第5話 はじめの一歩
大地震の夜を境に、次々と規格外の魔力を解放し始めた龍輝。その暴走を優しく、そして確実に鎮めるため、一華は毎夜、一風変わった『おとぎ話』を枕元で語り聞かせていた。
『「むかしむかし、この世界がまだひとつだったころ――」』
柔らかな灯りのなか、一華の落ち着いた声が響く。
『「そこには、魔力を持たぬ「人間」と、大いなる魔力を宿した「魔人」、そしてすべてを見守る「神々」が、同じ大地で肩を寄せ合って暮らしていました。」
「魔人たちは、その優しい心と強大な魔力で弱き者を助け、いつも人間の傍らに寄り添っていました。」
「しかし、いつしか狂いが生じます。
人間の心にあった欲が、魔人たちの優しさに漬け込み、彼らを都合のいい道具としてこき使い始めたのです。」
「神々は眉をひそめ、人間に警告を発しました。
しかし、傲慢になった人間たちは耳を貸しません。『魔人が我らのために力を使うことの何が悪い』と、むしろ神々に逆らう始末でした。」
「手に負えなくなった人間たちに絶望し、神々は決断を下します。――この世界を、ふたつに分断する、と。」
「もともとの世界を『陽の世界』とし、我が物顔で生きる人間たちをそのまま残して『人間界』と名付けました。 そして、傷ついた魔人たちをもうひとつの世界『陰の世界』へと移し、そこを『魔界』としたのです。」
「神々はなおも『陽の世界』を見守っていましたが、そこに広がっていたのは、欲望のままに領地や富を奪い合い、果てしなく争い続ける人間たちの醜い姿でした。
すっかり嫌気が差した神々は、やがて『天界』を創り去っていきます。死者の魂が行き来するための『冥界』だけを残し、二度と各世界が往来できないように扉を固く閉ざして。」
「『陰の世界:魔界』では、たった一人の魔王様が慈悲深く世界を治め、魔人たちはその得意な魔力を活かして仲良く暮らしていました。少し前に激しい兄弟喧嘩があったりはしたものの、今日も平和な毎日が流れています。」
「ちなみに、今の魔王は龍輝の祖父じぃじだよ。」
「一方、『陽の世界:人間界』はといえば――。 地域ごとに権力者が国を造り、血にまみれた武器を、すべてを焼き尽くす兵器を開発し、国を挙げての終わりのない土地の奪い合いに明け暮れていました。」
「これが、陽と陰、ふたつの世界がたどった成り立ちです。」
「今、私たちが暮らしているのは、『陽の世界:人間界』にある『陽の国』と呼ばれる場所です。」
「海原にぽっかりと浮かぶ、まーるい本土。 その真ん中には、今は静かに眠る休止中の火山がそびえ立ち、そこから放射状にいくつもの島々が伸びています。
空から見下ろせば、まるで大空に輝く太陽のように見える――だからこそ、この国は『陽の国』と呼ばれていました。」
「周辺を海に囲まれた島国であるおかげで、この国は外敵に干渉されることもなく、独自の平和と文化を育んできたのです。地下からは豊かな温泉が湧き出し、山のふもとには清らかな伏流水が湧き出る。その水は田畑を潤し、やがて豊かな恵みを湛えて海へと注ぎ込む。主食である米に加え、肉、魚、野菜。すべてがこの国内でまかなえる、完全なる自給自足の楽園でした。」
「本土を取り囲むように、東西南北にはそれぞれ『東国』、『南国』、『西国』、『北国』の国々が位置しています。
国境を守るため、島々の先端を繋ぐ領海、そしてその上空の領空は、厳重に管理・監視されていました。」
「……だが、平和な時代は長くは続きません。」
「最近、どうも雲行きが怪しい。
南、西、北の海域のほうから、なにやらきな臭い気配が近づいています。
この穏やかな陽の国は、じわじわと、しかし確実に「つけこまれよう」としています――。」
「そこで、裏の魔王が救世主となり陽の国を陰ながら守ることになりました。」
「――裏の魔王は龍輝のパパだよ。」』
毎夜、このおとぎ話が子守唄代わりだった。
ある日、寝かしつけに時間がかかるようになっていた一華を案じ、シンはこっそりとそのあとを追った。部屋の外から「遠聴」と「遠視」の魔力をわずかに巡らせ、二人の様子を伺う。
脳内に滑り込んできた一華の語りは、驚くことにすべて事実だった。この世界の成り立ちという途方もない真実を、彼女はさりげなく、しかし優しく噛み砕いて息子に聞かせていたのだ。
最後の一言を口にしたと同時に、龍輝は深い眠りに落ちたようだ。静かにドアが開き、一華が外へ出てくる。
