第一話
「あああぁぁぁあああ~~~~っ……!!!!」
オリヴィエ・エヴァンは何度目になるかわからない自省のため息をつく。
彼女が拠点にしている館にて、彼女はハーヴェスティを仕留められなかった自分に対して、心底失望していた。
おおよそ他人の評価や罵倒、規則は気にならない反面、自身の決めた目標やルールに対しては厳格であり、それが果たされなかったこと自体が少ないため、失敗した時の感情の行き場、ダメージの受け方が未熟であるともいえる。
普段のいい加減な気だるげな――厭世的な姿からは程遠く、どちらかというと子供が駄々をこねているようにしか見えない。それは本人も自覚しているのだが、自省と自罰のループから抜けられずに、ベッドの上でバタバタともだえ苦しんでいる。
――数か月ほど。
長いと取るか、短いと取るかは人それぞれであるが、おおよそ一般的な感覚からすれば長いと断じられるだろう。一つのミスに対して、そこまで長々と苦しむこと自体、心身の健康に良いはずもない。
そんな彼女に、マルトンが声をかける。
「よぉ、まだ落ち込んでいるのか? いい加減、切り替えろよ」
ぼさぼさの赤毛、顔の半分を覆う大ぶりのサングラス、獣人特有の犬歯がちらりとのぞく、野生めいた笑み。雨風に擦り切れたトレンチコートが仕事着とばかりの怪しい風体の男は、斡旋業者の獣人マルトン・フランデル。
オリヴィエとはそれなりに付き合いの長い仲介人である。
無遠慮に館に上がり込んできた彼の手には、サンドイッチの入ったバスケットと依頼の書かれた書類がある。
「放っておいてもらえません?」
「ナーバスになっているところ悪いが、こっちも仕事なんでね。クランハフェンの復興もひと段落したし、そろそろ通常業務に戻ってほしいわけだ」
友人のような気さくで軽い調子のまま、マルトンはサンドイッチを口に放り込む。
「ヘルムタール家が総出で周辺にある《大禍》の封印を強化したのでしょ? なら、このあたりで私ができそうな仕事は何もありませんわ~」
「そりゃ、《大禍》関連はないがね。選り好みしなきゃ、いくらでもあるだろ。ほら、これなんか給金高くて安全だぞ」
「精霊術式結界の解明・リバースエンジニアリングを求む? クランハフェン駐留軍って、これはわたくしが渡した加工宝石ですわね。そういえば、渡したままで返してもらっていませんでしたけど……」
依頼書に書かれた宝石細工や術式パターン、そして依頼人の名前を見て、《大禍》に襲われていた軍人たちの支援をしたことを思い出した。今の今まで完全に忘れていたが、どうやら彼らはオリヴィエの渡した道具に価値を見出したらしい。
「返してもらうのもめんどくさそうですわね~」
軍――というか、国の囲いに取り込まれたら、簡単には取り戻すことはできない。
少し調べれば自分の素性はわかるのだから、それをしないで返却もしないとなると、相手側の誠意に期待する気も一欠けらも起きない。
オリヴィエとしては使える道具を一つ失ったことになるのだが、軍と揉めてまで取り戻そうとは思わず、とりあえず依頼書を横にはじく。
「私の分のサンドイッチはあります?」
「お、少しは食欲が出てきたか?」
マルトンはバスケットを渡すと、苺ジャムやサラダのサンドイッチが入っていた。
肉食系獣人である彼の好物ではない。食べられないというわけではないが、わざわざ買うことはない。不器用な気遣いに感謝しつつ、オリヴィエもサンドイッチを口にする。
「美味しいですわね……」
「そりゃ数か月、錠剤と粉末しか口にしてなかったら、なんでも美味しいだろうよ」
落ち込んで寝込んでいる時間以外、オリヴィエは《大禍》の被害に遭った人々を支援する奉仕活動に参加していた。精霊術者の一団に加わり、黙々と活動を続ける彼女は人型のゴーレムのようだと囁かれもしていたのだが、先に述べたようにその復興支援活動もひと段落している。
これ以上の支援は都市や国家が行うものであり、個人で行えるものは残っていない。
「何度も言っているが、アンタが悩むようなことじゃねぇだろ。賞金稼ぎでも、軍人でもねぇんだ。無差別凶悪犯を殺すなんて、アンタがやるべきことじゃない」
「何度も言っていますけど、私がやるべきでした……」
その覚悟を持って挑んだはずだったが、できなかった。
戦い、力及ばなかったのなら、その結果には、不満ではあるものの納得はできた。
しかし、オリヴィエは戦えなかった。
相手が完全に無防備、無抵抗であったという理由で、あの恐るべき犯罪者を逃してしまった。
「今後、彼女の所為で失われる命は、すべて私の責任です……。いいえ、もっと早くやっておけば、このクランハフェンで起きた被害も……」
