第三話
「先日、ゼレヴァン通りの第三商店街の路地で、銃で学生を脅す暴漢が現れたわ」
「物騒ですわね~」
他人事のような返事に、問いかける側はイラっとしたように眉を寄せる。
血のように赤い瞳で相手を睨みつけながら、遠回りの追究をやめてトドメを刺す。
「逃亡した際に使用した風の精霊紋が、貴女と完全に一致したようだけど? なにか、言い訳はあるかしら? オリヴィエ・エヴァン?」
「つい、イラっとして……」
あっさりと自白した脅迫犯に、相手――アンジュリーゼ・シィル・アルクベルンは頭痛がしたかのように頭に手を添える。
聖術師の大家ヘルムタールの第二階梯聖術師にして、オリヴィエとは幼馴染、商売敵、監視役等、何かと縁のある相手である。
オリヴィエの拠点とする郊外の館に、アンジュリーゼが訪ねてきたのは、早朝。
急な来客に対して、オリヴィエは朝食を作りながら応対していた。
「ところで、コカトリス目玉焼きはいかがです? グリンブルスティのソーセージも一緒に」
半鶏半蛇コカトリスと黄金色の毛皮を持つ猪グリンブルスティ。
遥か過去の時代においては、世に害をもたらす怪物であったが、今の時代では品種改良された畜産物である。
「……紅茶も出していただける?」
「ロットウィル帝国産の<妖精の舞踏>か、エルドーム産の<スレイプニルの嘶き>しかありませんけど?」
「それなら<妖精の舞踏>で……。砂糖はいりません」
急な来客ではあるが、オリヴィエは気にせずに歓待し、アンジュリーゼも初めての来訪であるにもかかわらず遠慮しない。どちらもあまり礼儀を気にしないという点では、奇妙にバランスはとれていた。端から見れば、今にも崩れそうな積み木を組み上げる遊びにも似ているかもしれないが。
オリヴィエは朝食を作る傍ら、紅茶のセットを取り出す。
「それで警察ではなく、何故聖術師の貴女がここに?」
「人が少ないとはいえ、往来の場で銃を抜いた件は気にしなくていいわ。誰も怪我はなかったみたいだし」
アンジュリーゼはそう言って、紅茶の湯気越しにオリヴィエを睨んだ。
「問題は――貴女がこれ以上、余計な騒ぎを起こして、ヘルムタールの名に泥を塗らないかどうかよ!」
フライパンの上で油が跳ねる。
オリヴィエは焼き上がったソーセージを皿に移しながら、肩をすくめた。
「わたくし、とっくの昔に追放された身ですけれど?」
「世間はそう見ないわ」
即答だった。
「貴女が何をしようが、“元ヘルムタール”という肩書きはついて回る。……特に、あの《クランハフェンの惨禍》で貴女が派手に動いた後ではなおさらね」
「ふぅん……」
オリヴィエは目玉焼きを皿へ滑らせる。
「つまり、警察ではなく聖術師の家が直々に口止めですの? そのためには法も捻じ曲げるとは、随分と癒着したものですわね」
ぴくり、とアンジュリーゼのこめかみが跳ねた。
「誰の所為だと思っているのかしら?」
低い怒りの声。
「この都市の軍や警察にも、貴女の顔は少なからず広まっています。中には命の恩人だと感謝する者たちも……。前回の事件で聖術師の株も大きく上がったところで、馬鹿みたいな不祥事を起こしてみなさい。新聞各社の記事を潰して回ることを考えただけでも眩暈がしてきます」
「そういうのは長老会の仕事では?」
「ええ、その長老会の多くが殉職したから、現役世代の私たちまで、そういう処理に追われているのよ!」
ばん、とテーブルを叩きそうになるのを堪え、アンジュリーゼはカップを持ち上げる。
一口飲んで、眉をひそめた。
「……美味しいわね」
「当然ですわ」
そこでようやく、少しだけ空気が和らぐ。
「で?」
アンジュリーゼは本題へ戻した。
「何故、銃を抜いたの?」
オリヴィエはソーセージを一口齧ってから、厭世的な態度で答える。
「魔族の女学生が、暴行されかけていましたの」
「魔族……」
「ええ。癖のある短い巻き髪の子、どもり気味で、国立学校の制服を着ていましたわ。ならず者たちをけしかけていたのは同じ学校の女の子たちだと思うけど、顔見知りみたいだったし」
よく知らない相手を助けるために銃を抜いたのかと咎めそうになったが、それよりも学生という単語に、アンジュリーゼの赤い瞳が細まる。
「……ああ。最近の噂絡みね」
「『魔術師の暗躍には魔族が関わっていた』――でしたかしら?」
「馬鹿馬鹿しい話よ」
弱者の愚行と無見識に苛立ちが向き、吐き捨てるように言った。
「魔術師が暗躍していたのは事実。でも魔族が関わった証拠なんて一つもない。なのに、余裕が出てきたせいで、陰謀論に縋りたがる」
「そうなんですの? みんな協力していた気がしますけど」
復興支援現場で作業していたオリヴィエに対して、アンジュリーゼは肯定と否定を同時にする。
「そうね、特に《クランハフェンの惨禍》の直後は、生きるだけで必死でしたから、一人でいるより協力した方が効率がいいですし、各都市、各国からの支援もありましたからね。だけど、今は日常が戻り始めてきた。良くも悪くも、今までの日々が戻り始めましたけど、無くしたものも大きい。実際に失っていない者でも――、その不安と不満の種を消したくて、ありもしない話に縋りつく」
最後の方は諦めが混じっていた。
