第八話
リグルット共和国、クランハフェン都市議会館。
聖術師候補たちの今後に関して、どうするべきかという議題が行われていた。
「魔族でありながら聖属性を発現させた者は非常に希少だ。記憶に残っているのは――、300年前にいた『混濁の聖剣士』オルファドーレが最後だったか?」
「二つ名持ちでなければ、82年前にサルヴェイナという魔族の女性が聖属性を発現させています。彼女は聖術師の道を歩まず、一般人として暮らしていましたが、先の魔術師狩りにおいて魔族だからという理由で暴徒に惨殺されています。昨今の市民たちの悪感情を踏まえると、この時のような不手際があっては困ります」
ヘルムタール家の聖術師クレシオは鋭く切りつけるように言った。
長老――といってもまだ三十代後半だが――衆の一人であり、先の《クランハフェンの惨禍》において、瀕死の重傷になりながらも生き延びた一人である。黒髪に白髪は多く、同年代に比べて肌も荒れているため、実年齢よりさらに十歳は齢を重ねているように見えた。先の戦いで潰された右腕や両足は回復こそしたが、後遺症が残っているのか動きがぎこちない。
しかし、交渉役としての舌の鋭さは以前と変わらず健在だ。もっとも、聖術師の交渉とは妥協案を探るというよりは脅しを含めてやり込めるものであるが。
「それはエルマ候補生も一般の道に進ませるということか? 本人もそのように希望しているのか?」
問いかけた議員の声は冷静を装っていたが、その裏には焦りが滲んでいた。
場の空気がわずかに張り詰める。
この議題が単なる進路相談ではないことは、誰の目にも明らかだった。
「それに関しては確認中ですが、いずれにしても聖術師の護衛は必須です。そのための人員と予算を今のうちからでも……」
クレシオは間を置かずに返す。
言葉は丁寧だが、提案ではなく既定路線をなぞるような口調だった。
選択肢を提示しているようで、その実、逃げ道を塞いでいく。
「すでに限界まで切り詰めている! 我々が聖術師のために、どれだけ予算をつぎ込んでいると思っている」
別の議員が声を荒げた。
机を叩きそうになるのを辛うじて堪えている。
議会側の不満は、もはや隠しきれる段階を過ぎていた。
だがその怒声を受けても、クレシオの表情は一切変わらない。
むしろ、相手が感情を露わにしたことを確認するように、わずかに目を細めた。
「その献身には感謝していますが、その上で言わせていただきます。足りない。金も、人員も、物資も、我々がいなかったら、先の《クランハフェンの惨禍》の被害はあの程度では済みませんでした。この都市は確実に消滅していたでしょうし、周辺の地域も、最悪、共和国自体が滅びていた可能性も十分にあります。それを考えれば、今の予算見積もりは甘すぎる。こちらが要求する特別予算の見積書です」
静かに差し出された書類。
だがその紙束は、鉛のような重さを伴っていた。
数字の羅列ではない。
そこに書かれているのは、「守るために必要な代価」だ。議員の一人がそれを受け取り、目を走らせる。そして次の瞬間、顔色が変わった。
「……ふ、ふざけるな! 貴様ら、生殺与奪の権利を握っていると思って、我々から搾取するつもりか!!」
怒号が響く。
もはや体裁すら保てていなかった。
だが、その叫びに対しても、聖術師たちは誰一人として動じない。
反論も、弁明も、必要ないと知っているからだ。
この場の前提はすでに共有されている。
――守れるのは誰か。
その答えが変わらない限り、交渉の主導権もまた変わらない。
短い沈黙が落ちる。
そして、その沈黙を断ち切るように、クレシオは淡々と言い放った。
「正当な報酬と権利だと考えています。これはヘルムタール家だけでなく、他の聖術師の家すべての要望ですよ」
集まっているのは、共和国に存在する主要な聖家の代表者たちである。
ヘルムタール家、グランゼル家、ミストリア家、その他複数。
いずれも長い歴史と権威を持つ家系だ。
グランゼル家の中年男性が、冷ややかな口調で続ける。
「希少である。だからこそ価値があるとも言える」
対するミストリア家の女性は、興味深そうに指先を組んだ。
「適切に育成すれば、既存の聖術体系を一段階上に押し上げる可能性がある。少なくとも研究対象としては極めて魅力的だ」
「研究対象、か」
その言葉に、何人かの都市議員が眉をひそめる。
「まあ都市議会の――予算の負担を分散するのが愚策ではあるというのは一理あります。魔族の少女をいずれかの家が受け持ち、責任をもって立派な聖術師にしましょう。そうなれば、先に提出した要望書を修正することも約束しますよ」
――自由選択など生温いことを言わず、さっさと自分たちに引き渡せ。
聖術師たちの圧力に、都市議会の委員たちは押さえつけられる。彼らとて、聖術師たちの意見がわからぬわけではない。しかし一人一人の自由意思を尊重する共和国議員として、曲げてはならない信念もあった。脅しに屈して、魔族の少女の未来を売り飛ばすわけにはいかない。
対抗できるのは、同じ聖術師であり、かつ独自の路線を行くエルフの聖家だ。都市議会の委員は助けを求めるように意見を求める。
「聖樹イスミナールの一族のご意見をお聞かせください。魔族の少女はどうするべきか?」
「聖樹の一族は、魔族の少女に関する件には関与しない。我々エルフの扱う聖術の術式とは、あまりに構築方法が違う。教えるならば、人間の聖術師の家の方が性には合うだろうが、確約はできん」
「つまり、我々が預かるべきだ」
勝ち誇るように言った人間の聖術師に、エルフの聖術師は首を横に振る。
「最初に話したが、魔族の聖術使いは珍しい。そして、基本を押さえた後は、大抵独自で術式を構築することになる。基礎術式を教えた後は、独り立ちさせるのが良いだろう。猫と虎、赤子のうちは同じ籠に入れても、すぐに檻の大きさが合わなくなる」
「わ、我々が魔族に劣ると!」
「例えが悪かったか? 種が違えば、咲く花も付ける実も違う。同じ土壌に、同じ量の水を与えるのは、腐らせるだけだ」
「だから予算が問題だと言っている。一人の魔族を守るのに、どれだけ金をかけるつもりだ?」
今度は別の家――大家よりも格は劣るが急成長している聖術師の家の者が口を開く。
「検査記録によれば、火と風の属性値が急激に上昇している。聖属性との相互干渉が未知数だ。最悪の場合、暴走のリスクがある」
「だからこそ、我々が管理すべきだと言っている」
「いや、私たちが……」
言葉の応酬は次第に鋭さを増していく。
だが聖術師たち――正確には「家」の中心にあるのは、ただ一つ。
――エルマを誰が管理するのか。
それは名誉であり、権力であり、そして利権でもある。
もちろん、家に取り込んだ後はそれぞれの派閥に組み込むための争いが始まるのだが、それはそれとして別の「家」に渡したくはない。
話し合いは決まらず、議論が堂々巡りする。
誰かが妥協案を提示すれば、誰かが拒み、誰かの意見が通りそうになれば他の全員が連帯して潰しにかかる。
(来るんじゃなかった……)
その議論を聞きながら、将来の繋ぎにと出席していたアンジュリーゼは眠気と必死に戦いながら思うのであった。




