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オリヴィエの受難(旧題:彼女に神の祝福は無く)  作者: はーみっと
第二章

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第十二話


《大禍》を消滅させて以来、エルマをめぐる聖術師たちの取り合いは激しさを増している。様々な好条件を出してくる家もあれば、伝統や格式・名誉を推してくる家もある。そのどれもが素晴らしいことだと客観的に理解はできたが、エルマの主観においては重圧で潰されるようなものであった。

 あるいは潰された方が、エルマ本人の心の平穏には良かったのかもしれないのだが、()は人より強かったため、受け入れられない聖術師という地位の重みだけが、多大なストレスとなって、体を蝕んだ。

 具体的に言うと――。


「お腹が痛い」


 エルマはそう言って、必死にスカウトする聖術師の使いから逃げるように背を向ける。両親たちは、どれも素晴らしい、誇らしいと、喜色満面で素人ながら喜んでいる。我が子の栄達を喜ぶ親の姿もまた、エルマの腹痛を強くしている。両親には申し訳ないが、自分はそんな大層な者ではないと、自分を見限っている。

 このまま、お腹が痛くて死んでしまうのではないかと思ったその時、エルマの目に風の精霊が目に留まる。

 通信や伝令などに使われることもある精霊だが、エルマの知る風の精霊よりも、優雅で気品があるように感じた。

 半透明で女性的な容貌、存在感はあるが威圧感はない。精霊は優しく――心配そうな微笑みを浮かべて、自室の窓の外から手招きしている。

《大禍》に襲われて以来、窓に近づくことに躊躇があったのだが、エルマは勇気を出して精霊の誘いに応じる。

 応じた理由は、彼女自身もよくわからなかった。

 強いて言えば、不思議な予感があった。

 それに腹痛を抱えたまま、精霊の誘いを無視する気にもなれなかった。少しばかりの気晴らし、そんな風に思い精霊の手を取り――、世界が反転する。


「え、えええ、ええええええ!!!!!」


 空を飛ぶというのは、この世界においては不可能なことでも、珍しいことでもない。

 元々翼のある種族は空を飛ぶし、大型の魔獣幻獣の類には飛行能力がある。それらに抱えられて飛んでも良いし、精霊術の中には風の精霊を使役して飛ぶものや錬金術で作られた飛行を可能にする道具の種類も多種多様に存在する。

 そして、それゆえに文明圏では飛行に対する制限が設けられている。自然法則ではなく、国の法律として、飛ぶための許可証や免許、規則が決められており、自由の象徴であった空は法秩序の管理下に置かれている。

 だからエルマも空を飛ぶと言っても、せいぜい二階まで、それも授業などの管理された場所でしか飛行の経験はない。

 だから、風の精霊に文字通り吹き飛ばされるようにして空を飛ぶ――というよりも落ちていく経験は初めてだった。


「あああ、ああああああ!!! はは、あはははは!!!!!!」


 恐怖が限界点を超えて、涙と笑いが溢れ出す。

 だが、一定以上空に舞い上がると、再びくるんと世界が反転し、今度は豆粒のような家々、都市クランハフェンの全貌を見下ろす。


「は、はは、あははは……、はあああああ~~~~~~~っ」


 風の精霊に抱きかかえられながら、エルマは恐怖や混乱よりも先に大きく息を吐きだす。今この場には、自分以外は誰もいない。正確には風の精霊がいるのだが、別世界の住民は数にカウントする必要はない。彼らはどこにでもいて、どこにもいないのだから。

 だから誰にも遠慮せず、子供のようにわめく。


「いやぁあぁああだああああああああああ!!!!! 聖術師になんて、なりたくないあいいいいいいい、こわいいいいいいいいいいいい!!!!!! いやあだああああああああああああああ!!!!!!!!!」


 まだやりたいことも、自分の道も決めてはいないが、それでも嫌なことだけはわかった。そして周囲がそういう形に自分を押し込めようとしていることが、自分という形を決めて、その鋳型に嵌め込もうとしていることが、嫌で嫌で嫌でしかたがない。

