第十話
エルマは疲労のあまり、家に帰るなり、そのまま二階にある自室のベッドに倒れ込む。
元々、人付き合いが好きな方ではない。
他者に敵意を向けられるのは嫌だが、賞賛や好奇、誘いも気が滅入る。そんな自分を、つくづく社会構成員に向いていないなと思うのだが、それを矯正しようとも思わない。自分を殺して鋳型に嵌めるのは、気が滅入るどころではない。心が切り刻まれるに等しい苦痛なのだ。あらゆる種族が、この高度な社会を構築していることが、エルマには信じられない。あるいは、自分と同様に苦しみながらも平気なふりをしているのか?
「ああぁ、うぅぅうう……」
この苦しみをうまく言語化できずに、悶えて、眠ろうとする。
聖術師としての力があると聞かされて、両親は大喜びだった。補助金がどうとかいう話よりも、娘に輝かしい未来が約束されたことが純粋に嬉しかった――とエルマは分析する。エルマの両親は魔族だ。混血の魔族が多い中、どちらも魔族というのは少し珍しい。遡れば、人間やエルフの血も流れているのだろうが、両親も祖父母も魔族でその血は濃い。別に血統を気にしているというわけではなく、単純に共和国内の魔族たちが集まる居住地の出身だったのだ。
だが五十年前のキルメリア連邦崩壊により、両親――というより魔族居住地の生活は一変した。居住地は共和国内にあった為《大禍》の直接的な被害は受けなかったが、連邦崩壊による連鎖的な経済崩壊に巻き込まれた。貿易網が寸断され、生活必需品が手に入らなくなり、共和国はもちろん大陸全体が揺れる中、福祉の手は届かない。何も手を打たなければ貧困に沈むのみという状況下で、残された選択肢は多くはなかった。結果として、魔族居住地はコミュニティを分散し、各都市に散ることを選択し、両親も住み慣れた土地を離れて、このクランハフェンへ移り住むことになった。
幸いなことに、両親はクランハフェンで職を見つけ、それなりの生活と一人娘を学院に入れる程度の経済的な成功を収めることができたが、それでも余所者感はぬぐえない。
エルマが受けているような嫌がらせこそないが、警戒するような視線は消えない。
先の《クランハフェンの惨禍》以降、その空気は風聞によりことさら重くなっている。
エルマは同級生に暴行を受けそうになったことを黙っていたが、両親にも同じようなことが起きるのではないかと、今更ながらに考えた。
だから、これは転機なのだ。
聖術師としての適性、エルマが聖術師になれば、今起きている面倒事はすべて解消される。それどころか逆転すると言ってもいい。恐怖や嫌悪の視線は羨望と憧憬に変わるだろう、もしも不当な嫌がらせでもしようものなら、仕掛けた側が叩き潰される。それだけの社会的地位を手に入れることができる。
「いやだなぁ……」
しかし、最初に述べたようにエルマは人付き合いが好きな方ではない。
無意味な悪意はもちろん、期待さえも重たい。
関わらないで欲しい、放っておいて欲しい、そんな隠者のような人生を望んでいる。無論、彼女はまだ若く、その考え方が変化する余地は十分にあるのだが、現時点において、すべてが重たく、投げだして逃げたくさえある。
「まあそんな度胸もないんですけど……」
ベッドにうつ伏せになりながら、そう呟く。
「どうなるんだろ、これから……」
その独り言に応える音があった。
【今日も明日も昨日も来年も去年も過去未来現在、時って、時間って、進むの回るの戻るの、あるあるあるあるある?すすずむむししじいい、とけい、おおきなとけいぃいいをみつけなきゃぁああああ~~~~っ】
「え?」
《クランハフェンの惨禍》で聞いた警報と同時に、あまりにも禍々しい《大禍》の音がすぐ外――エルマの家の前から聞こえてきた。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
オリヴィエは生活必需品の他、術符や弾薬などを買い込み、拠点に戻ろうとしていた。だが、クランハフェンの周囲に配置していた風精霊から知らせを聞き、目的を変更する。
「地獄の門でも開いたのかしら?」
『トルメの猛犬』は犬の低い唸り声のようなエンジン音を鳴り響かせて、舗装された道路を踏み越え、階段を昇る。夜になってきたとはいえ、通行人たちの数は少なくない。戦闘用偵察バイクの暴走行為に怒声と抗議、通報の合唱を無視して、オリヴィエは《大禍》出現の警報音を鳴らす。
それを聞いた瞬間、群衆の怒りは悲鳴に変わった!
