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シン華物語Ⅱ(最強魔王は誰?)  作者: ゆず華


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第42話 龍輝の帝王教育【前編】

龍輝が『小さな冒険』を引き起こした大騒動の翌日の午後のこと。

人間界にある『シン華の家』は、柔らかな日差しに包まれていた。昨日までの騒がしさが嘘のように穏やかな時間が流れるはずだったそのリビングに、突如として緊張が走った。


「義父上、義母上……、なにかありましたか?」


リビングの扉を開け、入ってきた二人を迎えたシンは、隠しきれない驚きと困惑をその声に滲ませた。


――魔界の頂点に立つ魔王ハオと、その王妃アズサがこの家を訪れる際は、どのような急用であれ、事前にスマートフォンアプリのメッセージで連絡が入る。にもかかわらず、今日の訪問は事前連絡が一切ない、完全なるサプライズだった。


「うむ……少し、大事な話があってな。」


ハオはどこか硬い、真剣な表情を浮かべたままリビングの奥へと歩みを進めた。その威厳に満ちた佇まいは、普段の親しみやすい『じぃじ』の顔を完全に遮断している。


「じぃじー、ばぁばー!」


しかし、昨日こっぴどく叱られたばかりの当事者である龍輝はといえば、相変わらずの通常運転だった。大人の張り詰めた空気など微塵も察することなく、パタパタと小さな足を鳴らして無邪気に駆け寄っていく。


「おぉ、龍輝……」


ハオの固い表情が一瞬だけ和らぎ、隣のアズサが目元を和ませる。二人は無邪気にまとわりつく孫を挟むようにして、中央の大きなソファへと腰を下ろした。


今日は人間界のカレンダーでは平日で、レオナルド一家も仕事として『シン華の家』へ出勤している。ソファに座る一華の隣には、娘・エレナの育児休暇中であるアーリンも腰を下ろしていた。


魔王と王妃の急な訪問にアーリンは、二人が着席するよりも早くすっと立ち上がった。

一華の隣に主客のための席をさりげなく譲ると、シンと視線を交わして無言のままキッチンへと向かう。


気遣いを見せる従者に促されるようにして、シンは一華のすぐ隣へと腰を下ろした。


「……今日は、どのような御用でしょうか?」


シンの問いかけは、普段の家族に対する柔らかさを極力抑えた、どこか一線を引いたような業務的なトーンだった。


真剣な表情を崩さないハオと、その隣でじっと自分を見つめてくるアズサ。二人のあまりに切迫した様子に、シンは魔界でただならぬ事態でも起きたのではないかと緊張で生唾を飲み込んだ。


一方の一華はといえば、共鳴の魔力を解放してハオの真意を確かめるでもなく、のんびりと二人に挟まれてニコニコと笑っている龍輝を愛おしそうに見つめている。


重苦しい沈黙を破り、ハオが重々しく口を開いた。


「龍輝のことだ……。そろそろ、『帝王教育』を始めてみてはどうかと思ってな。」


「『帝王教育』って……?」


思ってもみなかった単語に、一華はポカンとした表情でハオを見上げた。


「国を継ぐ者に施される、全人的な教育のことだ。単なる言語や歴史の学問にとどまらず、指導者としての高い倫理観、軍事的な統率力、そして実践的な統治ノウハウ。さらに魔界においては、いかなる精鋭兵士にも負けぬほどの苛烈な戦闘鍛錬と魔力制御が課されることになる。」


困惑する一華に、ハオの代わりに答えたのはシンだった。その声には、自らもかつて歩んできた過酷な道のりへの記憶が宿っている。


「えーっ! パパ、ちょっと待ってよ。龍ちゃんにはまだ早すぎるでしょ! まだ三歳にもなってないんだよ?」


一華が思わず声をあげるが、ハオは首を横に振った。


「いや、早いに越したことはないのだ。魔王族としての絶対的な振る舞いを早期に叩き込むことで、高い自己肯定感、揺るぎない自立心、多角的な思考力、そして瞬時の決断力を養うという大きなメリットがある。また、幼少期から『本物』の芸術や理に触れさせ、渦巻く感情を高度にコントロールし、他者への配慮と慈悲を学ぶ場も、今すぐにでも必要だ。」


