第二十三話
廃工場地帯の一角――ハーヴェスティ・ユギド・フィア・ベディステアが待ち合わせの場所に訪れた時、その場所は血の海であった。かつて集会場として使われていた広い鉄骨建屋は、今や無残な戦場の跡と化している。天井の一部は吹き飛び、ねじ曲がった梁の隙間から灰色の空が覗いている。割れた窓ガラスは風に鳴り、床には砕けた椅子や長机、そして倒れ伏した人間たちが無造作に転がっていた。血と焦げた鉄の匂いが濃く漂い、わずかに残る火の粉が、かつての演壇を赤く照らしている。
彼女の仕業ではない。
凄惨な殺し合い――同程度の戦力を持った二つの集団が、互いを殲滅しようと始めた戦闘の後であり、彼女を雇った組織の末路である。互いに相当の被害を出していたが、それでも相討ちではなく、片方の勢力が勝利している。
「残金の受け取りに来たのですけど?」
艶やかな笑みを浮かべる女に、無数の殺意が突き付けられる。
つい先ほどまで殺し合いを行っていた者たちの瞳には、飢えた獣じみた殺意と戦意が宿っており、何かのきっかけがあればすぐにでも襲い掛かってきそうだ。
それを制したのは、勝者側のリーダーであった。
「初めましてだね。私はウルコッフ。真に世界の安寧と平和、平等を願う世界的革命組織『真なる正義と秩序の剣』を率いる者の一人だ。噂に名高いハーヴェスティ殿。お会いできて光栄だ」
血と死の臭いが充満するその中心で、場違いなほど優雅な仕草で、ウルコッフと名乗る紳士は社交の場であるかのように大仰な一礼をする。実業家のような礼服、芝居がかった仕草、三十代半ばの精力的な男性、エルフのような細長い耳とエルフよりもがっしりした体格から、おそらくは種族はハーフエルフだろう。
「いやはや、手筈は任せるとはいったが、予想以上に派手な陽動だったね。此処に倒れている連中からすれば物欲に腐敗した都市に打撃を与えた正統なる一撃というかもしれないが、私としては少々困った。少なくない投資と幾つかの幽霊会社、何も知らずに無垢に働く労働者たちが一瞬で無に還った」
彼の足元には、同じ徽章を胸に刻んだ者たちの亡骸が混じっている。敵も味方も区別なく倒れているその光景が、内紛の凄惨さを雄弁に物語っていた。
その向かい、崩れた壁を背にハーヴェスティは、血煙の中でもなお艶やかな笑みを崩さない。深紅の長髪は煤に汚れることなく妖しく光を弾き、紫と黄金の瞳がゆるやかに細められる。
「原理主義的過激派と現実主義路線の穏健派による内紛のようですわね」
その声音には、状況を俯瞰する冷ややかさと、どこか愉悦が滲んでいた。
聖術師や王侯貴族などの特権階級を嫌う一方、目の前のハーフエルフはどうにもそうした者が欲しくてたまらない手合いのようだ。秘密主義的結社であるにもかかわらず、組織の命名センスもどことなく貴族主義的なのは何かの皮肉なのか? それにくわえて自分の卑小さをごまかすための芝居じみた姿を見ていると、ハーヴェスティはどうにも楽しくなってくる。
そんな相手の態度に気が付いているのかいないのか、ウルコッフは肩をすくめ、壊れた演壇に視線を向ける。そこにはつい先ほどまで、理念を叫んでいたであろう過激派の指導者が、無残な姿で横たわっている。
「言葉を飾らずに言えば、そういうことになるだろうね。私たちは現実的な生き延びる道を同胞たちに示したのだが、残念ながら受け入れられず、このような結果になってしまった」
風が吹き抜け、屋根の裂け目から灰が舞い落ちる。死者たちの上に静かに積もるその様子は、まるで即席の墓標のようだった。
ハーヴェスティはゆっくりと歩き出す。ヒールが血だまりを踏み、ぬるりとした音を立てる。彼女は見覚えのある亡骸を軽く足先でどける。連絡役の男であり、革命に殉じた果てが、仲間と思っていた者との同士討ちだったというのは露悪的な歌劇のようでもあった。
