第48話 魔界の教育革命【後編】
南部の領主が抱く切実な不安――それを一蹴するように、シンは明確な財務方針を提示した。
「大切な子どもを預かるのだ。決して安い金額ではない。だが、成績が極めて優秀なクラスについては、私の経営する会社で授業料を全額負担する。完全無償だ。一方、選抜試験に合格したものの優秀クラスに入れなかった者には規定の授業料を負担してもらうが、支払いが困難な経済的事情を抱える家庭には『奨学金』という制度が用意される。」
「ショウガクキン……? それは一体どのようなものなのでしょうか」
聞き慣れない異世界の概念に、一斉に首をかしげる臣下たち。
その困惑の空気を切り裂くように、これまで上座で静観していた魔王ハオが、重厚な声を響かせた。
「支払いを国が肩代わりする制度だ。これについては、私から説明しよう。」
ハオは鋭くも温かみのある眼光で臣下たちを一通り見回すと、威厳に満ちた声で告げる。
「国家の会計予算から直接資金を捻出し、『給付型奨学金制度』を創設する。返済の義務はない。貧困家庭であっても、この制度を使えば費用の心配を一切することなく、学問と鍛錬に励むことができる。本来ならば金銭的な理由で師に就くことを諦めていたような幼少期の才能に、国家の手で学校という学びの場を与えるのだ。」
思わぬ魔王本人の介入と破格の提案に、すぐ近くに座っていた領主一人が、驚きに目を見開いた。
「魔王様、よろしいのですか? 国家予算をそこまで投入されて……。」
「あぁ、構わん。我が魔界の未来を担う優秀な者を送り出してくれるのだからな。これほど価値のある投資が他にあるか。」
魔王自らの太鼓判と全面的な財政支援の約束を受け、出席していた領主たちの表情が一変した。単なる魔王族の道楽などではなく、国家規模の絶対的な超大型プロジェクトであることを理解したのだ。
「そこまで……国がそこまで手厚く支援してくださるのでしたら、私たち領主も全力で手助けをさせていただきます! ……ところでシン様、その選抜試験とは、具体的にどのような内容なのでしょうか?」
身を乗り出す領主たちに対し、シンは具体例を挙げながら説明を続けた。
「試験内容は、短い作文、文字の読み書き、簡単な数的思考力や基礎的な運動能力の測定。そして生徒本人と両親を含めた三者面接だ。」
「親も含めた面接、ですか?」
「そうだ。先ほども言った通り、家庭環境と親の思想は子の成長に直結するからな。願書には志望動機に加え、すでに覚醒している魔力の属性――例えば『異常回復』や『時間逆行』といった能力も記入してもらう。其方たちは自分の実子でもない平民の子どもを推薦することに、最初は乗り気になれないかもしれない。だが……一人でも優秀な子どもが合格し、成長して帰ってくるような領地は、ゆくゆくは目覚ましい発展を遂げることになるだろう。私の計画では、いずれこの『シン華学園』を先例として魔界全土に分校を建設し、各領地で優秀な人材を自給自足できるように育てるつもりだ。」
「なっ……! 自分たちの領地に、そのような素晴らしい学校を建設していくと……!?」
「領主自らが建設し、運営できる財力と知識ややり方があるのであれば、それに越したことはない。だが……もし予算や人員の面で難しければ、私の会社で二校目、三校目を直接建設・運営することも考えている。」
――その言葉を聞いた瞬間、領主たちの背中に冷や汗が流れた。
自分たちの領地にシンの影響力が直接及ぶような企業主導の建設を許せば、領主としての面目は丸潰れである。
「あ、いえ! シン様の手をそのようなことで煩わせるわけにはいきません! 自分たちの領地の学校は、我々の責任で建ててみせます!」
(よし! 言質を取ったからな!)
シンは地方まで学校建設することは考えておらず、領主自らが建設すると言い出すよう誘導していた。
「ほう……」
慌てふためく領主たちの様子を満足そうに見届けたハオが、深々と頷いた。
「では学校建設の件は、各領主に任せることにしよう。その代わり、見事合格者を輩出した優秀な領地には、将来的に新たな学校を設立できるよう、国から破格の『運営補助金』を出すことにする。」
「……っ!?」
シンの目が丸くなった。
「義父上、よろしいのですか? 補助金まで出すとなると、財政が……。」
シンは(大盤振る舞いするにも程があるだろ……!)と心の中で突っ込んだ。
思わず心の中で突っ込むシンに対し、ハオはどこ吹く風で続ける。
「構わん。優秀な民を育て、国に送り出すための必要な経費だ。投資を惜しんで国が滅びては元も子もない。」
「感謝いたします! 魔王様とシン様がそこまで歩み寄ってくださるのであれば、私たちも総力を挙げて優秀な原石を探し出します。より一層力になれそうです!」
領主たちの目が一気に野心と希望で輝き始めた。自領から合格者を出すことが、そのまま領地の繁栄と国からの補助金獲得に直結するからだ。
領主たちが歓喜に湧く一方で――会議室の後方に控えていた財務担当の金庫番は、額に青筋を浮かべながら急激に跳ね上がる試算表を羽ペンでカリカリと書き直していた。
(またこの親子は土壇場で無計画な国家支出を……後で一から予算の組み直しだな……。)
聞こえないほどの深いため息を漏らす金庫番。その横で書類を揃えていたレオナルドは、悲痛な横顔を一瞬だけ横目で捉えると、(ご愁傷様……)と心の中でそっと手を合わせた。
熱を帯びる室内を見渡し、シンは間髪入れずに次の実務的な指示を出した。
「では、具体的な運用についてだ。これから毎年、その年の試験対象年齢となる子どものリストを作成し、四月に『SINQstore』まで提出してほしい。提出されたリストを元に、こちらから各家庭へ直接学校案内と願書を配布する。」
「子どもたちは合格した場合、親元を離れて暮らすのでしょうか?」
「いや、基本的には親元からの通学だ。家庭での生活や地域との繋がりもまた、豊かな人間性を形成する上で不可欠だからな。全員がテレポートを使えれば問題ないのだが、幼少期ではまだ魔力が足りない者も多いだろう……そこで、」
遠方からの通学問題という現実的な壁に領主たちが思案顔を見せた時、再びハオが重厚な声を挟んだ。
「それに関しても懸念は無用だ。各領地の主要拠点と、学園の校門前を直接繋ぐ『常設型転移ゲート』を設置・開設する。」
「っ!?」
シンの口から、思わず絶句に近い声が漏れた。
「義父上……そこまで支援していただけるとは……!」
(ゲートを常設するだと!? これで送迎担当者を雇用する必要がなくなったぞ……!)
