第四話
封じられていたのが館の広場ではなく、神殿の祭壇という違いこそあったが、この国で受けた最初の仕事、トルメの《大禍》の時と同じ状況であった。
空中に浮かぶ立方体。
青白く光り輝く封印文字が、ゆっくりと赤黒い輝きに変化していく。
内側から張り裂けそうなほどに膨らんだ瘴気。
禍々しい怨念を感じさせる力が、今にも封印を破り溢れ出しそうになっている。
緊張した面持ちで結界の維持を務める祭司たち。
同じく補助役の若い聖術師やいざという時に避難と殿を務める軍人など、誰もが緊張した様子で事態の推移を見守っていた。
そこへ――、
「お待たせしましたわ」
「……状況は?」
神殿の大扉が開き、二つの影が現れる。
黄金色の髪を気だるげに弄る精霊術師オリヴィエ・エヴァン。
白銀色の髪をなびかせた聖術師アンジュリーゼ・シィル・アルクベルン。
その姿を見た瞬間、場の空気がわずかに揺らぐ。
安堵。
畏怖。
そして期待。
特に《クランハフェンの惨禍》における彼女たちの活躍を知る者たちからの視線は強く熱い。その期待をアンジュリーゼは当然のものとして、オリヴィエはいささか面倒に感じながらも、《大禍》を前にした時の心構えは変わらない。
――世界に仇なす《大禍》はことごとく滅ぼすべし。
祭祀たちは彼女たちの準備が整うのを見ると、《大禍》を封じる結界を弱め、逆に自分たちを守る防壁の力を強める。様々な術式の複合結界は、万が一にも聖術師たちが死んだとしても、《大禍》が外に出るのを防ぐ最後の壁としての役割を果たす。そして同時に《大禍》と対峙する聖術師と補助役は外に出られないことを意味する。
「《大禍》、災厄等級の封印規定値限界まであと数分です!」
「内部の瘴気濃度、急上昇中!」
「《眷属》発生の兆候あり!」
矢継ぎ早の報告に、アンジュリーゼは即座に指示を出す。
「維持班はそのまま結界を保持! 補助班、解除後に聖術陣を展開できるよう準備!」
「はっ!」
一方、オリヴィエは祭壇の前へ歩み寄り、禍々しい封印陣を見上げる。
封印を緩めたことにより、封印の文字が、ものすごい速度で赤黒い輝きに変化していく。内側からあふれ出す瘴気に、空中に浮かぶ立方体は膨らみきる前の風船のような歪な球体に変わり始めている。
このまま膨らめば、もうすぐにでも爆発するだろう。
黄金の巻き髪が、溢れ出した瘴気に煽られて揺れる。
「……ふぅん。随分と育っていますわね」
どこか楽しげですらある声音。
アンジュリーゼが睨む。
「遊ばないで」
「ええもちろん、わかっていますわ」
オリヴィエは指先で空中に精霊紋を描き、アンジュリーゼは聖杖を掲げる。
「封印解除、同期します」
「三、二、一――今!」
瞬間。
立方体が完全な球体に変化して、爆発した。
どろり、と黒い泥のような瘴気が溢れ、空間そのものが裂ける。
最初に現れたのは――《眷属》。
何十匹。
いや、一瞬で数え切れぬほど。
皮膚の剥がれた巨大な鼠。
一抱えほどの胴体。
そこから生えた蜘蛛のような節足が石床を掻き、異様な速度で四方へ這い出す。
「ひっ……!」
「で、出た!」
若い聖術師たちが悲鳴を上げる。
だが、その瞬間。
「――遅いですわ」
オリヴィエの薄灰色の瞳が鋭く光った。
高等精霊術無音詠唱用符を放ち、展開される幾何学模様の精霊術式円。
床、壁、天井。
三重。
四重。
幾層もの術式が空間を埋め尽くす。
炎、水、石、風の純粋なエネルギーの塊が弾丸となって雨霰のように放たれる。
ずだだだだだだだだだっ!!