熱く語るハオの言葉を受け、シンも深く頷く。


「私も早くから過酷な帝王教育を受け、成年を迎える頃には全項目を修了いたしました。確かに、魔族の成長速度と龍輝の秘めた潜在能力を考えれば、今から始めなければ遅いかもしれません……。」


「そうだろ! ほら見ろ! シンもこう言っておる! さっそく明日から始めてくれるか!?」


シンの同意を得た瞬間、それまでの重苦しい表情を嘘のように吹き飛ばし、パッと顔を輝かせるハオ。その子供のような一変ぶりに、隣のアズサが「はぁ……」と小さく息をつき、くすりと上品に笑った。


「もう、あなたったら……。本当は来る前にちゃんと連絡するつもりだったのよ、シン君。でも『龍輝に帝王学を教え込まねばならん!』って急に言い出して。私が止める間もなく連絡する暇も与えず、私の腕を強引に引っ張って飛んできてしまったの。」


「そ、そうだったんですね……。てっきり魔界を揺るがす大問題が発生したのかと……。」


「なんだ〜! パパったら、びっくりさせないでよ〜。」


シンが心底安堵したように胸を撫でおろし、深いため息を漏らすと、一華もピンと張り詰めていた肩の力を抜き、緊張がほぐれたように破顔した。


そこへ、手際よく準備を終えたアーリンが、銀色のトレイを手に静かに近づいてくる。絶妙なタイミングであった。


「皆さま、お待たせいたしました。どうぞ。」


一華の前には湯気が立つ温かいルイボスティーを、アズサの前には芳醇な香りの紅茶を、シンとハオの前には深みのある香りの珈琲を、そして龍輝にはストローを差した紙パック入りのリンゴジュースを置き、お茶請けとしてクッキーをテーブル中央へそっと置く。


「ありがとう、アーリン」


アズサが笑みを向けると、アーリンは静かに一礼し、再びリビングの隅へと身を引いた。


リビングを満たしていた緊張感が完全に和らぎ、和やかな空気が漂い始めたところで、シンは珈琲の湯気越しにハオを見つめ直した。


その瞳には、先ほどまでの困惑は消え去っていた。代わりに宿っていたのは、我が子の未来を深く見据える父親としての温かみと、起業家として数々の事業を成功させてきた現代的な理知的強さである。


「……義父上、義母上、私は前々から考えていたことがあります。一華も聞いてくれ。……実は……魔界に学校を作りたいと思っています。」


「学校……だと?」


ハオが持ち上げた珈琲カップを途中で止め、太い眉をひそめた。


「小学校……?」


意外すぎる単語の連続に、一華が隣に座るシンの横顔を見上げた。シンは妻の視線に一度だけ優しく目配せで応えてから、再びハオへと正面から向き直る。


「はい。人間界にあるような、体系的な教育機関です。まずは小学校からつくります。もちろん、人間界のカリキュラムをそのまま持ち込むのではなく、学習内容は魔界特有のものに置き換えます。」


「……待て、シン。魔界の帝王教育といえば、優秀な指導者を招いての一子相伝が基本だ。龍輝一人に帝王教育を施すのではなく、わざわざ他にも子供たちを集めるということか?」


ハオの素朴な疑問に、シンは深く頷いた。


「はい。魔界全土から広く試験と面接を行った上で子供たちを集め、集団で学問と鍛錬を学ばせます。一子相伝の孤立した環境では得られない、集団生活の切磋琢磨の中でこそ、龍輝には真のリーダーシップや土壇場での決断力、そして他者を思いやる人間性を育ませたいのです。それ以外の魔王族として必要な帝王教育については、放課後や休日に別途個別で行えば済むことです。」


