第六話
約五年前。
その時、バルメッドが遭遇した《大禍》の外見は、人間を餌にするほど巨大であるという点を除けば、ヤツメウナギに似ていた。
その日の旅の前日、地元の名物だからと食べたため、外見を覚えていたのかもしれない。吸盤状の口、ギザギザとした歯、エラの部分が目玉に見える奇妙な外見、店主のオークが出してくれた苦みのある味はかなり好みだったのも思い出せる。
内戦状態で治安維持が悪化した国だったので、《大禍》が現れた理由はわからない。
確かだったのは、この場に聖術師はおらず、逃げ場もないということだけだった。
【ぎゃは、ぎゃあはははは、あああはぐあうはっじゃあああ、っはははは、ぐひっやひゃあははあはははさだぐはあああ!!】
「くそぉ!! 死ねえっ!!!!」
荒れ狂う《大禍》に向かい、護衛の一人が恐怖に顔を歪ませて、散弾銃を放った。
大きな銃口から放たれた数十発の鉛玉は《大禍》にめり込む。
「や、やった!?」
無論、ただの鉛玉が《大禍》にダメージを与えることなどできない。
散弾銃を撃ち込んだオークが《大禍》に丸呑みにされて、内側の鋭い牙の回転で切り刻まれる。護衛たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ、《大禍》が次の獲物に選んだのは腰が抜けたバルメッドだった。
「破壊の意思を此処に、我が求めるは殲滅、我が願うは暴虐、灰燼と化せぇえええええ、ルヴァール・マーヴェゼ・フォルデマウトトオオオォオオ!!!!」
【ぐひゃははは、はひゃああはあぁ、ひひあはははは、いいいいさぁぐざあああはぐあうはじゃあばぎゅうぁ、っはぁはは、ひひぎぃいいゃあははあはははさだぐ!!!!!】
ゴブリンの死を阻んだのは、陰鬱な怨念にも似た攻撃詠唱だった。
四方から《大禍》に襲い掛かる炎の渦。
何日も戦い続けた様子の乾いた血に染まった服装、ナイフで適当に切ったような金髪、薄灰色の瞳には昏い色を湛えて、《大禍》を睨みつけている。
「な、な、な、なんだぁ?」
「邪魔だ、消えろ」
心臓が止まるかと思うほど、恐ろしい声音だと、バルメッドは《大禍》よりも、助けてくれたはずの女を見る。
【ひゃぐははは、はあああひゃああはあぁ、うひひ、いいいぎゃぁああああはぐぐぐぐぉおおおおはははははっ、っひひひぃ、ひひぎぃいぎゅぅうううああああ!!!!!】
「わ、わ、わかんねぇのか! そいつは《大禍》だ! 聖術師じゃなきゃ……」
「うるさいぃ! だまれぇええええ!」
そう叫ぶと、女――オリヴィエ・エヴァンは《大禍》と死闘を繰り広げる。
何十もの精霊術による飽和攻撃。
しかし《大禍》にかすり傷一つも与えることはできない。
バルメッドは逃げようとしたのだが、動けなかった。単純に《大禍》の興味を引き付けるかもしれないというゴブリン特有の臆病さ、もしかしたら《大禍》を滅ぼせるのではないかという期待、そして意外ではあったが言葉とは裏腹にオリヴィエは自分を守るように立ち回っていたためだ。
最初は、ゴブリンたちの祖先が崇めていた戦神やその戦士団であるベルセルクのような印象であったが、今は戦乙女ヴァルキリーのような安心感と崇拝の念さえ覚えている。
結局、半日ほど経過したところで、逃げた傭兵たちが聖術師たちを連れてきて《大禍》を滅ぼした。
《大禍》の等級は厄災。
下から二番目の弱小《大禍》だった。
「……」
《大禍》が滅びたのを見て、オリヴィエは何も言わずに立ち去ろうとした。
それを引き留めたのは、バルメッドだった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! なあ、アンタの術式は全部オリジナルやろ? 手を組む、いや貸してくれんか? 俺の名はバルメッド。ベルムリンデル商会を立ち上げたばかりのしがないゴブリンやけど、気軽にバルメ君って呼んでくれてええんよ。それよりアンタの術式や、全部攻撃系統やけど、軍用以外にもいくらでも需要あるんよ、なあ急がんと話だけでも聞いてな」
「……」
訝しげに見下ろすオリヴィエに、バルメッドは食らいつく。
「求めているものは金? じゃあ、なさそうだな、力――《大禍》を倒せるほどの力か? それも聖術以外で欲しいって感じや。それができる方法なんかがそもそもあるのか、俺にはわからんが、手伝えると思う。この国以外にもいくつか伝手があるんだ。なあ、アンタも見たところ、外国人やな? 高位の術式に必要な媒体なんかはどうだ? 特急で用意する――ぐげぇ」
勢いよく喉を掴まれ、そのままバルメッドは首を締めあげられるように持ち上げられる。術式で強化された力であることは一目瞭然であった。苦しさよりも、バルメッドはどうすれば売れる商品になるかを考えてしまうが、薄灰色の昏い瞳と目が合うと流石に命の危機を感じた。
「いいだろう、だが嘘だったらその舌を引きちぎってやる、覚えておけ。それと、アンタと言うな。名前はオリヴィエだ」
そう釘を刺すオリヴィエの台詞に、バルメッドは愛想笑いを浮かべながら何度も首を縦に振ったのだ。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
そして、時間は今に戻る。
応接室で思い出話に花を咲かせながら、オリヴィエは厭世的な態度で天を仰ぐ。
「バルメ君。わたくし、そんな感じでしたかしら? もっとこう『正義に燃えている』感じじゃありませんでした?」
「オリヴィエさん、あれは抜き身の刃って奴ですよ」
五年という時間は人間にとっても、ゴブリンにとっても短いものではない。
今や彼の商会は大陸屈指の大企業にまで成長し、歪んだ思春期を終えた女の心もダラッと丸くなっている。
とはいえ、変わらぬこともある。
変われないというべきか?
「それじゃあ、いつも通りに超特急でこの住所に送ればいいんですね?」
「ええ、お願いしますわ~」
オリヴィエは気だるげに「お茶ごちそう様」と言って立ち上がり、応接室から出ていった。
バルメッドはその背を見送り、取引先に連絡を取るのだった。




