第十三話
ずらっと役所の手続きに並ぶ人々とは別に、聖術師に対しては特別な部署が応対する。現代の王侯貴族と揶揄されるような扱いではあるが、粗略に扱ったことで国外へ出奔され、国難に直面することになった小国も存在する。多少の特別扱いは仕方がないと、ヘルムタール家の支配領域であるクランハフェンの役人たちは渋々ながら納得していたのだが、開業届というのは珍しかった。
それも子供となれば、初めてのケースである。
聖術師の特権として、子供であっても大人としての権限や契約も行えるのだが、
「開業届、ですか?」
窓口の女性職員は書類を見つめたまま固まっていた。
「はい……」
エルマは小さく答える。
隣ではオリヴィエが気怠げな調子で補足した。
「何か問題でも?」
「い、いえ、法的には問題ありません。ありませんが……」
職員は困惑した顔でエルマを見る。
聖術師となった者の多くは、既存の聖術師家門に迎え入れられる。
ヘルムタール家のような名門はもちろん、他の家でも教育施設、装備、人脈、資金、住居、その全てが最初から揃っている。
分家というのならともかく、わざわざ独立開業する理由がない。
まして目の前にいるのは十代半ばの少女である。
「確認ですが、クォーリア家を新規登録するということでよろしいですか?」
「は、はい……」
「後見人は?」
「いません。わたくし、オリヴィエ・エヴァンが相談役になります」
エルマの代わりに、オリヴィエが答える。
職員はますます頭を抱えたくなった。
目の前にいるのは《大禍》を一撃で消滅させた新たな聖術師。
その隣にいるのは先の《クランハフェンの惨禍》で大きな活躍をした精霊術師。面倒な予感しかしない。
「では、家紋の登録をお願いします」
「か、家紋?」
エルマが固まる。
「家を興すのですから当然ですわね」
「き、聞いていません……」
オリヴィエは予想していたらしく肩をすくめた。
「適当でかまいません。思いついた形を適当に描けばいいですわ」
「適当でいいんですか!?」
「だいたいそんなものですわ」
職員は反論したかったが、できなかった。
実際には家紋には歴史や由来がある。
だが目の前にいるのは新興家門で、歴史も伝統も今から作るのだ。
「えっと、それじゃあ……」
二本角を交差し、中央に丸い目を図案化した紋章が登録されることになる。
エルマが数日前に食べた両親の故郷の料理である。
角はソーセージで、目玉は卵だが、そのことは黙っておいた。
クォーリア家。
共和国史上でも珍しい魔族系聖術師家門の誕生であった。
その後にいくつかの書類にサインして、手続きが終わる頃には、エルマはすっかり疲れ果てていた。
「もう帰りたい……」
「まだですわよ」
オリヴィエは容赦がない。
「次は事務所です」
「じ、事務所?」
「形だけでも依頼を受ける所在地が必要です。開業手続きが終わったので、断られる可能性はだいぶ減りました」
「家じゃ駄目なんですか?」
「駄目ですわ」
「どうして……」
「依頼人が押しかけてきます」
「ひぃっ」
エルマは青ざめた。
その反応を見て、オリヴィエは気軽に答える。
「安心なさい。最初から対策は考えてあります。そもそも幽霊会社なのですから、毎月の家賃を振り込むだけの空き家でも構いません。あるいはあなた自身が本当にやりたいことを習得するための勉強部屋にでもすればいいでしょう。依頼人が来ても、貴女が受付係として依頼が立て込んでいると言って追い返せば……」
「は、はい……、頑張ります」
「別に頑張る必要はありません。まあ将来どうするかまでは貴女の自由です。受付も嫌なら、強面のオーガでも受付に置いておけばいいでしょう」
オリヴィエの感覚からすれば、エルマはどうにも臆病すぎるようにも思ったが、そこに踏み込みはしなかった。オリヴィエの目的としては、あくまで聖術師になりたくない者を――《大禍》に挑む気のない者を前線に行かないようにできればいい。