《大禍》に対抗できるのは聖術師だけであり、それゆえ《大禍》に怒りをぶつけることはあっても、実際に攻撃することはできない。しかし攻撃しなければ心のバランスを保つことができない輩というものは一定数存在する。
人もゴブリンもエルフもオークも、知恵ある生き物すべてに課された業であるかのように、弱者をイジメて不安を取り除きたいのだ。
アンジュリーゼ自身にも心当たりがあり、だからこそ自分の醜さを見せられたような気分の悪さを覚えるのだ。
「生贄を求めている、と」
「一言でまとめるとそうなるわね。別に調べたわけではありませんけど、耳に入ってくる話から、若い子たち――学生に、その傾向が強いみたいね」
警察はもちろん、聖術師の大家には治安維持の関係者が多く出入りしている。実際に《大禍》と関係ない事情に関しても色々と聞いているのだろう。
しかし、オリヴィエは疑問を持って首を傾げる。
「学生って、そんなものですの?」
「……さあ」
アンジュリーゼも首を傾げる。
「私たち、学校なんて通ったことないもの」
オリヴィエもアンジュリーゼも、物心ついた頃から聖術師として生きるための訓練と実戦漬けだ。
良くも悪くも、それが彼女たちの青春であり、《大禍》という現実の脅威に対して挑むことを学び、鍛えてきた。ゆえに、不安をごまかすために、自分よりも弱い架空の敵を作って攻撃するという考え方に根本的なところで理解が不足している。
ついでに言うならば、やられっぱなしで泣き寝入りするという考え方に対する共感も不足している。たとえ力及ばず敗れたとしても、力をつけて反撃するというのが基本方針なのだ。
オリヴィエの場合、その心構えの間隙を突かれたわけなので、そのあたりの事情を今更ながら思い悩んで問いかける。
「学校って、勉学以外に何をしているんですの?」
「集団生活の基礎を学んでいるんじゃないかしら……。学校ごとに理念なり、校風なりがあった気もするけど……」
「ふわっとしていますわね」
「知らないものは知らないわ」
アンジュリーゼは肩をすくめた。
「でも……」
少し考えてから続ける。
「大人社会の縮図なんじゃない?」
「縮図?」
「派閥があって、噂があって、誰かを持ち上げて、誰かを叩く。……子供は良いところも悪いところも、大人の真似をするものよ」
「なるほど」
オリヴィエは妙に納得した顔で頷く。
「聖術師の家もそうですわね」
「……否定はしないわ」
アンジュリーゼは苦々しく紅茶を飲んだ。無能者とオリヴィエを蔑んだのは、大人の聖術師たちを真似た点がなくもない。
オリヴィエは少し笑って、フォークを回す。
「わたくしを真似する子がいないのは幸いですわね」
投げやりなようでいて、本気の声音。
アンジュリーゼは一瞬だけ言葉に詰まる。
――いるわよ。
若い聖術師の中には、オリヴィエの戦い方に憧れ、規律を嫌い、独断専行を格好いいと思っている者が。
少なくない。
だからこそ、家の中で問題になっている。
だが、それを言えば。
このオリヴィエはきっと面倒くさそうな顔をして「大変そうですわね」で終わらせるだろう。追放される前はごく潰しの無能者であったが、戻ってきた今は波紋を広げている厄介者であった。だが、アンジュリーゼは不思議とこの厄介者にいなくなってほしいとは思えない。
そこまで思考を進めて、自分もこの女に影響を受けているかと思い、努めて冷静に言葉を返す。
「……そうね」
結局、アンジュリーゼは紅茶と一緒に言葉を飲み込んだ。
「幸いなことに」
オリヴィエは何も気づかず――、というよりも気にしていないようで、焼きたてのソーセージを差し出す。
「しかし、大人の真似事……、なるほど、そうなると誰の真似をしているのか? 身近な大人は親ですが、大人たちでは隠している部分が、子供ではうまく隠せていないということかしら?」
猪肉のソーセージを噛みしめながら、オリヴィエはクランハフェンに暮らす人々の負の面を考える。一過性であれば問題はない。
《大禍》が与える破壊は、命を奪い、物を壊すのみならず、心にも大きな影を落とす。
しかし、それもまた時間が解決してくれる。
二人はそれ以上その話をせず、しばし穏やかな朝食の時間を共有した。
そして食事を終え、二杯目の紅茶を淹れるオリヴィエが問う。
「それで、ご多忙な聖術師様がわざわざ朝早く来たのは、小言を言うため?」
「もちろん違うわよ。本題は別にあるわ」
アンジュリーゼの赤い瞳が、オリヴィエの薄灰色の瞳とかち合う。
「封印が上手くいかない《大禍》があるの。警察の件をもみ消したのだから手伝いなさい」
「……わかりました。経費は請求しますけど。それでもう出発しますの?」
「気が乗らないのはわかるし、こっちが勝手にやったことだって言いたいのはわかるけど、今は人手が……は? やってくれるの?」
てっきり高額請求されると思っていただけに、アンジュリーゼは拍子抜けしたような顔でオリヴィエを見るが、相手は金の巻き毛を弄りながら館の地下に向かった。
おそらく《大禍》と戦うための装備一式を用意しているのだろう。
「どうしたっていうのよ、いったい……」
アンジュリーゼの声に応える者はいなかった。




