第九話
中央区の一角、格式ある石造りの高層建築ホテル『ルフ鳥の憩い亭』――《クランハフェンの惨禍》の被害をほとんど受けず、一時的な避難所として数百人ほどの避難者を受け入れていたが、今は通常営業に戻っている。
一般的な旅行者向きではなく、企業人たちの宿泊や会議などに利用されることの多い一室で、オリヴィエ・エヴァンは気だるげにソファへ身を沈めていた。
向かいには、若い聖術師たちが座っている。
黒い髪の眼鏡をかけた生真面目そうな少女。
明るいオレンジ色の髪をした粗暴な印象の娘。
そして、中央に座るのは赤い短髪の少年――、以前会った時よりは少しばかり大人びた印象を受けるため、青年と呼ぶべきか? ヘルムタール家の若き聖術師――トールが代表して口を開く。
「……今月分です」
そう言って差し出された紙袋を、オリヴィエは片手で受け取る。
共和国の発行している高額紙幣の束が四つ。
軽く指で感触を確かめると、確認するように問う。
「一人分、多いようですけど? 間違いありません?」
「ええ、あの時のハンクは魔術師としてじゃなく、聖術師として一緒にいたと思っていますから……。結局、最後まで何も話してくれませんでしたけど……」
「そう、ならこれ以上の野暮は言いません」
オリヴィエは、そのまま懐にしまい込む。
銀行口座を通しても良かったのだが、聖術師である彼らには少なくない関心が寄せられている。特に高額現金の移動となれば、顧客の情報安全・中立主義を標榜する銀行組織はもちろん、共和国議会の諜報員やヘルムタール家の網も張られている。別段、犯罪というわけではないのだが、アンジュリーゼのような正式要請ではなく、手柄目当てに封印指定の《大禍》を解放した挙句に死にかけ、あげく部外者であったオリヴィエに助けを求めて大金を支払うというのは些か後ろ暗くはある。誰も死ななかったから良かったが「もしも」という部分を攻撃される可能性は十二分にあるのだ。
渡す側はもちろん、受け取る側も攻撃対象になる可能性はあるため、取引もこのようなこそこそしたものになる。場所を下町の酒場ではなく、こうした高級ホテルを選ぶあたりは、聖術師らしいとはいえる。
「それじゃあ、来月もよろしくお願いしますわ」
「いえ……一つ、話が」
用件は済んだと、立ち上がろうとしたオリヴィエに対して、トールは一瞬だけ言葉を選ぶように間を置いて、引き留める。
「新しい聖術師候補について、ご存じですか? 今、ヘルムタール家をはじめとする聖術師の家が話題にしている子なのですが……」
「噂くらいはね」
オリヴィエはわずかに口角を上げる。
「魔族に聖術師の適性が出るのは珍しいですわね。もっとも、本人にその気があればの話ですが……」
「ヘルムタール家が迎え入れるとなれば、同年代なので、基礎訓練を終え次第、俺……僕等と組むことになると思います。その……、オリヴィエさんはいろいろな聖術師と一緒に《大禍》と戦った経験があるようなので、お聞きしたいのですが……」
「あいにく、魔族の聖術師と一緒に戦った経験はありませんわね。ですけど、魔族の傭兵となら戦った経験はあります。助言になるかわかりませんけど、よろしいかしら?」
トールたちは無言でうなずく。
年配の聖術師たちはオリヴィエを毛嫌いしている。だが、実際の能力を見た彼らからすれば、オリヴィエの話には他では得られない価値がある。それは単純に《大禍》との戦闘経験だけではない。
「知っているかもしれませんけど、共通認識として基本的なスペックだけで言えば、魔族は人間よりわずかに上回ります。もちろん訓練次第で多少の上下はするでしょうけど、身体能力、術式精度、訓練の成長速度、そのいずれも人間よりは『少しだけ優秀』というのが学者たちの見解です。そのあたりはよろしい?」
オリヴィエの語ったことは、現在判明している種族特性の一つである。
オークやオーガ、獣人のような身体能力があるわけでもなく、エルフのような術式精度を持つわけでもない。ドワーフのような鍛冶技能などもなく、ケンタウロスやアラクネのように大きく人型を逸脱もしていない。
ただ人間よりも『少しだけ優秀』な種族として、魔族は社会に溶け込んでいた。
「わたくしの知っている魔族の傭兵は――非常に自己肯定感が低い、劣等感の強い人物でした。ですが、自己評価と違い、わたくしから見て相当に優秀な傭兵でした。そして、傭兵をやるには優しすぎて、責任感の強い人物でもありましたわ」
思い出すように、あるいは黙祷をささげるように、オリヴィエは薄灰色の目を一瞬だけ閉じる。
「もちろん、魔族と一口に言っても色々な性格の人物はいると思いますけど……」
いらない先入観を与えたかもしれないと思ったが、実際のところ魔族の多くは人類に敗北して以降、内向的、自罰的傾向が強いものが多い。
「《大禍》と戦う場合、自分を危険にさらす傾向が強かったら、前線に立たせない方が良いかもしれませんわね。本人のためにも、仲間のためにも」
「……ありがとうございます。参考にします」
トールは軽く頭を下げ、他の二人も礼を言って同じように頭を下げる。
かつて彼の中にあった――富や権力の象徴としての聖術師への憧れは失われている。今は、世界を守護するための使命としての聖術師を見出している。もしも仲間が増えるなら、今度は間違えることなく接したいと、聖術師の少年は思った。




