第7話 宇宙人?
シンは再び、総理大臣の脳内へと静かにテレパシーを送り込んだ。
――《炊飯器と米を調達してくれ》
深夜の静寂を引き裂くように、冷徹で低い声が総理大臣の脳裏に響く。ハッと身を起こした総理大臣は、暗闇の中で小さく息を呑み、慎重に口を開いた。
「発注書に記載していただければ調達しますが……。」
――《まずは1升炊き炊飯器を千台、1台につき米は10キロだ。炊飯器は人気ランキング上位のものにしろ。米も銘柄米を指定する》
「一度に……ですか? 米だけで10トンになりますよ。」
――《もちろんだ。欠品を出さぬよう新たに製造させろ。米価も適正価格で安定させるため、米農家には増産を命じろ》
「……備蓄米なら、すぐにでも調達できるのだが……。」
――《政府備蓄米は却下する。それを持ち出せば、陽の国の米がこの世から無くなると心得ろ。どうしても処分したいなら、麺や米粉、米菓の原材料にでも回せ。白米として食するのは新米か前年度産米までに留め、国内消費分を確実に確保したうえで、残りは我々がすべて買い取る》
「……しかし、そんなに増産させては米価が暴落してしまう……。」
――《現在の価格こそ異常だ。これを適正価格と言い張るお前たちの目は節穴か? 生産調整の判断を誤ったツケが、国民の米離れを招いたのだ。主食と謳うなら生産体制を強化し、常に余力を保て。余剰が出れば海外へ販路を開けばいい。それも我々がすべて買い取る。小規模な農家には『集落営農の法人化』などを促して収入を安定させ、消費者はいつでも安心して適正価格で購入できる――そんなシステムに構築し直すんだ》
「……わかった……。」
◇◆◇
翌朝、総理大臣は防衛大臣と米大臣を総理執務室へと呼びつけた。すべての側近を部屋の外へ締め出し、重厚な扉が完全に閉まったことを確認してから重い口を開いた。
「天の声から、米10トンを調達しろとの指示が届いた。」
米大臣は、待っていましたと言わんばかりに声を弾ませた。
「では、一度放出した政府備蓄米を買い戻し、それに充てましょう。」
「それが、政府備蓄米は却下された。新米か前年度産米でなければならん。」
総理大臣は、天の声とのやりとりの全てを包み隠さず打ち明けた。
米大臣は米栽培が盛んな地域の出身であり、米価格の下落を何よりも恐れていた。民間倉庫に山積みとなっている備蓄米の現状を打破するため、政府による買い戻しを強く願っており、一度は動きかけた増産体制への舵を再び生産調整へと戻させていた張本人である。
そこへ降って湧いた「増産」の二文字。米農家のことしか頭にない米大臣にとって、価格維持のために流通量を抑えること以外に選択肢などなかった。
「……ですが、増産しては米農家の収入が……」
天の指示に耳を貸そうとしない米大臣を前に、総理大臣の怒気が高まる。
「お前たちの仕事は、天の声の指示を実行に移すことだ。それができないなら更迭する。」
先日の臨時閣議で『要求された政策を全速力で実行に移す』という結論に至ったにもかかわらず、反論を繰り返す大臣に愛想を尽かし、総理大臣はその場で更迭を言い渡した。自分の利権や一業界の論理しか見えず、国民全体の食卓を支えるシステムを作る気がないと判断したからだ。
「……いいか、今日のことは家族であっても口外するな。この世から消されるぞ。墓場まで持っていくんだ。脅しではない。我々は常に天の声に監視されていると思え。」
青ざめて震える米大臣を退室させると、今度は防衛大臣へと向き直った。
「一台につき10キロの米が確保できたものから順に、炊飯器千台分を商品として納品させろ。」
その後、新たな米大臣の候補者を急遽呼び出した。新大臣は米農家出身ではなく、これまで政治とは一切関わりがない民間からの起用だった。しがらみに囚われず、合理的で効率的なシステムを作り上げることができる――総理大臣は、あえて悪習に染まっていない外部の知見を入れる決断を下したのである。
夕方には新大臣の任命式と初閣議が行われ、慌ただしく引継式が執り行われた。
◇◆◇
その日の夜。
初閣議を終えた閣僚たちは側近さえ伴わず、再び人目を忍んで官邸の密室へと集まった。