数多くの戦場で《大禍》と争ってきた彼女なりのルールというか、ポリシー、流儀である。
「これはこれはオリヴィエ様、連絡いただきまして……」
細長い耳をピコピコさせながら浅黒い肌を持つダークエルフの営業担当者は嬉しそうに揉み手をしながら、オリヴィエとエルマを歓迎する。
以前、オリヴィエに貴族の館を紹介したダークエルフである。
不良債権処理――ではなく、顧客の求める物件を案内したくて仕方ないといった様子だ。実は事前に風の精霊で連絡を送っており、すでに目星はいくつか付けてある。
「強力な亡霊が憑いたマンション、魔獣の巣喰う森と湖に隣接する小屋、スラム街の奥地の長屋、人が寄り付かなそうな場所は一通り揃っていますが?」
「ど、どれも嫌ですぅううう」
「わがままばかり言うものではありません。どれもいい物件ではないですか、そうですね。値段と立地、練習の条件から亡霊マンションがちょうどいいでしょう。此処に決めます」
及び腰のエルマに、オリヴィエはダークエルフに書類を用意するように言う。
「お、オリヴィエさんんん」
「どうしても嫌ならやめますが、貴女にとって好条件ですわよ? 依頼人が来る可能性は低い、《大禍》より弱い聖術の練習相手がいる」
「戦うのが嫌ですぅ、ついでに怖いのもぉおお……」
「エルマ、《大禍》を相手にするのと亡霊を相手にするのでは違います。貴女が持つ力なら戦いにはなりません。羽虫を叩くように潰せます。怖いのは……我慢なさい」
「あうぅううう」
結局、オリヴィエの提案通り、エルマは亡霊マンションに事務所を構えることになった。
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「検体番号E-987が成功です」
「おお、素晴らしい」
「しかし魔族か、今では少数民族だな」
「なに、応用していけばいいだけだ。これは大きな一歩だぞ」
真っ白な部屋。
照明が利き過ぎて目を開けるのも嫌になるほど、白く、明るく、何も見えないほどに痛い部屋。歓声を上げている研究者たち――人間、ゴブリン、オーク、エルフなど、種族は様々だが瞳に宿る色は同じ、誰も彼もが新たな成功、発見に狂喜している。
「ア……」
ベッドの上に置かれた魔族の少女は、虚ろな瞳で周囲を見る。
動けない、動かせない、力が入らず、痛みも感じず、現実感がなく、ただ自分が死に近づいていることだけがわかった。
自分が何者かなのか思い出せない、自分が誰なのかわからない、恐怖の叫び声も上げられない。ただ、研究者? あるいは医者たちの白衣の集団の声を聴きながら、それでも必死に助けを求める。
「たすけて……」
その言葉に、白衣の集団はピタリと動きを止める。
そして魔族の少女をジッと凝視する。
「声を出したか?」
「聞こえた。確かに」
「そんな馬鹿な、ありえない」
「気のせいだろう。もう中身はほとんどないんだぞ?」
研究者たちは照明を弱め、白衣を染めあげている大量の返り血――魔族の紫色の血で染まった体を見ながら苦笑する。
そしてダメ押しに、生死確認に魔族の少女の眼球に光を当てる。
「検体番号E-987の死亡確認」
「よし、実験データを忘れるな。キルメリア連邦の魔術に対抗するための手段、聖術の普遍化を我々が成し遂げるんだ」
「あらゆる者を聖術師にすることで《大禍》の恐怖は過去のものになる。この犠牲もすべて、意味あるものになる」
白衣の集団は熱狂と自己正当化の言葉を呪文のように紡ぎながら、黙々とカルテをめくり次の生贄を探す。
オリヴィエやエルマたちが生まれる前、彼女たちが事務所と定めた場所。
今はまだ誰にも知られない。そして、やがて知られることになる――無駄な犠牲の記録の一部である。




