止めると、朝一番で訪問したのである。
「元共和国軍の実験場から病院――、廃院のち集合住宅になるも死霊汚染による事故物件、取り壊しもできずに放置ですか、何だってこんな場所に……」
彼女は渡す荷物を確認して、朝日を拒むかのような暗い玄関口に足を踏み入れる。
すると、あいさつ代わりに実体化した亡霊――嘆き女幽霊バンシーたちが精神をかき乱す絶叫を上げながら迫る。がりがりに痩せこけた皮と骨だけのような体、くぼんだ黒い眼、裂けるほど大きく開いた口から放たれる絶叫は精神を削り、メスのように鋭い爪の一撃は霊的な傷を与える。
一般人なら一瞬で絶命する亡霊の猛撃。
事前に対亡霊用の戦闘訓練を受けていなければ、たとえ共和国軍人でも逃げること以外はできない。
しかし、聖術師にとっては「羽虫」程度の脅威でしかない。
「消えなさい」
アンジュリーゼは呟く。
聖術式でもない、念じるだけ、言葉にするだけの術式以下の聖なるエネルギーの放出。殺意を飛ばした程度の技ともいえない児戯であるが、それだけで恐るべき女幽霊バンシーたちは塵と化す。
「我が身に触れることあたわず、我が心に囁くことあたわず、我が正義に曇りなし、我が魂に穢れなし、我が心/体こそが秩序なれば」
今度は術式を組み立てる。
「聖殻」と呼ばれる守りの聖術式だ。亡霊に不意を突かれたところで痛くも痒くもないが、それ以外の邪魔が入るかもしれない。
(使役されている感じじゃなかった。亡霊マンションの噂は事実だったようだけど……、オリヴィエはこんなところで、いったい何を……)
アンジュリーゼは亡霊マンションを進む。
一階の玄関で出迎えたような歓迎が続いた。
廊下を疾走する首なし騎士デュラハン、突然開いた一階の部屋からスケルトンの兵士たちが飛び出し、二階への階段を阻むように立ちふさがる死神のような姿を持つ魔霊レイス、階段を進めば巨大な赤子の姿をした水子の集合霊、奇声を上げながら大量に押し寄せる陶器人形に取り付いた霊たち、いずれも殺意に満ちた怨念をぶつけながら襲い掛かってきたのだが、普段《大禍》との戦闘を前提に戦うアンジュリーゼからすれば、いずれも種類の違う羽虫程度の差しか感じられない。
実際、最初に唱えた「聖殻」の守りを突破することができた怨霊は一体もおらず、まさに火に飛び込んでくる虫のように「聖殻」に触れて消滅するということを繰り返していた。そして三階に足を踏み入れると、ようやく変化が起きた。
「これは……『聖域』の聖術式?」
アンジュリーゼはいささか戸惑う。
「聖域」は「聖殻」の拡大版ともいうべきもので、一定範囲内を結界で覆い、自身や同胞の回復力を高める難度の高い補助術式である。第三階梯の聖術師でようやく術式を構築できるものであり、攻撃系統の術式に比重を置いていたアンジュリーゼにとっては苦手分野でもあった。
自分よりも先に、他の家の聖術師が来たのかと警戒を強める。
だが、それが杞憂であるかのように、聞きなれた声が響く。
「あら誰かと思えば、アンジュじゃありませんか?」
「オリヴィエ……。将来有望な聖術師を抱き込んで何をしようとしているのか、教えてもらえる?」
「抱き込むなんて人聞きが悪い、わたくしは悪質な勧誘から保護しただけです。以前、言いましたわよね? 同調圧力や誘導はやめろと、わりとストレートに言ったつもりでしたが、意図が伝わらなかったようで残念でしたわ」
オリヴィエの言葉に、アンジュリーゼは憤慨する。
「なっ、何ですって! いったいいつ、無理強いをしたと!?」
「そちらにも言い分があると? いいでしょう、確かにヘルムタール家の側の言葉を曲解していた可能性は否定できませんしね。――で、実際にどのような勧誘したのか知っています?」
「そ、それは、私は勧誘担当じゃないけど……、聖術師の適性がある者が《大禍》と戦うのは当然でしょ? ヘルムタール家の条件が、他家と比べて劣っていたはずが、まして実績なく独立するなんて……」
アンジュリーゼは語気を弱める。
「少し遡って――、風の友よ、今一度、言の葉を紡げ、過去の音を現在に、失われた言葉を再び紡げ、ウィン・ディ・ボディス」
オリヴィエは風の下位精霊術『復唱』を唱える。
『――聖術師になる誇りと使命、我らがヘルムタール家は何よりも重んじている。これらの聖務に参加する栄誉を踏みにじるようなことはないとは思うが?』