新任の米大臣を除く全員が、昨日からの急展開に緊張の色を隠せない。総理大臣は前大臣の更迭理由と、新大臣を起用した意図を静かに説明した。これまで農家の票欲しさに誰もが触れようとしなかったタブーに、いよいよメスを入れる時が来たのだ。
「しかし総理、米を増産して余った分をすべて買い取るなんて、本当にそんなことが可能なのですか?」
「今回は10トンだったが、最終的な必要総数は未知数だ。一度に必要総数を調達されて在庫を枯渇させられても困るからな。」
「ですが現状でも、適正な余剰在庫を大幅に超えて50万トンを抱えています。これ以上の増産となれば、さらに倉庫がパンクしますが……。」
「価格が高騰したせいで、主食を求める国民の米離れが起きているのが原因だ。増産した上で複数の消費ルートを確保し、柔軟に調整しなければ適正価格での安定供給など不可能だ。インバウンド需要への対応や、中間業者による不当な搾取を防ぐためにも、流通の仕組みそのものにメスを入れる。」
「米価格を安定させつつ、同時に米農家も潤うシステムを構築しなければ、後継者不足でこの国の米栽培は衰退していきます。」
「農家へは生活保障という形をとり、不作になっても安心して就農できるようにしましょう。」
「海外への販路も本気で開拓しよう。陽の国の米を世界中に売り込むんだ。円安の今こそ最大のチャンスだぞ。」
「種籾さえ国内で厳重に管理しておけば、海外で勝手に量産される心配もありません。」
「余りすぎた在庫は、小麦粉の代替として麺や米粉に加工し、新しいレシピと共に提案していくのはどうでしょう?」
「小麦粉の大部分は輸入に頼っていますからね。米粉への置き換えが進めば国内消費も飛躍的に伸びるはずです。」
「小麦粉のグルテンは遺伝子的に陽の国の体質には合いません。近年の健康志向に合わせて『グルテンフリー』の米粉パンや麺の製造を国家として後押しするべきです。ゆくゆくは、小麦粉の代わりではなく、米粉が主役になるくらいの気概でいきましょう。」
「ですが、現状の米粉は小麦粉に比べて割高です。」
「そこは古米や備蓄米を製粉させましょう。増産した上で古い米を『アップサイクル』できれば、フードロス削減にも大きく貢献できます。」
閣僚たちが次々と前向きな意見を交わす中、ふと、一人の大臣が不安そうな表情を浮かべた。
「あの……私たちも、その『天の声』の主と直接お話しする機会は作れないでしょうか?」
「こちらからコンタクトを取る方法など分からない。深夜、寝静まった頃に突然、脳内に響いてくるのだからな。」
「そうですか……。」
「何か、相談したい案件でもあるのか?」
「はい、闇バイトの件です。逮捕しても末端ばかりで組織の根を断てず、犯罪が後を絶ちません。どうすれば根絶できるのか、あの御方に知恵を借りたいと思いまして……。」
「確かに、最近の治安の悪化は深刻だからな。」
「聞いてみるだけは聞いてみるが……治安維持に天の声が興味を持つかどうか。あまり期待はするなよ。」
「でしたら私は、長年の懸案である島問題について……!」
「私はエネルギー安全保障の観点から、石油の安定調達を……」
「いやいや、少子高齢化や地方の過疎化こそ最優先の課題でしょう……!」
会議室は、国難とも言える諸問題の相談窓口と化した『天の声』にすがるような熱気で包まれていった。
「あの……、そもそも『天の声』とは一体何なのですか?」
議論の輪に入れず、きょとんとしていた新大臣が恐る恐る尋ねた。
総理大臣がこれまでの西国や南国での実例を語り、防衛大臣からも闇組織の『別班』についても補足説明が入る。
信じがたい現実を突きつけられた新大臣は、映画でも見ているかのような顔をした。だが、他の閣僚たちからも一様に言われて、信じるよりほかに道はなかった。
こうして極秘裏に行われた臨時閣議は、今回もまたシンの導くままに国を動かすという全会一致の結論をもって幕を閉じた。
◇◆◇
そして、その日の深夜。再び総理大臣の脳内に、あの低く冷徹な声が響いた。
――《米大臣が替わったようだが、何故だ》
「米の調達を命じたところ、放出した備蓄米の買い戻しを主張し、価格を是正する姿勢が一切見られなかったため更迭した。」
――《なるほどな。確か、米栽培が盛んな地域の出身だったな》