(だから人目の多くて明るい場所で話し合えばよかったのに)
そんなことを思いながら、ハーヴェスティはその下に落ちていた短剣を拾い上げた。刃についた血を眺め、つまらなさそうに指で弾く。
「それはそれはお気の毒ですけど、わたくしには関係ないことですわね。陽動やお使いの仕事はしっかりしたわけですし、聖炎使いアルトマン・カル・ホル・ビュートリーデ襲撃の残金も含めて、報酬を支払っていただけますか?」
契約を果たした者の、当然の要求。
そこには情も遠慮もない。
ウルコッフはわずかに苦笑する。その笑みには、交渉人としての計算と、状況を楽しむ余裕が混ざっていた。
「しかし、本命は失敗した。ヘルムタールに隠された禁書庫から祖国の魔術式を回収することはできず、潜伏中だった同志たちによる当主襲撃も護衛をわずかに倒しただけ、ついでの騒ぎに、銀行や宝石店を襲撃した私の部下たちの稼ぎはどうにもパッとしない」
「そちらの不手際をこちらに回されても困ります。事が終わった後の減額交渉は応じませんよ?」
その声は柔らかい。しかし拒絶の意思は鉄よりも硬い。
「そう言わずに、我々は手を取り合えるのではないかな? 新たな同志として迎える用意がある。幹部待遇、もちろん未払いの報酬に加えて、より多くの富、それに権力も」
「平等の建前くらい守ったままにした方が良いんじゃなくて?」
「ここにいる同志たちは、すでに亡くなった夢見がちな理想主義者とは違う。それに、平等という理念は捨ててはいない。ただし、我々を受け入れない者にはその限りではない」
老獪な商売人の笑みを浮かべる。
扱うのは、目には見えない理想と大儀、主義主張、それを元手に富を蓄える守銭奴の笑顔はこの上なく醜悪で、ハーヴェスティはこの上なく満足する。
(ああ、世界はこうでなくてはならない)
そして同時に残念にも思う。
「うふ、うふふふ、つまり金は無いと?」
沈黙が落ちる。
遠くで崩れかけた鉄骨がきしみ、遅れて地面に落ちる音が響いた。
甘い香りと血の匂いが混ざり合う。
ウルコッフは一瞬だけ目を細め、それからゆっくりと息を吐く。まるで舞台の幕引きを受け入れる役者のように。
「残念だ」
ウルコッフとハーヴェスティと意見が一致する。
交渉決裂という点において。
ウルコッフに守る気があったのか、その場しのぎの嘘であったのかはわからない。あるいは本人自身も、都合のいいように自分の心をいつでも捻じ曲げることができる醜悪さは、下種な生き物特有の思考である。
「なら、別の手段を取るしかないな」
ウルコッフは右手を上げると、周囲の同志――『真なる正義と秩序の剣』のメンバーたちが動く。ある者は銃を、ある者は精霊術を、構えて、唱える前に、ハーヴェスティの影から飛び出した獣たちに食い殺される。
シャドウ・ビーストは錬金術式で生み出される合成魔獣の一種だ。
あっという間に仲間たちがバラ肉にされても、ウルコッフの笑みは崩れない。むしろ、想定通りと言わんばかりである。
その笑みをかき消そうと、シャドウ・ビーストの一匹がウルコッフに迫り、巨大な黒い魔神に踏み潰される。
魔術式――魔神化。
ヘルムタール家の聖術師たちを蹂躙した怪物。
その術式により強化された魔神が一体、二体、三体、四体と現れ、伯爵令嬢を囲む。
「どうかな? 今からでも意見を変える気は?」
「うふ、うふふふふ」
悪意のある笑い声に拒絶の意思を感じて、ウルコッフはため息をつく。
「始末しろ」
魔神たちが襲い掛かる。
ほとんどすべての攻撃に対して耐性を持つ局地戦用の怪物。
白兵戦においても、ハーヴェスティが太刀打ちできるようには見えなかった。彼女の影から飛び出たシャドウ・ビーストたちの爪牙をはじき、逆にひねりつぶして、魔神たちは我先に殺到する。
