第五話
「あらゆる術式は、術者の内的エネルギーと世界の外的エネルギーを混ぜることにより発現する。精霊術が最も簡単と言われるのは、この二つのエネルギーが豊富だからだ。基礎的な精霊術を扱うことは誰にでもできる。だが、精霊術師と呼ばれるほどの術式を扱えるものは限られている。理由はわかるかね? えー、そうだな。エルマ君」
教壇に立つ老教師が、教本を片手に教室を見回す。
名を呼ばれた瞬間、びくりと肩を震わせたのは、教室の隅で小さくなっていた魔族の少女だった。
小さな二本角に、紫色の巻き毛混じりのショートカット。
赤と白を基調とした学園制服に身を包んだ彼女――エルマは、おずおずと立ち上がる。
魔族の少女はどもりながらも正確に答える。
「は、はい、高位の術式になるほど、術者と世界のエネルギーを交わらせる術式パターンが複雑になり、汎用性が低くなるからです」
か細い声だったが、教室の中はしんと静まり返っていた。
エルマはこういう時だけ、不思議と噛まない。
普段は間が悪く、空気も読まず、余計なことを口走ってしまうくせに、勉学に関しては妙に強い。
「その通り、精霊術師に限らないが、術者を目指すなら術式パターンの習得が必須だ。特に精霊術の場合は、内的エネルギーを引き出す数学的なセンスと外的エネルギーである精霊を呼び込む感受性が必要になる。君らの来年の進路として、錬金術師を目指す場合は前者の方を優先的に、召喚術師を目指すならば後者の感覚を磨く授業選択をすることになる。術者を目指す者は来年を見据えて、自分がどちらに向いているか、今のうちから考えておいてほしい」
教師は満足そうに頷き、黒板に複雑な術式記号を書き連ねていく。
白い粉が舞い、石造りの教室に、かりかりとチョークの音が響く。
簡易な術式であれば、多少の練習で誰でも習得できる。だがそれを仕事とするほどのレベルに引き上げるには、適性と努力が不可欠である。
「先生、質問です。一番稼げるのはどの術者ですか?」
教室の後方から、元気の良すぎる男子生徒が勢いよく手を上げた。
あまりにも俗っぽい質問に、何人かが吹き出す。
快活な男子生徒の現金な質問に、教室内がざわめく。教師は苦笑しながら答えた。
「一概にどの術師が高級取りとは言えないな。先ほども言ったが、高位の術者になるほど、その術式パターンはオリジナリティが強くなっていく。我々の社会に浸透している便利な術式の多くは、それらの高位術式を誰にでも使えるように簡略化、言い方は悪いが劣化品だ。たとえば農地を豊かにする大地の汎用精霊術式ノーム・ファミリアは、エルドームに住むドワーフの大精霊術師ノノのオリジナル術式を元に開発されたものだが、彼女自身が使うオリジナル術式はいくつもの国を覆うほどの範囲と今までの収穫量を何十倍にもするほどのものだった。彼女のお陰で飢饉を免れた国は少なくない。だが、彼女の術式パターンを再現することは、未だに誰もできていない。一攫千金を夢見るなら、解析に挑戦してみるのも良いかもしれないな。おそらく使いきれない大金と一緒に、大量の仕事も請け負うことになるだろうが」
教師が肩を竦めると、教室にどっと笑いが起こった。
夢のある話と、夢のない現実。
その両方を突きつけられた生徒たちは、それぞれに未来を思い描く。
安易な答えを求める生徒にくぎを刺すように告げると、生徒の方も働き詰めは嫌だなッと舌を出して、周囲の笑いを取る。
「それと定期診断が近い、君たちの年代では内的エネルギーの変化が起こるケースが稀にある。もしも聖のエネルギーが発現していることが確認されたら、各聖家から熱烈なオファーが来るだろう。毎年、何人かが聖術師の見習いとして、卒業を待たずに旅立っていく。むろん、聖術師候補になるかならないかの選択肢は君たちにあるが《大禍》から世界を守る英雄になれるチャンスは誰にでも与えられるものじゃない。それに付随する多くの特権と報奨金ももちろん魅力的ではあるがね」
その言葉に、教室の空気が少しだけ変わった。
ざわめきの質が変わる。
憧れ。
打算。
嫉妬。
期待。
聖術師という言葉には、それだけの力がある。
エルマはそっと胸元を押さえる。
自分には関係のない話――そう思いたいのに、なぜか胸がざわついた。
教師はそう雑談を締めくくり、具体的なエネルギー変換の基礎術式パターンを板書し、通常授業に戻っていく。
黒板に並ぶ数式と術式記号。
規則的な講義の声。
窓から差し込む柔らかな陽光。
エルマをイジメている女子グループの生徒たちは、オリヴィエに銃を向けられた日から体調不良を理由に休んでいる。ゆえにエルマは久しぶりに平穏な時間を感じながら、黙々と勉学に励むのだった。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
以前、オリヴィエが荷物運びの仕事をしていた混沌とした商業地区とは対照的な新市街。整然と並んだ建物に、規則正しく調整された道路、《クランハフェンの惨禍》により破壊された街並みは見事に修復され、以前にも増して経済的効率性と安全性を重視した場所として蘇った。
空港も建設中であり、もう数か月もすれば以前以上の貿易都市として復興する――と、都市議会の面々は喧伝している。