「炊飯器と米の件だが、一台につき10キロの米が確保できた分から順次、通常の商品と一緒に配送する形で進めているが、それでよいか?」
――《あぁ、構わない》
「それと……閣僚たちからも、あなたに相談したい案件があるのだが。一度、直接話をする機会を作ってもらえないだろうか。」
――《日中は多忙だ。お前たちの暇つぶしに付き合っている時間は……ふむ、国防に関する重大な案件か?》
「いや、島問題に闇バイト、石油の調達、少子高齢化、地方の過疎化……などだが。」
――《それはお前たちの仕事だろ。それを私に丸投げして相談するつもりなら、コンサルティング料を請求する。》
「い、いくら払えば受けてくれる……」
――《そうだな……一つの相談につき、一億円でどうだ。》
「い、いちおくえん……っ」
――《ただし、税金からの支払いは断固拒否する。お前たちのポケットマネーからだ。》
「そ、それは流石に……」
絶句する総理大臣に、シンは冷たく追い打ちをかける。
――《払えないか。国の税金は湯水のように使うくせに、自分の財布となると途端に出し惜しみするのだな、お前たちは。我々がこの国のために払ってきた代償に比べれば、安いものだろう》
「支払えるかどうか、閣内で検討して報告する。それと、こちらから連絡を取りたい時はどうすればいい。」
――《コンテナ配送時の請求書にでも同封しろ》
「分かった……。」
シンはそれだけ言い捨てると、一方的に通信を断った。
総理大臣は深く長いため息をつき、鉛のように重い体をベッドへと沈めた。
◇◆◇
翌日も、閣僚たちは側近を伴わずに人目を忍んで官邸の密室へと集まっていた。
総理大臣が深夜の天の声とのやり取りを淡々と報告すると、部屋の空気が一気に凍り付く。
「い、一億円……?」
「ポケットマネーで、ですか……?」
「ですが、税金から出せない以上はやむを得まい……ただで動いてもらえるわけがないからな。」
「しかし、一体その声の主は何者なんだ……?」
「まさか、宇宙人……とか?」
「宇宙人なら、それも納得の圧倒的な力だが……」
いつの間にか、天の声の主であるシンは『宇宙人』という前提で話が進められていくのだった。
◇◆◇
陽の国では、米の増産体制を強化するため、休耕田を活用した新規参入者の募集が始まった。生活保障から栽培方法の研修、農機具の貸し出しに至るまで、自立できるまで一貫して国が下支えする体制が整えられた。
地方の小さな村で、長年後継者不足に悩んでいたベテラン農家の男は、新設された集落営農の法人へ水田を委託した。
「俺の代で終わりだと思っていたが……これなら若い連中が安心して米を作れる。」
男の皺枯れ声には、長年の重荷が下りたような確かな安堵の色があった。個人では到底維持できなかった最新の農機具や販路が共有され、農家たちは『もう価格暴落に怯えなくていい』という手応えを噛みしめていた。
一方、海を越えた東の大国の巨大スーパーでは、特設された「HI-NO-KUNI(陽の国)プレミアム米」のコーナーに人だかりができていた。模倣品対策として偽造困難なラベルを貼付し、再利用できない特殊加工も施していた。
現地で同時発売された国産高級炊飯器とセットでPRが行われた結果、ふっくらと炊き上がった白米の試食には長い行列ができた。
――『なんてモチモチした食感なんだ! 白いご飯だけで何杯でもいけるぞ。』
――『この炊飯器さえあれば、陽の国に行ったみたいだ!』
現地のインフルエンサーがSNSに投稿した動画は瞬く間に拡散され、輸出量は右肩上がりに跳ね上がっていった。
万が一の天候不良や災害で不作となった場合でも、海外への輸出量を柔軟に調整(停止)することで、国内の消費分は常に確実に確保される。米農家は生活保障という基礎の上に、補償はさらに手厚い保険という形で担保され、かつてのような『米を作れば作るほど苦しくなる』という悪循環は過去のものとなっていた。
――もちろん、そのすべての裏で、今夜も総理大臣の脳内には『コンサル料の催促』という別の頭痛の種が響き渡ることになるのだが、国民の食卓と米農家の笑顔が守られた今、総理の背負う重荷はほんの少しだけ軽くなっていたのだった。