鼠たちの群れが、現れた瞬間から肉片へ変わる。
蜘蛛脚が宙を舞い、紫黒い体液が飛び散り、絶叫すら許されず切り刻まれていく。
さらに災厄等級用の術式宝石も遠慮なく投入する。
ハーヴェスティを取り逃がしてから、落ち込みながらもコツコツ術式を組み立てて完成させた大火力の一品。今のオリヴィエが発現させることが可能な最大火力の一撃。
「――焔帝よ、炎王よ、火神よ、数多の世界を滅ぼす終焉の剣をもって、我が敵に終わりを、スルトーム・ムスペイズ・レディグニシア!」
ぱちり、と指を鳴らす。
轟、と炎が巻き上がり、未だ瘴気の溢れる封印の内側にある空間が灼熱で満たされる。封印されてから、おそらく溜めに溜め込まれた瘴気の山がわずか数秒で灰燼と化す。
「…………」
神殿中が静まり返る。
補助役の若い聖術師たちは口を開けたまま固まっていた。
軍人たちすら呆然としている。
アンジュリーゼが不本意そうに鼻を鳴らす。
「……相変わらず、派手ね」
だが、その声音には僅かな満足が混じっていた。
実力通りの仕事。
それだけは認めざるを得ない。
そして同時に、小さな世界を焼き尽くすほどの火力をもってしても――《大禍》には火傷一つ負わせられない。
「これも――ダメみたいですわね」
今更悔しさなどはないが、それでも理屈に合わない《大禍》の理不尽さに、オリヴィエは苦笑する。
精霊術師の努力を嘲笑うかのように、祭壇の奥。
瘴気が渦を巻き――核が現れる。
【飢え、飢え、上、植え、植え、上、天上の調べに導かれて、我らは上を目指す、我らは飢えを目指す、我らは植え広がる。る。る。るらあああぁああああ、我らは、我らは救い、我らは巣食い、我らは空くいいいぃいいぃあいあぁああ、飢えなき世界、上なき世界、植えない世界を目指して、ええ、らあぁあああああ~~~♪】
《大禍》独特の声とも音ともつかぬ禍々しい響きを発して、妊婦の姿をした異形の巨人が姿を見せる。
姿形は人型の女性だが、既存のどの種族とも違う。
その腹は異様に膨れ上がり、肩から、腕から、腹から、数多の鼠の首が生え、ぎちぎちと歯を鳴らしていた。
「うげぇえええ、げぇえええ」
「……っ!」
「なんだ、あれ……」
《大禍》を初めて見る者は思わず胃の中のものを吐き出し、鉄火場に慣れた者たちも思わず呻き、嫌悪し、恐怖する。
《大禍》の核。
この世界における最大最悪最凶の現象は、見ただけで心を病ませる。
「希望よあれ、天を突く号砲、輝ける勝利の咆哮、魔を尽く貫き滅せよ!」
多頭の怪物が現れた瞬間。
アンジュリーゼは両手を天に掲げ必殺の「聖砲」で、怪物の中心部をぶち抜く。だが、膨らんだ腹に大きな穴を開けながらも《大禍》は消滅しない。
「チッ、手応えがない! オリヴィエ!!」
「わかりましたわ」
時間を稼ぐため、再び前に出る精霊術師に対して、体に穴の開いた《大禍》はなんと逃げるように身を翻し――、祭司たちの張る結界へ向かって駆け出した。
【飢えは嫌だ、植えなきゃ、上はどこ? ああ、るるる、るららら~~~♪ 我らの儚き天使たち、ああ、ああああ~~~、愛している~、愛しているるるるらららら!!!】
「まずい!」
「維持班、強化!」
「押さえてぇぇぇっ!」
祭司たちが叫びながら結界へ魔力を注ぎ込む。
若い聖術師たちも震える手で術式を重ねる。
死を覚悟した顔。
だが、
「――天雷の主神、全能なる雷鳴、すべての天を束ねる座にいる方、今ひと時、その現身をここに、秩序の主、世界の守護神、あまねく民を支配する神霊たちの王よ」
オリヴィエが片手を上げた。
天井を裂く轟音。
雷鳴。
空間が割れ、巨大な影が降臨する。
白い肌の大男。
筋骨隆々の肉体。
額に樫の葉の冠。
右手に雷光。
左手に王笏。
「ユピテル=ゼウス。人の子が乞い願い、その名、その形を此処に形作らん。――ゼア・デスクス・マキア・ディアマキア!」
「なっ!?」
「大精霊――、いや神霊たる世界の守護神を召喚!!?」
誰かが叫ぶ。
呼び出された雷の王ユピテル=ゼウスは、結界と《大禍》の間に立ちふさがる。
右手を掲げ――、
轟ッ!!
雷光が奔った。
再び生まれ始めた無数に群がる《眷属》が、一瞬で蒸発する。
皮膚も骨も、瘴気すら焼き払われる。
そして、左手の王笏が唸りを上げる。
――ゴッ!!