そんな整然とした街並み――その中でも多くの会社が集中し、企業人たちが歩くような区画では、オリヴィエの姿は浮いている。
過剰なレベルの防御・強化の術式が施された戦闘用法衣をまといながらも、軍人というにはあまりに気だるげな歩み。揺れる黄金の巻き髪、眠りそうな薄灰色の瞳、企業人たちの無機質な色彩の中で、その姿だけが場違いなほど異質だった。
取引、商談、情報交換など、経済戦争を行っている面々から視線が突き刺さる。
だがそんな視線を浴びながらも、気にした様子はなく、オリヴィエはひときわ立派な会社――ベルムリンデル商会に入っていく。
「バルメ君に取り次いでもらえます?」
磨き上げられた受付台の向こうで、若い受付嬢がぴしりと背筋を伸ばした。
だが、目の前の相手の格好と口ぶりに、わずかに困惑が滲む。
「バルメ? ええっと、部署などは……」
おそるおそる尋ねる声。
「バルメッド・ベルムリンデル、この商会の社長です。急ぎで取り寄せてほしいものがありますの」
さらりと返された言葉に、受付の肩が跳ねる。
社長を愛称で呼ぶ人間など、この商会ではほとんどいない。
「お、恐れ入りますが、お約束はいただいておりますか?」
マニュアル通りの笑顔を浮かべながらも、声はわずかに引きつっていた。
「いいえ、オリヴィエ・エヴァンが来たと伝えてください。それで……」
受付が術式で社長に連絡を取るよりも先に、階段から勢いよく三段飛ばしで降りてくるゴブリンが一人。
「社長!?」
受付の悲鳴に近い声が響く。
「バルメ君、お久しぶりですわね~」
オリヴィエは、まるでこうなることを予想していたかのように、気だるげに片手を振った。
肩で息をしながら、ゴブリン――バルメッド・ベルムリンデルはオリヴィエに問う。
「よくここに来たとわかりましたわね?」
息を整える暇も惜しい様子である。
「オリヴィエさんが《大禍》で雷神霊の媒体を使ったんじゃないかって連絡を受けてましてな。もしかしてと思って、会社の周囲を見張らせていたら来たのを見つけたんですわ」
バルメッドはゴブリンらしく愛想笑いを浮かべる。
人の半分ほどの背丈しかない彼らゴブリンは、おおよそ五百年ほど前に知性化したと言われている。それまでは獣と変わらぬ外敵という扱いだったが、知恵と感情を手に入れた彼らは、過去の自分たちと決別して、文明社会の仲間入りをするため、手先の器用さと状況判断能力の高さ、そして愛想を手札に、必死に交流を取り続け――反対する原始的な同族との血生臭い決別を得て、ついには文明社会の一員となった。
彼らが知恵と感情を手に入れた経緯には謎が多く、今でも議論の対象となっているのだが、何億という時間を生きる竜族は、エルフやドワーフ、人間も突然、知恵と感情を手に入れたと、身もふたもないことを言っており、それが更なる謎となっている。
「いや詳しい話は奥で、せっかくですから、うちの新商品も見ていってくださいよ。ちょいと意見を頂けるだけでも……、どうですか? オリヴィエさんのお陰で以前よりは商会も大きくなりましたし、どんな役職でも好きなところに……」
揉み手をしながら、商人特有の素早さで売り込みを始める。
「バルメ君も相変わらず元気そうで何よりですわね。まあ、ここ最近は消耗が激しいですから、少しくらいのアドバイスならしますわ」
その言葉に、バルメッドの大きな目がさらに見開かれた。
「いや、本当ですか? あ、君、うちの技術者全員集めて、大至急!」
受付に向かって叫ぶ声は、さきほどまでの愛想笑いとは別人のようだった。
バルメッドは受付に指示を出すと、オリヴィエをエスコートする。
まるで王侯貴族でも迎えるかのような丁重さだった。
受付は急ぎ、社長の指示を遂行すると、久しぶりにどっと疲れを感じて肩を落とす。
額にはうっすら汗まで浮かんでいた。
「よぉ、大物が来たみたいだな」
背後から、書類の束を抱えた先輩社員が声をかける。
「先輩――、誰なんですか? あのオリヴィエという人、私には何が何だか……」
受付嬢は混乱を隠せず、半泣きで振り返った。
「うちの商会がここまで大きくなったのは五年前なんだが、その時に開発・販売した大ヒット精霊術式商品、ほとんど全部、あのオリヴィエさんの手柄なんだよ」
先輩社員は、どこか誇らしげに言う。
「え!? 嘘、じゃあなんで外部に?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
「社長と何らかの契約をしたらしいんだけど、詳しいことはわからない。だけど、あの人が社長と話した後、うちが出す新商品の多くは大ヒットする。半分はもちろん社長の発案なんだけど、それを改善して費用対効果を常識外れに上げるのが、あの人だよ。技術者として喉から手が出るほど欲しい人材だから、うちだけじゃなくてどこも破格の条件で引き抜こうとしたって話も聞いているよ」
受付嬢はぽかんと口を開ける。
「うらやましいなぁ、そんな才能あったら私も受付じゃなくて、技術職を目指せたのに」
肩を落としながら漏らす本音。
「はは、受付も大事な仕事だよ。今日もうちの商会の重要人物を一人知っただろ?」
先輩は軽く笑って、ぽんと彼女の肩を叩いた。