シンの明確で筋の通った説明を聞き、アズサが感心したように細い指先を顎にあてた。


「まぁ……。たしかに、お友達や切磋琢磨できるライバルの存在は、この子の心の成長にとっても素晴らしいことかもしれないわね。」


シンの真意と、その先にある壮大な意図を聞き、一華がポツリと呟いた。


「それって……つまり、龍ちゃんのために、わざわざ学校を一から作っちゃうってこと……?」


「あぁ。端的に言えばそういうことだ。」


シンは何の躊躇もなく即答した。


大人たちが繰り広げる難しい顔での会話など、どこ吹く風である。龍輝はストローを「チュウチュウ」と音を立てながら、夢中でリンゴジュースを吸っている。そして、テーブルの上に並んだ香ばしいクッキーの入ったお皿をアズサに「ばぁば、あれ取ってー!」とおねだりし、アズサが優しく差し出したお皿から小さな手でクッキーを一つ掴むと、そのまま小さな口で一口かぶりつくと嬉しそうに頬を膨らませていた。


「それって……いわゆる『親バカ』って言うんじゃないの……?」


一華が呆れたように、しかし温かい眼差しで夫を見つめる。


「……親バカ、だと?」


シンは不器用に眉間にシワを寄せ、本気で心外だと言わんばかりに困惑してみせた。理性の塊である彼にとって、『親バカ』という感情的なレッテルを貼られることは予想外だったらしい。


「うん、親バカだよ。完全に!」


楽しそうに追撃する一華の横で、ハオも「ふむ!」と深く腕組みをして豪快に頷いた。


「我が子のために校舎から建設するなど、まさに親バカの極み! だがシンよ、不器用なまでに龍輝を想うその心……嫌いではないぞ!」


「義父上まで何を……! 私は至って合理的な人材育成プログラムと、将来的な魔界の教育インフラ整備の一環として提案しているのです。決して個人的な感情論などでは……っ!」


珍しく余裕をなくして必死に弁明するシンに、一華はクスッと可笑しそうに笑いながら言葉を続けた。


「だってそうでしょ? 我が子に友達やライバルを作ってあげたいからって、わざわざ一から校舎を建てて学校までつくっちゃうんだよ? 人間界じゃ親バカ以外の何ものでもないよ?」


一華の口から出た『親バカ』という予想外すぎる単語に、シンの思考が一瞬完全にフリーズした。


自らの完璧なロジックと経営計画の果てに導き出した『魔界における教育機関の設立』という最適解。それをただの『親バカ』という言葉で片付けられたことが、どうしても解せないらしい。冷めかけた珈琲カップを手に持ったまま固まり、眉間に不器用なシワを寄せて真顔で呆然とする姿は、普段のスマートなシンからは想像もつかないほど人間味あふれる困惑に満ちていた。


すると、それまで静かに二人のやり取りを聞いていたアズサが、手にしていた紅茶のカップをソーサーに静かに戻し、優しく微笑みながら助け舟を出した。


「ふふ、人間界の基準で言えば、確かに一華の言う通り親バカに見えるかもしれないわね。だけど――」


アズサは涼やかな視線をシンに向け、感嘆を含んだ声で続けた。


「そもそも魔界には『学校』という組織的な教育の仕組みそのものが存在しないのよ。貴族は指導者を雇い、庶民は独学か現場での徒弟制度。だからこそ、ハオ様の言う通り、これは並大抵の意志でできることじゃないわ。……それに、私はシン君の考えに大賛成よ。親心が出発点だったとしても、子供たちが平等に学ぶ場所を作り、それがゆくゆく魔界全土へ広がっていけば、魔界全体の基礎学力や倫理観、人間性も劇的に底上げされるでしょうからね。」


「ママ……。」


義母からの思いがけないほど力強い支持と理解に、シンは深々と感謝の眼差しを向けた。その時、大人たちのやり取りなど気に留める様子もなく、クッキーのくずをぼろぼろと落としながら龍輝が満面の笑みで口を開いた。


「がっこう? たのしそう! ぼく、おともだちといっぱいあそぶー!」


無邪気な我が子のひと言に、さきほどまで青筋を立てて弁明していたシンも、すっかり毒気を抜かれたようにふっと表情を緩めた。

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