 精霊は言葉を返さず、ただエルマを主人の元に連れていく。

 叫び疲れたエルマは抗うことなく、流れに身を任せた。

 腹痛が少しだけよくなった気がしながら……。



 * * * * * * * * * * * * * * * * *



 風の精霊に連れてこられた館。

 重厚な木製の扉の前で、エルマは何度目かわからない深呼吸をした。


「え、えっと……」


 意を決して呼び鈴を鳴らす。


「エルマ・クォーリアでしたわね? どうぞ、お入りください」


 扉が開く。

 出迎えたのは、長い金髪を肩から流した美女だった。

 薄灰色の瞳にはどこか眠たげな気怠さがあり、それでいて人を値踏みするような鋭さもある。

 年齢は二十代半ばほどだろうか。

 学生であるエルマからすれば、十分に大人の女性だった。

 館の内部は外観から想像していたよりもずっと整然としていた。

 建物自体はかなり古いらしく、床板や柱には長い年月の痕跡が見える。

 しかし埃一つ見当たらない。

 小さな妖精のような精霊たちが箒や布を抱えて忙しなく動き回っており、エルマが近付くと慌てて物陰へ隠れた。

 それでも好奇心は抑えられないらしく、柱の陰からこちらを覗いている。

 どこか生活感があり、不思議と落ち着く空間だった。


「お茶は苦手じゃありません? ロットウィル帝国産の<妖精の舞踏>か、エルドーム産の<スレイプニルの嘶き>しかありませんけど」

「えっと、それじゃあ苦くない方で」

「なら<妖精の舞踏>ですわね」


 オリヴィエはそう言うと、気怠げな足取りで奥へ消えていく。

 だが動作そのものは妙に洗練されていた。

 面倒そうに見えるのに無駄がない。

 エルマは勧められたソファへ腰を下ろしながら、落ち着かない気持ちで部屋を見回した。

 棚には見たこともない専門書が並び、壁には地図や術式図面らしきものが貼られている。

 その一方で、机の上には読みかけの本や菓子袋が無造作に積まれており、妙な親近感もあった。

 やがてオリヴィエが戻ってくる。

 銀色のティーポットから立ち昇る湯気と、小皿に盛られた焼き菓子。

 その所作だけを見るなら貴族の令嬢のようだった。


「あの、まだ状況をよく呑み込めていなくて」

「聖術師に詰め寄られているようなので、助言できればと思いまして。まあボランティアの一種ですわ。お節介でも結構ですけどね。《大禍》と戦いたくない子を無理に駆り出すわけにもいきませんから。ああ、わたくしはオリヴィエ・エヴァン。精霊術師で《大禍》の封印、聖術師の補助を行っていますわ」

「えっと、路地裏で助けてくれた人ですよね? 私の名前を知っているようですけど、改めて自己紹介します。エルマ・クォーリアです。リグルット共和国立学校、クランハフェン第三分校の下級生――、先週までは……聖術師の適性があったので、早期卒業ということになったみたいです」


 自己紹介を終えた瞬間、自分でも情けないと思うほど声が小さくなった。

 相手は堂々としているのに、自分は萎縮してばかりいる。

 だがオリヴィエは気にした様子もなく、紅茶を一口含んだ。


「リグルット共和国法の聖術師特別条項でしたわね。本人の意思確認が必須だったと思いましたけど?」

「その、よくわからなくて、聖術師の使い――代理の人が手続きとかやっておくって、私……」

「ああ、未成年者の代理制度を使ったわけですね。学校に戻りたいなら、今からでも復学手続きを行えますけど?」

「あ、んっと、学校はもういいんです。だいたい授業内容は理解しましたし、資格試験を受けるのに必要だっただけですから……」


 エルマは視線を落とす。

 学校生活に未練がないと言えば嘘になる。

 だが恋しい思い出があるわけでもなかった。

 魔族というだけで距離を取られ、陰口を叩かれ、ときには露骨な悪意も向けられた。

 成績が良くても、誰かに認められた記憶は少ない。

 友人と呼べる相手もいなかった。

 卒業を取り消して戻ったところで、何かが良くなる気もしなかった。


「だ、だけど《大禍》と戦いたくはないんです。お前にしかやれないって言われても、怖くて、でもそのことを言ったら、私やお父さん、お母さんも、魔族だからって迫害されるかも、最近の街の様子も、魔族を見る態度が……、だからやらなきゃってプレッシャーと、やりたくないって気持ちがせめぎ合って……」


 話し始めると止まらなかった。

 不安。

 恐怖。

 罪悪感。

 両親への心配。

 胸の中に溜まっていたものが次々と言葉になって溢れていく。

 途中で何度も声が震えた。

 けれどオリヴィエは遮らない。

 急かさない。

 ただ黙って最後まで聞いていた。


「少し変則的な方法ですけど、貴女が聖術師になって、そのうえで《大禍》と戦わない方法はありますわ。まあ永続的ではありませんけど」

「え? ど、どんな方法なんですか?」

「簡単です。貴女が当主となるクォーリア家を起こして、後は《大禍》討伐依頼を断り続ける。おそらく取り潰しになるまで3年程度、国からの補助金も断り続ければ、追加で6年程度は時間を稼げます。その間に、聖術師以外で糧を得る手段を見つけることができれば……」

「《大禍》と戦わなくていい」


 思わず呟く。

 それはここ数日、誰一人として教えてくれなかった選択肢だった。単純に聖術師になる道を放棄した場合のリスクは重い。共和国の法は罰しないが、共和国を構成する社会の人々――世間が許さない。特に今、魔族は微妙な立場に立たされている。

 聖術師になるべきだ。

 世界のために戦うべきだ。

 期待に応えるべきだ。

 そんな言葉ばかり聞かされていた。

 だからこそ、その発想は衝撃だった。


「今は都市全体の空気が悪いですけど、一過性のものなら、3年後に成績不振の新興聖術師の家が潰れても、話題にもなりません。」

「そ、そんな手が……」


 目を丸くするエルマに対し、オリヴィエはまるで天気の話でもするような口調で紅茶を飲んだ。

 その姿が妙に頼もしく見えて、エルマは少しだけ肩の力を抜いた。


「《クランハフェンの惨禍》のような国や都市全体の危機となったら話は別ですけど、その場合は戦わなければ死ぬような状況ですから、運が悪かったと諦めることになりますけどね」


 今まで張り詰めていたものが少しだけ緩む。

 もちろん問題が解決したわけではない。

 それでも、自分の意思を尊重した上で選択肢を提示してくれた大人は初めてだった。

 だから自然と頭が下がる。


「……ありがとうございます。オリヴィエさん」

「別にかまいませんわ。最初に言った通り、ただのお節介です」

「いえ、本当に助かりました。その、あの、厚かましいんですけど、手続きとか、お礼はします。というか、前に不良から助けてもらったのとか、家の前に出た《大禍》の報奨金とかも……」

「手続きは自分で……、まあ近くでアドバイスくらいはしてあげますわ。お礼というなら、少しばかり献血でもしてもらえますか? 聖術師の血液サンプル、魔族は珍しいですからね」


 お節介の時間は終わりだった。


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