つい数か月前の惨劇は、彼らの記憶に新しく、蜘蛛の子を散らす。
もしもこれが悪戯の類であれば、かなり重たい罪になる。だが真実であれば虫のように殺されるのだ。
一方、オリヴィエも混乱していた。
安全なはずの都市部に《大禍》が現れた理由がわからない。
ハーヴェスティのような術師が他にもいたのかとも思ったが、このタイミングというのは不自然だった。ならば自然発生と考えるのが妥当ではあるのだが、もしそうならば運が悪すぎるとしか言いようがない。
「幸い、聖術師たちの数は多いですから……足止めの時間は長くはないでしょうね」
緊急事態のため、無報酬。
先ほど購入した術符や弾薬の代金が一瞬頭をよぎるが、暴れまわる《大禍》を放置するつもりはない。《大禍》と戦うというのは、もうオリヴィエの生き方になっているからだ。
警報音を鳴らしながら、市街地を駆け抜け、オリヴィエは《大禍》を発見する。
それは巨大な花の形をしていた。
二階建ての建物の方を向き、花弁を蠢かせる。
「――火蜥蜴よ、猛りて、焼け! ラグナ・フレイアス・オルディム」
バイクに乗りながら、オリヴィエは巨体に対して精霊術を放つ。
基礎的な攻撃系精霊術「火弾」が《大禍》に直撃するも、巨体は当然のように無傷。
しかし《大禍》の全体像はつかめた。
花に見えるが、その全体は肉色で植物というよりも動物の皮膚に近い。動きは鈍く、無傷であるにもかかわらず「火弾」が命中した箇所を気にしているかのように茎を伸ばして、軽く掻いている。
【ちこくちこくちこくしちゃう、いそがなきゃいそがなきゃ、のんびりいこうよ~、だってじかんはむげん、おわりなんかこないの、きんこんかんこーん、午後■時をお知らせします。ちくたくちくたくちくたくちくたくうううぅうううううううううううぎごごごぉぉおおおおお!!!!】
「眷属はなし、等級は厄災か大厄の下級」
『トルメの猛犬』から降りて《大禍》の情報を集めつつ、オリヴィエは自分に注意をひかせる。見たところ《大禍》は出現したばかり、発見と同時にロスタイムなく到着できたのは僥倖である。優先順位は人命、周囲の建物、予算の順番に決め、どうやって足止めするか、数瞬思考する。
「時間ですか……、時の女神、現在を見て、過去を見て、未来を見られる精霊たちの女王、時紡ぎし一糸を貸し与えたまえ、このひと時、縛れ! スレイディ・ノルニール・ベルディム・ウルディム・スカーディ!」
オリヴィエの術式が完成し、彼女の指先から光り輝く糸が伸び、肉花の《大禍》に巻きついていく。
際限なく伸び続ける糸。
オリヴィエは糸を器用に操作し、《大禍》を絡めとる。
既存の術式では聖術(と魔術)以外で《大禍》には傷一つ付けられないが、不利な弱体化に関しては等級次第で通用することもある。眷属が多い場合は、露払いをすることが主な仕事であるが、眷属を連れない《大禍》と戦う聖術師を支援する際、この手の弱体化により、とどめを刺しやすくするのも、オリヴィエの仕事の一つである。
【 お そ い お そ い も っ と お く れ れ れ れ え】
「かかりましたわね」
糸を操作しながら、花の巨体に巻き付けていく。
はた目からわかるほどに《大禍》の動きは鈍くなり、もはや脅威とは言えない。あとは聖術師たちの到着を待つだけである。
「あ、ああ、あああ、いやだ、こわい、こわい、やめて、たすけて」
風の精霊が拾った声に、オリヴィエは花が向いていた家の方を見る。
その窓を開き、魔族の少女が顔を出していた。
「なにをやって――っ! 逃げなさい!」
「あああ、あ、あああああ!!! ――消えろ!」
オリヴィエの警告と、魔族の少女――エルマの怒声は同時だった。
真っ白な光が《大禍》を呑み込み、オリヴィエの拘束していた《大禍》は一欠けらも残らずに消滅した。




