第二話
「何というか、人助けというよりも雑用ですわね」
果樹園から荷を指定された市場にまで持っていく。
いわゆる宅配業である。
普通なら指定された業者なり、国が運営する宅配サービスなりを利用するのだが、《クランハフェンの惨禍》により滞った物流、大手企業の多くは復旧しているのだが、中小企業の中には馴染みの運送屋が潰れてしまい、交渉が難航しているケースも少なくない。
つまり、依頼が出る程度には治安の悪い場所でもある。
《クランハフェンの惨禍》で破壊されて整然とした工事計画で再生した新市街・企業地区とは異なり、この市場は違法建築の見本市のような再生を果たしている。道路の幅も、建物同士の隣接具合も、秩序という言葉からは程遠い混沌である。とはいえ、こういう場所でしかない独特の賑わい――規格化されていない活気というものがあるのもまた事実。
すでに配達は終わり、受領書と運送用ゴーレムも戻した今、オリヴィエのやるべきことはすでにない。
このまま郊外の館にまで戻っても良いのだが、気晴らしに市場を冷やかすのも悪くはないと思い始めていた。スリに気を付ける必要こそあるが、意外な掘り出し物というのもこういう場所から出てくることもある。盗品や密輸品という可能性もあるが、それも込みで散策する。
そんな猥雑さを感じながら歩いていると、ふと雑踏の影に隠れた路地に目が引き寄せられる。
未成年グループに見えたそれは、一人の少女を集団で囲んでいるものだった。
路地裏は、表通りの喧騒が嘘のように薄暗かった。
積み上げられた木箱と錆びた鉄骨の隙間に、ひとりの少女が追い詰められている。
年の頃は十六、七ほど。
紫色の巻き毛を短く切り揃えたショートカット。色素の薄い白い肌は病的なほどで、華奢――と見せかけて、制服越しにもわかるほど発育の良い女性らしい身体つきが妙に目を引く。
そして何より、人目を引くのは額から生えた二本の小さな角と、虹色に揺れる瞳だった。
魔族。
遥か昔、人類と争い、オークやゴブリンを使役していた種族。
今では法の上では平等とはいえ、その血を嫌う者は少なくない。
まして《クランハフェンの惨禍》以降、『魔術師の暗躍には魔族が関わっていた』などという根も葉もない噂が流れている。
そして思考能力の低い輩は噂を簡単に事実として扱う。
「わ、わわ、わ、わた、わた、わたしは、その……だから、ち、違うって……」
少女――エルマ・クォーリアは、怯えきった顔で壁際にへたり込んでいた。
だが、怯えているわりに口が余計だった。
「そ、その理屈だと……お、おじさんたちも、魔術師の適性証明の有無を出せない、だだ、だから、犯人と同じ……に、なっちゃう……と、思う……」
怯えて何も言い返せないと思った相手からの反論に加えて、その内容が理解できず、さらには年齢を一回りほど大きく言われて、一瞬、空気が凍る。
「……あァ?」
低く唸ったのは、牙をむき出しにしたオークの男。
その隣には耳の尖った痩せぎすのハーフエルフ。
さらに下卑た笑みを浮かべる人間の男。
いずれも見るからに柄が悪い。
平和や理性という言葉とは無縁の印象を与える外見だった。無論、外見はすべてではないが、今の行動を見るかぎりにおいては外見と行動が一致していた。
一言で言うなら、ならず者たちである。品のないタイプの量産品で、時代が時代なら山賊をやっていたに違いない。
だが、一方で男たちの背後にいる女子グループはまた一味違う。
魔族の少女たちと同じ色合いの白と赤の制服は、共和国立学校のものである。国立学校の制服デザインはすべて同じで、分校の数も多いので、制服だけでどの学校であるか特定することは難しいが、無法者たちの背後から魔族の少女に浴びせる罵声を考えるに、同級生なのだろうと予想はつく。
「てめぇ、ほんっと空気読めねぇなァ……!」
「学校でも嫌われてんだろ、お前」
「今日は“お仕置き”だってよ」
学徒の証である制服を着崩した女子生徒たちはクスクスと笑う。
「エルマちゃんってさぁ、マジでムカつくんだよね」
「空気読めないし」
「その角、引っこ抜いてやろうか?」
化粧気の強い顔立ちと、他人を見下した目。
なんのことはない。単純に気に入らない奴を適当な大義名分で痛めつけたいだけのようであった。
「ひっ……!」
エルマが肩を震わせる。
――ああ、なるほど。
オリヴィエもすぐに事情を察した。