待ち構えていたシンは隠れることもなく、無言のまま一華と並んでリビングへとおりていく。ソファに腰を下ろすと、シンは低く問いかけた。
「毎日、あんな話を聞かせていたのか?」
「うん。大地震があったあと、寝つきが悪くなっちゃって……仕方なく話し始めたら、毎日催促するようになっちゃって……。」
「……あらすじは本当だが、最後は作り話だぞ。」
「シンが裏の魔王ってこと?」
「あぁ」
「いいじゃん。パパから人間界を任されたのは本当なんだから。実質、裏の魔王でしょ!?」
「ミサイルや偵察機、艦艇を爆発させたのは龍輝だぞ?」
「ミサイルは龍輝が勝手に先に手を出したけど、偵察機や艦艇のほうはシンの言うことを聞いただけでしょ。龍輝は実行役、シンが指示役だから、やっぱり立派な裏の魔王だよ!」
「ふっ……なんだそりゃ、完全に詐欺集団だな。」
呆れたように笑いながらも、シンの目には確かな温もりが宿っていた。
そんな両親の心配をよそに、龍輝はすくすくと、あまりにも規格外に健やかな成長を見せていた。
相変わらず魔力の使いどころを本能で理解しているらしく、『シン華の家』の外では不自然な力をみだりに解放することはない。逆に言えば、『シン華の家』の中では使いたい放題ということだ。
生後八ヶ月を過ぎたある日のことだった。
「嘘……立った! 龍ちゃんが立ったよ!」
リビングのサークルにつかまりながら立ち上がり、一華めがけてトコトコと歩いてくる龍輝。その足取りは赤ん坊のものとは思えないほど安定しており、まるで何度も練習を重ねたかのようにスムーズだった。
テレポートや浮遊の魔力を人一倍早く覚醒させていたため、二本の足で歩き出すのは遅いのではないかと一華とシンは密かに心配していたが、それは完全に杞憂に終わったようだ。
「おぅ、とうとう自分の足で歩いたか。」
シンも目を細め、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「龍輝様は本当にお早いですね。レイモンドなんて、十ヶ月を過ぎてからでしたよ。」
レオナルドが丸い目をさらに見開いて感心している。その傍らでは、レイモンドが龍輝の背中を守るように寄り添い、愛猫のサンも転ばないようにとピタリと脇を固めていた。
「マ……マー」
一華の足元までたどり着いた龍輝が、小さな両手をいっぱいに伸ばして愛らしい声を零す。
「いま、ママって言った……!」
「ん? いや、いまのは『マンマ』と聞こえたが?」
一華は歓喜に満ちた顔で「ママだよね?」と覗き込むが、龍輝はただニコニコと笑うだけで、それ以上は教えてくれない。
「ほら見ろ。」
シンは、『パパ』と呼ばれなかったことが少しだけ悔しかったのか、不服そうに割り込んでくる。
「龍輝、パパだぞ。パパと言ってみろ。」
日頃から入浴のたびに「パパと言え」とスパルタ式に教え込んできた成果を出させようとするが、肝心の龍輝は「キャッキャ」と楽しげに笑うばかりである。
この頃になると、龍輝は自身の便利な能力をさらに悪びれもなく使いこなすようになっていた。
オムツ替えの時は自分で微かな魔力を解放して一瞬で済ませてしまうし、ただ歩くだけでは飽き足らず、時にはテレポートでサークルからヒョイと軽やかに抜け出してしまう。
ふと目を離した隙に、シンの背中にピトッと張り付いていたかと思えば、小さな体でふわりと浮遊して冷蔵庫の扉を開け、冷やし固めたばかりのプリンを両手でしっかり掴み取っていたりする。ふわりと宙を浮遊する姿は、まるで背中に小さな羽を生やした天使のようでもあった。
「ちょっ、ちょっと龍ちゃん! そのプリンはまだ冷やし固めたばかりだからダメでしょ!」
一華に叱られた龍輝は、きょとんとした顔で首をかしげ、素直にプリンを元の場所へと戻す。悪戯っ子なところはあるが、どこか憎めない愛嬌があった。
「あっ、あっ」
「お腹空いたの?」
おやつの時間には少し早かったが、一華は完熟したバナナを龍輝とレイモンドの分とに切り分け、スプーンで軽く潰して少しすくい、龍輝の口元へ運ぶ。美味しそうに口へ動かす。レイモンド用に切り分けたバナナが入ったお皿をアーリンへと手渡した。
日に日に知恵がつき、一瞬たりとも目が離せなくなっていく我が子。
今日も今日とて、一華は慌ただしくも愛おしさに満ちた育児の真ん中で、幸せなため息をついていたのだった。