再び気を落ち込ませるオリヴィエに、マルトンは赤髪をくしゃくしゃとかく。
はっきり言って彼女の思考は彼には一欠けらも理解できなかった。そしてだからこそ、自分の言葉は届かないのだろうと一人納得する。
もしも自分が彼女と同じ状況だったら、さっさと隠遁生活に入って死ぬまで悠々自適に暮らしただろう。それだけの実力も資産も有しているのだから、見知らぬ他人など気にせずに、自分一人で安楽に生きればいいのだと。もっとも、そうされると自分の仕事が滞るので、その手の助言はしないのだが、おそらく相手も望んではいないだろう。
「とりあえず、依頼書を置いていくぜ。《大禍》関連はないが、きな臭いのはいくらでも――人助けがお望みなら、依頼料の安いものでよければ、いくらかある」
たとえどれだけ人を助けようと、どれだけ尽くそうと、悩みは尽きず、問題は絶えない。それこそが世界の仕組みであり、だからこそ自分たちのような者が必要とされている――と、マルトンは考えている。
「ハーヴェスティの居所は引き続き探してはいるが、見つかる時はあっさり見つかるが、いなくなった時の足取りはまったくつかめない。今はリグルット共和国軍も本格的に探しているし、ヘルムタール家をはじめとする聖術師の家も注視しているらしい。俺の方でも引き続き網は張っておくけど、まずはアンタのメンタルを回復させる方が先決だ」
そう言って、彼は席を立つ。
依頼書をめくる音を聞きながら、少しは気力を取り戻してくれたと思いながら、彼は館を立ち去り、次の仕事相手との取引に向かう。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
自称世界的革命組織『真なる正義と秩序の剣』の幹部である男は必死に逃げていた。
クランハフェンにおける作戦と並行して、リグルット共和国及び隣国の主要都市に潜んでいた同志たちによる行動による成果は今一つであった。いくつかの役所を爆破、銀行の襲撃などによる強奪などは、一時のニュースとしては取り上げられこそしたが、《クランハフェンの惨禍》に比べれば見劣りするのは否めない。
それを不満に思う同志たちとは別に、幹部である男は気にしてはいなかった。
所詮は末端のガス抜き、真の平等だとか自由だとかの嗤える主義主張などに吊られるような現実の見えてない馬鹿どもに、ちょいと餌をやっただけ。実際に必要なのは金と権力、祖国を失った後でも裏に潜んで、彼はじっくりとそれを強めて中枢に食い込んでいた。
真の意味での同士であったウルコッフからの連絡が途絶えた後、やはり志を同じくする者たちとの連絡が次々と途絶え、《クランハフェンの惨禍》の数か月後である現在、今や残るのは彼一人だけ。
狙われているのは明白だが、誰に、どうして、なのかはわからない。
そしてつい先ほど、自分を守る手練れの護衛たちが次々と握りつぶされるように殺される姿を見て、抑えていた恐怖の限界が超えてしまい、必死に逃げ出した。
わきめもふらず、ただひたすらに秘密の地下通路を逃げ続け、そして……。
「うふ、うふふふ」
蠱惑的な笑い声が聞こえる。
恐怖と悦楽が混じり合う奇妙な感覚に、男は震え、呼吸さえも忘れた。
「た、助けて……」
「残念ですけど、利子は膨らみ続けて、もう支払える金額じゃありませんの。ですけど、貴方で最後です。指導者層が消えた後、『真なる正義と秩序の剣』がどうなるのか? わたくしの予想では八割の確率で分離すると思いますけど、新しい指導者が再統合する可能性もありますわ。貴方はどう思います?」
「お願いだ……」
「それが最後の言葉でよろしくて?」
「ま、待って」
グチャリと、男の体は潰れた。
赤黒い紙のようになり、べちゃりと床に落ちる。
前回の仕事の後始末を終え、ハーヴェスティ・ユギド・フィア・ベディステア伯爵令嬢は情熱的な深紅の髪を悪戯に弄ぶ。
役人たちの目を欺きながら、かつての依頼人たちの首脳部を潰すのは簡単すぎる遊びだったかもしれない。
紫と黄金のオッドアイに浮かぶのは、オリヴィエ・エヴァンの懊悩する顔。
あの時、もしも彼女が自分を殺していれば、それはそれでハーヴェスティは至福のうちに果てることができたのかもしれない。美しい純白の織物は、深紅で穢してこそ楽しいのだから。
だが、グチャリと皺をつけるのもまた愉しい。
自分を殺せなかった彼女は今も懊悩しているのだろうか? できれば立ち直り、もう一度、楽しませてほしい。
ハーヴェスティは瞳を悪意に潤ませながらそう願う。
この世界が終わる前に、どうか最高の再会を。