鮮血が舞う。
「うふ、うふふふふ、ふふ、ふははは、ふひゃあははああああぁああ!!!!」
貴族のような優雅さからは程遠い、下卑た笑い声を響かせながら、ハーヴェスティの手が魔神の胴体を貫いた。
「は、はあぁ? ば、ばか……」
胸を貫かれた魔神は、魔術式が維持できなくなったのか、本来の姿に戻る。
獅子がベースの巨漢の獣人。
魔神でなかったとしても、白兵戦ならハーヴェスティを圧倒できる筋力と敏捷性を持っていたはずの大男。しかし実際に胸を貫かれて絶命しているのは、彼の方だった。
「ひゃぁああはあぁああああーーーーぁ!!!」
血と臓物をまき散らせながら、伯爵令嬢の凶笑が廃工場に響く。
獲物に飛び掛かる俊敏な猫のように、次なる魔神の頭を掴み、そのまま顔を掴んだまま力任せに頭と胴を別れさせて、脊髄まで引きずり出す。
狂喜するハーヴェスティに対して、ウルコッフは対抗するため呪術を唱える。
「肉は萎えよ、力は衰えよ、時という残酷さこそが世界の理なれば、その理を早め、その力を衰退させよ。ヴォーロ・ヴォルカス・ベネード!」
これはオリヴィエがハンクに対して行ったのと同じ、無効化系統の術式であった。
ハーヴェスティの異常な身体能力は何らかの術式と考え、それを消そうと試みたのだが、狂乱の伯爵令嬢は止まらない。
「黒き蛇、暗き腕、冥王の使い。束縛と苦しみの鞭をここに。サウル・グラムス・ゼイ」
「悪なる刃よ、我が生命を糧に、敵を滅せよ。ディガード・ディストリング・ヴェイガル」
生き残った魔神たちも白兵戦を捨て、術式による勝負に切り替え、必殺の術式を放つ。
魔神化による強化と軍用攻撃術式の合わせ技は、祖国を滅ぼした天災級《大禍》と正面から戦っても粉砕できると彼らは確信していた。
実際、聖術を除いて彼らの扱う魔術の攻撃力は、他の術式よりも遥かに高い攻撃力を有する。
「弱い『んだょ【ぉおおお、このチンカス野郎ど】もがああ』ぁああああ!!!」
迫りくる魔術を引き裂いて、さらに魔神化した革命戦士たちの臓腑も引き裂いて、ハーヴェスティは吼える。まるでソーセージのように、自分たちの腸が引きずり出される光景を目にして、革命戦士たちは恐怖と混乱が混ざった表情のまま絶命する。
魔神化した主戦力が瞬く間に殲滅されたのを見て、ウルコッフの表情からも余裕の笑みが消え失せた。
「あ、足止めしろ!」
残された同志たちに命じて、彼は真っ先に逃げる。
指導者としては当然の判断だと、都合よく自分の行動を正当化しながら、廃工場から逃げ出し、外に止めていた車に乗り込むと、運転手を急かす。
「緊急事態だ、すぐに出せ。脱出ポイントCに……」
早口で目的地を告げる彼は、奇妙な浮遊感を感じる。
いや、実際に宙に浮いているのだ。
何らかの術式なのだろうか? それはわからないが、誰が逃げるのを邪魔しているのかはすぐにわかった。
「圧縮、圧『縮、ああああ握【手、アック】ス、あああ、あひ、ひひひ』はあ、はあははは、うふ、うふふふふ、最後に言い残すことはありますか?」
「た、助けてくれ……、おねがい」
グシャ。
ウルコッフの哀願を聞き届けた後、彼の乗り込んだ車は一抱えほどの鉄塊にまで圧縮される。全身を返り血で染め上げたハーヴェスティは水遊びをした後の子供のように笑い、ようやく到着した主賓を出迎える。
「ずいぶんと派手にやったようですわね」
「うふ、うふふふふ、来てくれると思いましたわ。ちょうど良かった、それとも少し遅かったのかしら? それで、ご用件は? オリヴィエ・エヴァン」
紫と黄金の瞳に映し出された気だるげな女の名を、ハーヴェスティはこの上ない悪意と共に歓迎する。