運営経費が大きく浮くことに、シンは心の中でニンマリとほくそ笑む。
「あぁ、構わん。子どもたちが安全に通学できる環境を整えるのも大人の責務だ。」
「……心より感謝申し上げます。」
シンは呆れと尊敬の入り混じった思いでハオに向かって深々と一礼を捧げると、気を取り直して誇らしげに領主たちへ向き直った。
「そういうことだ。転移ゲートを使えば、遠方の領地からであっても一瞬で通学が可能となる。授業が終われば毎日自宅へと戻り、家庭の手伝いや、各領地特有の鍛錬に励むことも十分に可能だ。」
一連の画期的な制度説明が行われ、会議室の興奮が落ち着きかけた頃、長く領内統治に尽力してきた老領主が、遠慮がちに手を挙げた。
「あの……大変素晴らしい計画で感服いたしました。ですが、一つ伺ってもよろしいでしょうか。今回設定された対象年齢をすでに過ぎてしまった上の世代の子どもたちは……やはり、今まで通り放置されるということになってしまうのでしょうか?」
その質問には、他の領主たちも深刻な表情で耳を傾けた。己の領地にいる、少し歳の離れた子どもたちの顔が浮かんだのだろう。
シンは申し訳なさそうな、しかし毅然とした表情で答えた。
「心苦しいが、学校は開校したばかりでまだ手探りの状態だ。上の世代の子どもたちを受け入れたとしても、成人までの教育期間が短くなってしまい、体系的な教育計画が立てられないのが現状なのだ。」
「それでは……」
老領主はさらに食い下がった。
「どうしてもダメでしょうか? 例えば、六歳の子どもたちと同時に入学させ、同じ教室で一から学ばせるということはできませんか?」
――その言葉が出た瞬間。
上座に座る魔王ハオの黄金色の瞳が、すっと細められた。
直後、指一本動かさぬ魔王から放たれた冷徹なる威圧が、鋭い刃となって質問した老領主を貫く。
気圧された領主は思わず息を呑み、言葉を詰まらせた。
「……」
息が詰まるような沈黙の中、ハオは呆れたように低く鼻を鳴らした。
「……其方は、すでに成人した十五歳の青年を、まだ物心もつききっていない六歳の幼子と一緒に並ばせ、同じ教室で勉強させるつもりか?」
重く響く低い威圧に、老領主は背中にじっとりと冷や汗を伝わせながら、必死の思いで手の震えを抑え込んだ。
「い、いえ! 決してそのようなつもりでは……! ですが、基本的な文字の読み書きや計算、魔力の基礎的な鍛錬だけでも、学校で教えていただけたらと思ったのです……!」
弁明する領主に対し、ハオは決定打となる一言を言い放った。
「そのような基礎中の基礎は、其方たちが自分たちの領地で責任を持って教え込めば済む話だ。……そのために、合格者を出した領地へ補助金を出すと言っているだろうが。」
威厳に満ちた魔王の一言に、もはや誰も反論を挟むことはできなかった。
領主たちの責務と、学校という場所の神聖な目的が、完全に切り分けられた瞬間。
ハオは先ほどのトーンから一転、心を落ち着けるように静かに口を開く。
「……自領で基礎教育を普及させることこそが、結果としてその上の世代を救う一歩となる。」
ハオの温かいフォローに胸を撫でおろす領主たちを確認し、シンは最後の指示をまとめた。
「公募制となる教師の募集についても、本日持ち帰って領民へ広く周知しておいてくれ。平民であろうと子ども好きで、人に物を教える才能があれば、年齢や身分は一切問わない。――連絡事項は以上だ。」
シンが力強く締めくくると同時に、長時間にわたる定例会は静かに閉会を迎えた。
会議室を後にする領主たちの表情には、最初の困惑や不安はもはや影を潜めていた。そこにあったのは、己の領地から原石を発掘し、国家の未来を担う人材を送り出さんとする圧倒的な熱意と希望。
魔界の歴史に刻まれるであろう新たな教育の芽吹き。魔界全体の未来を大きく変えることになる壮大な計画が、いま確かに動き出そうとしていた。