《大禍》の巨体に空いた穴に、王笏が突き刺さった。
怪物は呻きながら、引き抜こうと手足をばたつかせ、無数の頭が鳴き、哭き、泣いた。
再び、アンジュリーゼの聖術が解き放たれる。
「光輝よあれ、人に恵みを、邪に破滅を、世界を染まれ!」
先ほどの一直線に貫く『聖砲』ではなく、全体を浄化する『聖陽』が、アンジュリーゼを中心にその光を強めゆっくりと広がっていく。やがて結界内部のすべてが白い光に満たされて、外からは真っ白にしか見えなくなる。
【るるぅ、ぅううるらあぁあああ~~~~~~~♪ 救いは無い、救いは無い、救いは無い。されど、我らは求める。無いからこそ、ああ、あああ、ここに救いがあると願う!】
「ちっ、とっとと消えなさい」
アンジュリーゼは自身の聖力を高め、神殿を満たすほどの、神々しい輝きを強める。
太陽を直視するかのような感覚に、外の術師たちは目を伏せるが、結界の維持は続ける。そして、数分が過ぎた頃には、耳障りな《大禍》の音は消え、後には得意満面のアンジュリーゼと気だるげに髪を弄るオリヴィエの姿だけが残っていた。
わずかな沈黙の後、誰かが生き残った喜びの雄叫びを上げ、それが勝利の大合唱となる。
「どう? わたしの『聖陽』は? 貴女が使えなかった基礎聖術『聖光』の最上位」
「『聖砲』だけの一発屋ではなかったようで、安心しましたわ」
「んなぁ!? 以前戦った時、『聖球』も見せたでしょ!」
気だるげなオリヴィエに、アンジュリーゼは突っかかるが、精霊術師は軽く受け流して、背を向ける。
「補助役は終わりましたから、こちらの支払いを数日以内によろしく」
素早くペンを走らせて、必要経費を渡す。
「高等精霊術無音詠唱用符、炎大精霊三重解放術式用の宝石、雷神霊召喚の媒体、聖陽で損耗した法衣の耐久度――」
「端数はおまけしておきますわ」
ずらっと並んだゼロの数。
都会で数十年間は暮らせるほどの金額ではあるが、アンジュリーゼはこんなものかと懐にしまう。
このあたりの金銭感覚は、オリヴィエが以前助けた新米聖術師たちとは違う。
むしろ、一地方を壊滅させる災厄等級の《大禍》を、ほとんど犠牲なしで収めたと考えれば破格の安さともいえた。
オリヴィエが捕まらなかったら、結界を維持している者たちの半分ほどを《大禍》の足止めに使い、おそらくほとんどが死んだだろうと考えれば、なおのことである。
アンジュリーゼが聖術師として現場に立ち続けて、聖術が使えない者たちを、聖術師である自分を守る盾にした経験は一度や二度ではない。最初の頃は自責の念で心が締め付けられたが、やがてそういうものだと慣れてきたところで、オリヴィエが戻ってきた。
本家の娘として生まれながらも、聖術が使えない落ちこぼれ。
散々に蔑まれ、ついには追い出されてもなお、オリヴィエはこの世界にしがみつき、そして自分では成しえないこと――犠牲を出さずに《大禍》を鎮める奇跡を何度も成し遂げている。
それがどれだけ偉大なことか、アンジュリーゼは口が裂けても言わない。だが、昔から感じていたオリヴィエに対する奇妙な劣等感の正体がわかりかけてきた。
それと同時に、苛立ちの正体も。
自分には聖術しかない、それだけがアンジュリーゼのすべてを支えていると言ってもいい。だからこそ、それを脅かし続けているオリヴィエが目障りで、眩しいのだ。
(これは、不安のはけ口を求めている連中を笑えないわね……)
聖術師である自分の汚い部分に嫌気を感じるが、同時にそれを誇りにもしている。
矛盾だらけであるとはわかっているのだが、アンジュリーゼは今更生き方は変えられないと諦めてもいる。
「どうかしましたの? なんなら、分割払いにします?」
「別に請求額に驚いていたわけじゃないわ。三日後に、一括で支払うわ」
そう言って会話を打ち切ろうとしたところで、オリヴィエが会話を続ける。
「それじゃあ、またお仕事があったら呼んでください。貴女レベルの聖術師が一緒にいてくれると心強いですからね~」
「チッ」
舌打ちをして、アンジュリーゼは顔を赤くしながら背を向ける。
オリヴィエは扱いの難しい聖術師の背を見ながら肩をすくめると、色々と喝さいを浴びせてくる祭祀や若い聖術師たちを抜けて、神殿を立ち去る。
その背をじっと見続けている視線に気が付きながらも無視して……。