いじめの延長。
しかも、今のご時世に便乗した私刑ごっこ。
くだらない。
せっかく世界が綺麗に見えていたのに、顔面に汚物をぶつけられたような不快感。
オリヴィエはわざと大きな足音を鳴らしながら、近づき――、
「……それで?」
気だるげな声が路地に落ちる。
全員の視線が、一斉にオリヴィエへ向いた。
「寄ってたかって、女の子一人を囲んで楽しいんですの?」
「……なんだ、てめぇ」
人間の男が睨みつける。
オリヴィエは肩をすくめる。
「別に。市場の景観を損ねているので、失せろと言っているだけですわ」
「はァ!? 関係ねぇだろ!」
「ありますわよ。目障りですもの」
ぴく、と男のこめかみが引きつる。
「ぶっ殺――」
言い終わる前に。
ガチリ、と重い金属音。
オリヴィエの手には、いつの間にか鈍く銀色に光る大型拳銃が握られていた。
回転弾倉式。
だが通常より分厚いシリンダー。
無骨で、ごつい。
三連発仕様へ改造された特注品。
無造作に、しかし素早く額に向けられた銃口が、男たちをなぞる。
あまりに自然に、すばやく、オリヴィエがその気であったら、すでに彼らの命はない。
「……知っています?」
ぞくり、と空気が冷える。
「これ、対魔獣用大型弾仕様ですの」
オリヴィエは厭世的に微笑む。
「一発で戦闘用魔獣の頭蓋を砕きますわ。オーク程度なら胴体ごと千切れ飛ぶかもしれませんわね」
オークの男の顔色が変わる。
いや男たちだけではない、女たちも含めた暴行者たちは予想外のアクシデントに完全に主導権を失っていた。
女たちは小間使いに使っている男たちに、目障りな奴を教育させてやればそれでよかった。男たちの方は女たちの機嫌を取りつつ、ちょいと美味しい思いができればいい――それが相手の人生に癒えない傷を与えたとしても――その程度の軽い気持ちでいたが、今や完全に狩られる側に回っている。
「しかも」
カチ、と撃鉄が起きる。
「かすっただけでも、運が悪ければ死にますわよ? 鉛毒、破裂した骨、内臓損傷。苦しんで、苦しんで、数日。この射線なら六人いても二発で充分」
気だるげな態度が、いつ引き金を引いてもおかしくないという危機感を相手に与える。
「さて――」
銃口が、順番に三人へ。
「あなた方は――、わたくしに殺される価値があります?」
沈黙。
ごくり、と誰かが唾を飲む。
「……っ、ちっ!」
最初に退いたのは人間の男だった。
「行くぞ!」
「お、おう……!」
「くそっ……!」
三人は蜘蛛の子を散らすように逃げる。
最低限の理性は残っていたのか、オークとハーフエルフも背を向けると、
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「頭おかしいんじゃないの、あの女!!」
「やばい、マジいかれているって!」
背後の女子生徒たちも悲鳴を上げながら逃げ去った。
一瞬で静かになる路地。
「ぁ……あ……」
襲われていた魔族の少女――エルマが呆然とオリヴィエを見上げる。
虹色の瞳が潤んでいた。
「た、た、助け――」
その時。
遠くから複数の靴音。
規則正しく、重い。
「――あー、まずいですわね」
オリヴィエの耳がぴくりと動く。
どこかで見ていた誰かが『銃を抜いた女がいる』とでも通報したらしい。
周囲に無関心な違法建築の住民たちも、自分たちに火の粉がかかるとなると嫌いな相手にでも助けを求めるようであった。
「け、警察……?」
「ですわね」
オリヴィエは銃をくるりと回し、コートの内側へ滑り込ませる。
そしてエルマの頭をぽん、と軽く叩いた。
「立ち向かう邪魔をして悪かったですわね」
「え……?」
「縁があれば、また。風の乙女よ、ひと時与えよ、天を渡る喜びを・エルフィー・ビィル・フランメ!」
風の精霊を足にまとわせ、次の瞬間には路地の壁を蹴り、屋根へ飛び移る。
「ま、待っ――!」
エルマが手を伸ばした時には、もう遅い。
軽やかな影だけを残して、
オリヴィエ・エヴァンは雑踏の向こうへ消えていた。
ほどなくして、
「こっちだ! 通報が――……って、銃声はなかったのか?」
「怪しい女が子供たちに銃を向けていたって話だ!」
「おい君、大丈夫か?」
警官たちが駆け込んでくる。
呆然と立ち尽くすエルマは、去っていった背中の方角を、いつまでも見つめていた。
胸の奥が、妙に熱かった。