『――魔族が今、この都市で苦しい立場なのは知っているね? それらを払拭する良い機会だが、選択次第ではより苦しい立場になる。そのことを良く胸に刻んで……』
『――無論、聖術師の仕事は《大禍》との命懸けの戦いだ、安全が約束されているわけではない。だが、君には戦う力がある。他の者には与えられない力が、それらを使わないのは、もはや罪といってもいい』
同じような文言が延々と続き、オリヴィエは「弁明は?」と薄灰色の瞳でアンジュリーゼを見るが、女聖術師は不思議そうに首をひねる。
「何が飛び出すかと思えば、別に普通のことじゃない」
「価値観の相違ですわね。まあ、いいですわ。それじゃあ、エルマが肯定以外の返答をしたら――聖術師になりたくないといったら、あなた方はどうするつもりでした?」
「そんなの、聖術師の家で腑抜けた根性を徹底的に鍛え上げたに決まっているでしょう」
その返答に、オリヴィエは感心した。
「正直で結構ですけど……、もう少し交渉のイロハを学んだ方が良いような気がしますわね。ヘルムタール家で上を目指すなら特に……」
「貴女に対して取り繕う必要はないと思っただけよ。まあ何にしても、今更な話かもね。私が今日来たのは、魔族の少女――エルマ・クォーリアの独立を認めると言いに来たのだもの」
アンジュリーゼはそう言って、手にしていた荷物を差し出す。
「聖術師の白衣、ヘルムタール家の紋章はない完全な白衣。クォーリア家の紋章を刺繍すれば、それでヘルムタール家はクォーリア家を認めたことになるわ」
「おや、ひと悶着あると思っていましたけど」
「あんたが背後にいるとわかったから、早々に手をひくことにしたのよ。魔族の聖術師は未知数で魅力的だけど、オリヴィエ・エヴァンとの関係を悪化させてまで欲しいとは思わない。これはあなたの父親――当主様ではなく、長老衆の意見だけどね」
「おや、落ちこぼれをだいぶ評価していだいて……、何かしら心境の変化でも?」
アンジュリーゼは肩をすくめた。
「落ちこぼれから狂犬って認識になっただけだと思うけどね。どう捉えるかは、それこそ貴女次第よ。それより、エルマはどこにいるの? 勧誘はもうしないけど、改めて挨拶をしておきたいわ……」
「ああ、エルマ。どうやら見えていないみたいよ。姿くらい見せなさい」
オリヴィエが言うと、今まで何もなかった空間に紫髪の魔族少女がオドオドした様子で姿を現した。
「あ、あの、改めまして、エルマ・クォーリアです。えっと、すいません。聖影の術式で、隠れていました……。その《大禍》とは戦わないので、ヘルムタール家の縄張りとか荒らさず、ひっそりと消えていきますから、その、お互い関わらないで……」
「嘘でしょ? 聖影って、第一階梯でも使えるものが少ない高等術式――、貴女どうやって、いつ?」
「え、えっと、一昨日だったかな? なんか、できそうだったのでオリヴィエさんから教えてもらった術式から応用で……」
エルマはそう言うと、アンジュリーゼはガシッと肩を掴んで言う。
「もったいない、やっぱり考えを変えない?」
「え、えええ???」
「アンジュ、誘わないと言ったばかりじゃありません?」
オリヴィエの言葉にアンジュリーゼはギリリと歯を食いしばる。
強力なライバルにもなりそうだが、同時に強い味方にもなりそうではある。だが何より本物の才能が無為に消えていくことが歯がゆくてしかたがない。
「えっと、オリヴィエさんの教え方、二度とやりたくないほど厳しいですけど、すごくわかりやすいですし、私なんかを使うより、オリヴィエさんに指導してもらえれば何倍も効率的だと思いますよ」
「お断りですわ」
「それはできない」
エルマの提案を、オリヴィエとアンジュリーゼは即座に却下する。
追放した落ちこぼれに教えを乞うには、ヘルムタール家のプライドは高すぎるし、オリヴィエの方としても後進育成に自分の生涯を費やす気はない。今回はあくまで、聖術師になりたくないというエルマに、最低限の力と立ち回り方を教えるための特例処置である。
「そうですか……」
「それよりアンジュ、せっかくですから彼女に攻撃系等聖術の見本でも見せてあげなさいな。防御や補助は一通り使えるようになっていますけど、攻撃系統は性格的に苦手みたいですからね」
「別にかまいませんけど、相手は?」
アンジュリーゼの問いかけに、オリヴィエは下を指さして答える。
「過去の亡霊を」




